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第1話『昔話 鬼里姫』
むかしむかし。
北東北の山の中に、小さな村があった。
その村では、なんと、鬼を神様として崇めていた。
それはもっとむかし。
その村に住んでいたのは鬼たちの方で、戦に敗れ逃げ延びてきた人々に、この村に住むように勧めたんだそうだ。
人々は喜び、鬼たちに感謝をし、鬼たちのために神殿を建てた。
鬼たちも大そう喜んだ。
ある時、神殿に住う女鬼が、人間との間にできた子供を産んだ。
可愛い可愛い女の子だった。
初めて鬼と人間との間に産まれた娘は、鬼姫として、神殿の奥で大事に大事に育てられた。
鬼姫が年頃になった時、若い三人兄弟が護衛につけられた。
鬼姫の命を狙っている者がいる。
そんな噂が村中で広がっていたためだった。
鬼姫は、鬼と人間との繋がりを示す象徴だった。
そんな大切な存在を亡くしてはならない。
神殿の警護も厳しくなった。
それでも鬼姫は幸せだった。
三人の守り人はとても優しく面白く、鬼姫は退屈することがなかった。
それから暫くして、末弟の守り人が神殿を離れた。
都へ出て、教養を学ぶためだった。
「姫様のために頑張ってまいります」
そう言って、春の日の朝、彼は旅立って行った。
彼を守るために黄鬼も共に旅立った。
残った二人にも、鬼姫は鬼のお守をつけた。
黒鬼と青鬼だった。
夏の暑い日、神殿に二人の女性が訪ねてきた。
それぞれ真っ黒と真っ白の衣に身を包んでいた。
二人は巫女であり、黒巫女と白巫女と名乗った。
「鬼姫様の命が危ういと風の噂で聞きました」
「私たちがお守りしましょう」
二人は村の西と東に小屋を建てて住み着いた。
時々二人で神殿を訪ねては、鬼姫のために祈りを捧げた。
秋の日、山向こうの村が盗賊に襲われ壊滅したという話が、旅の薬売りから伝わった。
村人たちは怯え、また同時に鬼姫の身を案じた。
その日の夕方、神殿に来る時はいつも二人一緒の巫女が、珍しく白巫女だけがやってきた。
「村の全てを護る結界を張りました。これで盗賊も入ってこれません。どうか安心してお過ごし下さいと、鬼姫様にお伝えください」
それだけ言うと、白巫女は帰って行った。
その晩遅く、村の北部で物盗りと人殺しがあった。
命からがら逃げ延びた村人は話した。
「たった二人の男だった。いや、一人は女だったかもしれない。この世のものだったんだろうか。雨風が吹き荒れて大嵐のようだった。その嵐の中で仲間は死んでいった」
神殿の警護の者は急いで白巫女が住む小屋へ向かった。
しかし、そこに白巫女は居らず、小屋も破壊されていた。
残されていた大きな水溜りの中に、血のついた白巫女の着物の切れ端が浮かんでいた。
今度は慌てて黒巫女の小屋へ向かった。
小屋には誰も居なかった。
一つだけ残された机の上に、呪詛の紋様と共に鬼姫の名前が記された紙があった。
「ではあの黒巫女が鬼姫の命を狙っていると言うのか」
黒鬼を従えた守り人…長兄が言う。
その後ろには守られるように鬼姫が座り、隣には青鬼を従えた次兄が控えている。
「なんのために?あの嵐も黒巫女がやったって言うの?」
次兄がのんびりと喋る。
「あの呪詛の紋様は大蛇を模した物。大蛇は水を操り、嵐を起こす。そして…」
そこで長兄は言葉を切り、神殿の外の風景を思い出す。
「この神殿の前には…池があっただろ」
その言葉を受け、次の日から池の埋め立てが始まった。
しかし、いくら土や岩を投げ込んでも、池は一向に埋まらない。
ただただ濁るだけだった。
そのまま季節は過ぎ去り、冬が訪れた。
冬になっても池の水は凍らず、不気味に細波を立てていた。
