30 その夜、何があったのか 後

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 惨状を目にした継母は、慌てて駆け寄り愛娘を抱きしめる。 「私の娘に何をしたの!?」  継母から鋭く睨みつけられ、ピアは身を竦ませた。  言葉が出てこないピアの代わりに、泣きながらカーラが訴える。 「お、おねえさまが、わたしの〝おそだち〟がわるいって……」  新しい伯爵夫人は更に厳しい顔になって、娘に訊ねた。 「それで、お水をかけられたのね?」 「すいばんを……ぶつけられたの」  ぎょっとしたピアは、慌てて否定しようとする。 「そんなこと、してな――」 「何の騒ぎだ!?」  カーラの泣き声を聞きつけてやってきたバレンテ伯爵は、三人を見てはっと息を呑んだ。 「……どういうことだ」  怒りの眼差しは、まっすぐにピアへと向かう。 「お、おとうさま、わたし――」 「旦那さまっ!」  継母の悲痛な叫びが、ピアの言葉を遮った。 「私たち母娘(おやこ)は、もうこのお邸にはいられません!」 「ル、ルバータ、なぜそんなことを」 「出自を蔑まれて暴力を振るわれるような環境で、大切なこの子を育てることなどできませんもの……!」  はらはらと涙を流す妻からピアに視線を戻した父の目は、ぞっとするほど冷ややかだった。 「――また手が出たのか」 「おとうさま、ちがうんです」 「以前カーラに怪我をさせたとき、私はお前に『次はないと思え』と言ったな?」  伯爵は大股で歩み寄り、布袋でも抱えるかのように手荒くピアの体を持ち上げた。 「もう、この邸には置いておけない」  何を言われているのかピアには分からなかった。 「曲がった性根を叩き直してもらわなくては」  どこかへ連れていかれるのだとピアが理解したときには、すでに馬車の中だった。 「シューパレ修道院に」  御者に父が告げた行き先を耳にしたピアは震え上がる。  小さなピアでも知っている〝非行少女の監獄〟とあだ名される修道院の名前だ。預けられた女子は皆、魂が抜けたようにおとなしくなるのだという。 「お、おとうさま、きいてください」  隣に乗り込んだ父は、ピアの言葉を黙殺した。 「そんなところに、いきたくない……っ」  恐ろしさで胸が詰まり、次から次へと涙が溢れてくる。  いつの間にか夜の色は濃くなり始めていて、あちこちの広場ではかがり火が焚かれ、そばを通ると馬車の中まで少し明るくなった。 「おねがいです……」  伝承歌を合唱する楽しげな歌声が響いてくる。 「おうちにいさせて……!」  こうしてわずか五歳のピアは、国じゅうが祝祭に沸く夏至の前夜に、たった一人で寒々とした修道院に放り込まれたのだった。
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