第3話 菖蒲・7

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「そう。そこで藤棚を作って、秋には種を炒って俺に食わせてくれた。その時に植物に詳しい妹さんの話が出た」  家永がうろ覚えの記憶をさも真実のように語っていると、門脇から (本当かよ?)  と疑わし気な視線を送られる。  記憶より記録。  実験データは全て記録する。  それ以外はかなり無関心な家永は、先ほどだって曖昧な記憶を披露したばかり。  門脇に睨まれて、自分の記憶に自信がない家永は 「妹さんの話が出た……ように、思う」  と、逃げ道を作った言い方に切り替えた。 「家永先生。藤の種を食ったのか?」  と門脇が聞けば 「美味かった……。ただ炒り方が足りないものもあったらしく、後で腹下した」  家永が哀しそうに言った。 「あまり知らない人から、もの貰うなよ」 「いや、よく知ってる学生だったし」  卒業した年も忘れるほど、関心がない研究生だったが。 「何でもかんでも口に入れるから、そうなる」 「……俺が悪いのか?」  悪食のように言われ、少なからず家永は肩身の狭さを味わっていた。 (変な研究生と指導教官ったいね……。この研究室でどっちが上なんだか、分からんったい)  研究室のヒエラルキーに首をひねる彩子だが、そこには笑顔が戻っていた。 「うちん兄ちゃんが悪いっとよ。ちゃんと火を通してなかけん。先生は悪くなかが(悪くない)」  思わず、家永に助け船を出していた。 「兄ちゃんは生態系研究をしとらした(してた)から、生物学専攻の家永研究室にお世話になっちょったんよ。でも、そんな酷い恩返ししてたとかは、知らんかった」 「大丈夫だ。通信君なりの好意で俺にくれたものだと信じている」 「そう言ってもらえて良かったー!」 「知っとる? あの池ん中、魚おるやん」 「めだかだろ?」  ほのぼのとした裏庭の景色を、門脇は思い出していた。  季節ごとに花が咲く裏庭と池で、正田通信は理想の生態系を研究していたと思われた。 「違うっちゃ。あれ、グッピーの稚魚なんよ」 「「はあ?」」  家永も門脇も知りえない彩子の情報に、同時に声をあげた。 「グッピーはミリオンフィッシュっていうくらい、子だくさんの魚やけん、水槽で爆発的に増えたっち。困った荒木先生が、兄ちゃんに頼んで池に放流したっちゃ」  笑いをこらえきれずに彩子が吹き出すと 「そういえば……やたらと尾の長いもいた気がする」  家永が腑に落ちた表情になって呟いた。 「ほぼ毎日裏庭に行ってて、その程度の記憶なのか? 家永先生」 「……興味のないことは覚えんようにしている」
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