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出会い
桜が散って、間もない時期だった。
春、20歳の誕生日、私は恋人と別れた。何故向こうがあのタイミングでそういう気になったのか、私の誕生日も忘れていたのか、それとも最初から覚えていなかったのか、もう知る術はない。別れの直後は悲しくて、もう胸が痛すぎて、雑踏を泣きながら歩いた。
春の日暮れは思いの外早い。泣きすぎて喉が痛くて、頭も痛くなってきて、どこかに座りたかった。歩くうちにふと現れた無骨な木のドア。バーだった。今日から大人だし、という思考はその時点で子供のものだけど、とにかく私はそのドアを開けた。彼はそこにいた。
泣きながら入店した私を、バーテンも客もギョッとした顔で見た。バーテンは、店長らしき人と顔を見合わせて、大変失礼ですが身分証のご提示を、と私に言った。私はバッグから学生証を取り出し、バーテンに預けた。バーテンと店長は頷き合って、私に席を勧めた。
ジントニックは別れの味、というフレーズをどこで聞いたのか、とにかく私はジントニックを注文した。
「モモタ、俺席うつるわ」
そう言って私の隣に座ったのが彼だった。
「とりあえず乾杯しようか」
彼はそう言って杯を合わせた。カチンと乾いた音が鳴った。
日に焼けた顔、切れ長の目、大きな手、半袖から伸びる筋肉質の腕……スポーツマンの見本のような、爽やかな人だった。
「モモタ、おしぼりまだ?」
テーブルに落ちた私の涙を自分のおしぼりでふきながら、彼はバーテンに声をかけた。
「あっ、すみません」
モモタと呼ばれたバーテンはすぐにおしぼりを持ってきてくれた。
彼はそれで私の涙を拭いながら、ぽつりとかわいそうに、とつぶやいた。
なんとも可愛げがないけれど、私はその時彼を睨みながら、私はかわいそうじゃない、とキッパリ言った。
彼は一瞬怯んで、ふっと笑った。
何?とますます睨むと、いや、かっこいいわ、とまた笑った。
それが私達の出会いだった。
ジントニックは思ったより苦くて、半分も飲めなかった。私が残したものを、こだわりもなく彼は飲んだ。
「酒は初めて?じゃあジントニックは辛いかもなー、カルアミルクのほうが甘くて飲みやすいよ。まあ、今日はやめときな」
そう言って温かいお茶を頼んでくれた。私はほろほろ泣きながら、お茶を飲んだ。
「帰ります、お会計お願いします」
席を立とうとすると、
「もう帰るの?モモタ、俺も会計して」
彼も席を立った。
店を出ると、彼は、
「夜明けの海、見たくない?」
少しかがんで、私をのぞき込んだ。彼はは背が高かった。
「夜明けの海?」
「そう。めっちゃきれいだよ」
「見たい」
私は即答した。今の私に必要なもの、そんな気がした。
「よし、行こう」
彼は歩き出した。
歩きながら、ふとこのシチュエーションのおかしさに気づく。別に私、軽くないんだけど。なんで初めて会った人について行ってるんだろ。名前も知らない、素性の知れない男の人にー。
海までは近かった。夜明けまでまだだいぶあるなあ、と腕時計を見ると、彼は、
「時間大丈夫?予定あった?」
私は首を横に振った。
「予定ない。学校は休みだし、彼とは別れたし」
「そっかー。それで泣いてたのか」
「そう。だって今日、20歳の誕生日なんだよ、なのに……」
「えっ、ちょっと待て。誕生日?20歳?」
「そうだよ。だからお酒も初めてだったんだ」
「いやそこじゃなくて。誕生日に別れるって、それどんな男だ?」
「幼馴染。でももういいの。もうやめる」
なんだか自然に、ぽんぽん会話ができていた。私はもともと、人と話すのが上手くない。なのに彼とは、構えなくても話ができた。
「とりあえず缶コーヒーでも飲むか」
自動販売機で、コーヒーを買ってくれた。プレゼントだ、と私が喜ぶと、プハッと彼は笑った。
「幼馴染は、プレゼントくれなかったのか?」
「くれなかった。今日別れるって決めてたみたい」
「やめろやめろ、そんな男は別れて正解だ」
「でも好きだった。ずっと好きだったのに」
私はまた泣いた。
ふと彼の胸に抱き寄せられた。
「いっぱい泣いて、早く忘れちまえ」
私は彼にしがみついてわんわん泣いた。
夜明けまで、私は彼の腕の中にいた。頭を撫でられたり、涙を拭われたり、たくさん甘やかしてもらった。
夜明けの海は美しかった。
涙も涸れて、言葉も出なくて、ただ息を呑んで見つめていた。
「なー?きれいだろ?」
得意気に彼は言う。
「うん。きれい。すごいきれい」
それしか言えなかった。
「これを見せたかったんだ」
子供みたいに、彼は笑った。
改めて見ると、端正な顔立ちをしていた。きっとモテるだろうな。
「また見たい。今度はもっと元気なときに」
「いいねー。もう泣くなよ」
彼はニッと笑って髪をクシャッと撫でてくれた。
こうして私達は出会った。
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