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第3話 菖蒲・1
慶秀大で生物学専攻の家永晃一は、よほど実験で手が離せない日以外は、一日に15分の日光浴を欠かさないことにしていた。
山の傾斜に沿って建てられた理化学教棟を下ると、中庭に出る。そこから大学の中枢ともいえる本館、図書館、講堂、食堂などが広がる。更にその向こうには、人文学部や法学部などの各種学部の教棟が広がっていた。
理化学教棟の裏に広がるスペースには小さな池があり、そのほとりには藤棚が涼し気な木陰を作っていた。藤棚の下には木製ベンチが置いてあり、誰もが憩いの場として使えるようになっていた。ただ、この場所を知っているものは少ない。
藤棚の下のベンチに、家永は白衣着たままごろんと横たわった。
もう日差しはかなり強かったが、藤棚が適度に陽を遮ってくれる。ほのかな花の香りも心地いい。
目を閉じて2分。
うつらうつらし始めた頃に、
「あー! こんな所でまたさぼって」
と、けたたましい御前崎美羽のソプラノヴォイスが聞こえた。
「……」
寝たふりをしてやり過ごそうとしたが、御前崎美羽の方はそうはいかないらしい。
「ちょっと先生、寝たふりなんかしてないでよ」
「……おい、ちょっと待て」
美羽は、寝ている家永の脇に強引に座ろうとする。家永は慌てて起きあがると、都合よく空いたスペースに美羽は腰を納めた。
「……一体、何の用だ?」
藤棚の下、お互い両端に座り、なんとも気まずい空気が流れる。
「門脇君にばっか実験させて、自分はこんな所でお昼寝? 指導教官っていいご身分だわ」
家永と目を合わさずに、ふくれっ面の美羽は言った。
視線の先には、藤の花が爽やかに揺れた。
「昼寝ではない。15分の日光浴だ」
「日光浴? 藤棚の下なのに?」
「この程度の日差しがちょうどいい」
「ふーん。外なんかキライな研究大好きのインドア教官かと思ってた。顔色もあんまりよくないし」
インドアと書いて「もやし」と読む。
美羽なりの嫌味を敏感に感じ取った家永は
「……ほっといてくれ」
ぷいとそっぽを向いた。
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