第4話 薔薇・1

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第4話 薔薇・1

 トントントン、と素早くノックを三回すると、部屋からの返事も待たずに正田彩子が 「こんちゃーす!」  と中に飛び込んだ。  あのミスコン以来、彩子は暇を見つけては足繁く家永研究室に通っている。  元々理学部専攻だ。研究室選択は3年生からだが、お目当ての研究室に1年時より通って、教官に顔と名前を覚えてもらおうとする学生もたまに居る。そこに違和感はない。 「彩子君……」  研究室の主である家永准教授は、PCモニターから顔を上げて目を瞬かせた。 「わあ、先生! どがんしたと? そがんカイガラムシば嚙み潰したような顔をして」  目の下に隈、眉間には皺。口は「へ」の字に歪んでいる家永の顔を見て、彩子が驚いた。 「カイガラムシ?」  家永が聞き返す。 「あ、間違うた。ば嚙み潰したような顔しとらすよ、家永先生」  カイガラムシと苦虫。 (かなり遠いな……)  と思いながら、家永は 「……そうか、俺はそんな酷い顔をしてたか……」  自分の頬に手を当てて上下に動かし、表情筋をほぐしてみせた。 「今、データ解析に手間取っててな」  と家永が言うと、彩子は 「そっかー。だったら、ちょうど良かったかも。そんな疲れた家永先生に、いいもの持ってきたとよー」  深紅の薔薇を3本、家永の鼻先に突き出した。  途端に、ふわりと芳香が舞う。 「……俺にではなく、正しくはに持ってきた……なのだろう?」  と家永が突っ込むと 「え? なんでバレちょるん?」  あれでバレてないと思っていたらしい彩子は、忙しなくキョロキョロと辺りを見渡した。 「門脇君なら、さっき自分の実験を終わらせて帰っていったぞ」 「あちゃー。入れ替わりだったかー」  お目当ての門脇不在を知らされても、尚、彩子は何かを探している。 「うーん。色気も心のゆとりもなさそうな家永研究室には、花瓶とかいう素敵アイテムはなかが(無いの)ね」 「……君は、俺の研究室に難癖付けに来たのか?」 「まさか! 潤いば与えに来たっちゃよ」  家永の言葉を訂正すると彩子は、 「じょ、ぉ、ねーっつのぉまっかなばーらをー、むーねにぃ咲かせーましょぉ」  鼻歌交じりにゴミ箱を覗いた。 「あ、これでよか(いい)かぁ」  捨てられてた500mlペットボトルを拾い上げ、手早く中を(ゆす)いで、持ってきた薔薇を飾った。
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