第1話 桜・2

2/6
71人が本棚に入れています
本棚に追加
/106ページ
「論文、行き詰っているのかよ?」  と聞くと、 「まさか。〆切は来年の1月だ」  即答が返ってきた。 (じゃあ、なんでそんなに根詰めてやってんだ?)  家永が金を出すので惜しまず買ったレジ袋を、研究室の真ん中に置いてある長机の上にがさっと置く。  昼食にはまだ早いが、多分、家永はロクな朝食を摂ってなさそうだ。  研究室の一角に置かれたコーヒーサーバーは、朝、来た時に入れたまま。流しは使われた形跡もないし、家永の足元のゴミ箱にはただの紙屑だけ。何か食べたような形跡はない。  つくづく (購買部で色々買って良かった)  と思う門脇に、ふと 「……あ。そうか、第三土曜の為か」  思いついた言葉が、口をついてでてきた。  門脇の言葉に、家永は是も非も言わずにポーカーフェイスでモニターを見つめている。 (知己先生に会うためか)  学生時代の家永の親友・平野知己に会う日が近付いている。  その時間を捻出するために、家永は実験や論文のスケジュールをやや早めることがままあった。 「知己先生、ここ(出身大学)に遊びに来ないのか?」 「そうだな。この間会った時には、『手を焼いてたやつらが卒業した』と言ってたからな。『今年は、少し心に余裕出来そうだ』と言っていたぞ」 「へえ……」  平野知己は、門脇の高校時代の理科教師である。そして家永晃一とここ・慶秀大学で学生時代を過ごし、その時からの親友でもある。大学卒業後には、知己は高校教師として門脇の学校に赴任し、家永は大学に残って研究職に就いた。お互いに卒業してからも会うのが習慣になっていて、よほどのことがない限り月に一度は会うようにしている。  それが第三土曜日だ。  平野知己は、黒髪に黒い瞳のストイックな感じの美形だったが、それ以上に無駄に面倒見の良い性格。それが災いし、なぜか男にモテていた。門脇も、もれなくその一人で、現実でも夢の世界でも何度となく知己のお世話になっている。 「以前の平野だったら、出張帰りに寄ることもあったが……」  そこまで言うと、家永はチラリと門脇を一瞥した。 「門脇君が居たら、来るものも来ないかもしれないな」 「俺の所為にするなよ。また『人手が足りない』って言って、呼び出せばいいじゃねえか」  他意なく門脇が言うと 「そうだな。必要に応じて考えるとする」  感情込めずに家永は答えた。
/106ページ

最初のコメントを投稿しよう!