今にも雪が降り出しそうな、重く暗い雲が垂れ込めた日だった。
どこからか放たれた矢は、標的を目指して一直線に飛んだ。
矢が刺さった場所から火の手が上がる。
一瞬のことだった。
放たれた矢は、火矢。
狙われたのは、鬼姫が住む神殿だった。
突然のことに驚き、逃げ惑う人々。
火の手の回りは恐ろしいほどに早く、瞬く間に神殿は炎に包まれた。
この時ばかりは池の水が凍っていない事に感謝をした。
逃げ出せた人々で、池から水を汲み運ぶ。
その時、池の中から大蛇が現れた。
炎の熱に苦しみながら大蛇は切れ切れに言う。
「白…が……白が…裏切り……逃が…ない……許…ない…白……」
勢いを上げて燃え盛る炎の熱で、大蛇の身体が焦げ落ちていく。
不気味な光景に唖然とする人々の群れに、一人の女性が駆け寄って来る。
薄汚れた格好をした黒巫女だった。
「姫様は…鬼姫様はご無事なんですか!?」
騒めきが広がる。
逃げ遅れた人々の悲鳴が、焼け落ちていく建物の音に混じる。
鬼姫と守り人が住うのは、神殿の最奥。
まさに、火矢が撃ち込まれた場所だった。
「お前がやったんじゃないのか!!」
警護の一人が声を上げる。
「違う…こんな…こんなはずじゃなかった…姫様っ!!」
そう叫ぶと、黒巫女は燃え盛る神殿へと駆け出した。
しかし、炎に近づいたその時、黒巫女の身体は溶けるように消え去ってしまった。
「絶対に…許さない…」
黒巫女の最期の言葉が、暗い空に響く。
炎はますます燃え上がり、最早手のつけようがなかった。
残された人々は、ただ奇跡が起きるのを願うばかりだった。
神殿の最奥。
鬼姫たちが居る部屋も、炎に包まれていた。
三人で手を繋ぎ、肩を寄せ合う。
逃げる術など、どこにも見当たらなかった。
護衛の鬼は、炎の明るさに耐えきれずに消え去ってしまっていた。
「せめて…貴方たち二人だけでも逃げればよかったのに」
ぽつりと鬼姫が言う。
美しい白肌は煤で汚れ、艶やかな長い黒髪も乱れている。
「何を言ってるんですか。俺たちは、貴女を護るために居るのです。貴女を置いて逃げるくらいなら…最期の時までお傍に居させてください」
鬼姫の手を握る指先に力を込めて、長兄が言う。
「そうだよ。僕たちはずっと一緒だよ」
苦しみの中でも、柔らかな笑みを浮かべて次兄が続く。
「ありがとう。貴方たちと過ごせて、私はとても幸せだった。できる事なら、もっとずっと一緒に居たかった。時を過ごしたかった。だから………願ってもいいですか。次の世でも必ず、私たちは出会えると。また共に暮らし、笑い合えると。次の世でこそ…幸せな時を過ごしましょう」
一筋の涙が鬼姫の頬を伝う。
「勿論ですとも。次の世でも必ず…貴女のお傍に居ります」
「約束だよ、姫様」
三人の視線が重なったその時、部屋を支えていた柱が崩れ、部屋は潰れた。
炎は丸一日燃え続け、神殿は跡形も無く焼け落ちた。
最奥の部屋があった場所では、三人分の骨が、重なるようにして遺されていた。
生き延びた人々と鬼たちは、池の畔に三つの墓を作った。
大蛇、黒巫女、そして、鬼姫と二人の守り人たちの分。
春に村へ帰ってきた末弟と黄鬼は、三日三晩墓の前で泣き続けた後、姿を消した。
村人たちも一人、また一人と村を去って行くようになった。
その後、村には鬼たちだけが残り、墓を守り続けた。
今ではその村は深い草木に埋もれ、誰も辿り着けないそうだ。
墓は人知れず移され、何処かの神社に神様として祀られているという。
遠い昔。
まだ鬼と人間の世界が近かった頃のお話。
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