夏だって桜は咲いている

1/1
前へ
/1ページ
次へ
4月初旬、京都の円山公園は これから青春が始まることを確信している 大学生たちで埋め尽くされていた。 この時期は花見と称し、新入生歓迎コンパが盛んに行われる。 連日大騒ぎだ。 典型的な大学生というものを、ここ円山公園ではいくらでも見ることができる。 そんな中、映画研究会の新歓が行われている ブルーシートの上で怪訝そうに周りを見渡す1人の男がいた。 『誰か桜について話している奴はいないのか。 花見だぞ?花を見てる奴はいないと?』 そう思いながら聞き耳を立てて情報収集活動に 励んでいる男の名は島原。 長崎からここ京都の地へ1人でやって来た。 九州の高校生は地元の大学に進むか、 関西をすっ飛ばして、関東の大学に進学する者が多いが、 島原は受験の結果、京都に流れ着いた。 平安時代であればこの上ない栄転だ。 友達は皆、関東へ進学してしまった。 地元の友達がいない彼にとって、履修登録や楽単、第二言語は何を選択するかといった情報はこの先大学生活を送る上で、必要不可欠なものだ。 だが、今の彼にとって、それらはどうでも良かった。 なぜ彼がこんなにも桜に熱心なのかというと...   1週間前の夜、下宿先での荷解きを終えた島原は息抜きとして京の町を散歩していた。 祇園商店街を抜け、八坂神社へと歩みを進めていた。 テレビ中継で頻繁に映し出される朱色の西楼門をくぐり、境内に足を踏み入れ、本殿を参拝し東北門を抜け、円山公園へと向かった。 公園内には桜の木が所狭しと植えられており、夜にも関わらず桜を見に来た多くの見物客で賑わっていた。 中でも一際、人だかりが出来ていたのが、 祇園枝垂桜であった。 その桜は樹齢80年にも及ぶ、円山公園のシンボルだ。 彼も他の見物客と同じく、煌々とライトアップされている満開の桜を見上げていた。 すると、どこからともなく声が聞こえてきた。 「今年も人が多いな...」 毎年見に来ている京都府民の声かと島原は思ったが、周りの人間は桜に見惚れて声を発していなかった。 「そんなに見られてもな...」 また声が聞こえてきた。 その時、島原は声の主が人間では無いことに気づいた。 人間は見る側だ。 この状況で見られる対象なのは、 ただ一つ桜だけだった。 常識的に考えて桜の声が聞こえる訳は無いのだが、1200年もの歴史を有する京都だ。 植物の声が聞こえるという神秘的な状況もおかしくないと彼は判断した。 しかしながら、ここからどうアプローチを取れば良いか彼は悩んだ。 自分は声が聞こえていることを祇園枝垂桜に伝えたい。 しかし、周りに人がいる状況で話しかけるというのも忍びない。 そこで彼がとった行動はライトアップが終わる午後10時まで待つというものだった。 ライトアップが終われば人は去る。 そして祇園枝垂桜に話しかける。 彼はそれを実行した。 「見られるのは嫌ですか!?」 少し張った彼の声が公園内に響いた。 声が暗闇に消えた後、 「私に言っているのかい?」 桜は彼に聞き返した。 「綺麗に咲いているのにも関わらず、どうして見られるのが嫌だと思うのか疑問で...」 「私からすると、どうして人間に声が届いているかが疑問だけど...まぁいいか。独りだからだよ見られたく無いのは。」 「独り?周りに桜が咲いているじゃないですか。」 「この公園に咲いている私以外の桜の品種を知っているかい?」 「そこまで詳しいわけではないですが、ソメイヨシノは知っています。」 「それなら全国に生えているソメイヨシノは、みんな遺伝子が同じということは知っていたかな?」 「遺伝子が同じ?」 「彼らは人間の手によって増やされてきた。 若い枝を切って地面に挿して成長させる『挿し木』という方法でね。別の個体の遺伝子が入ることがないんだよ。だからみんな一緒の遺伝子を持っているのさ。」 「そのことが貴方とどのような関係があるのですか?」 「私にも居たんだよ、似たような存在がね。私は二代目の祇園枝垂桜なんだよ。初代は1947年に樹齢220歳で枯れた。その初代の種から私が産まれた。」 「お母さんがいたってことですね。」 「人間的に言うとね。でも今となっては種の繋がりを持つ桜はいない...と思っていたんだ。」 「思っていた?」 「毎日ここに立っているから、見物客たちの会話が聞こえてくるんだよ。『円山公園の枝垂桜には兄弟桜がいる』という噂話がね。私はその桜を見てみたいが、木だから動けない。」 祇園枝垂桜の哀しそうな声が、 島原の頭に響いた。 島原は独りだと悲しそうに訴える桜の姿を、 親元から離れて京都に進学して 誰も友達がいない自分に重ねた。 「私が兄弟桜をあなたに見せます。」 「見せる?どうやって?」 島原は、したり顔でポケットからスマホを取り出し、祇園枝垂桜に見せた。 「これを使います。何か分かりますか?」 「スマホだろ?」 「知ってるんですか?」 「そりゃそうだろ。皆ここに持って来るんだから。写真を撮るものだってことぐらい分かってるさ。」 「じゃあ、話が早いですね!スマホで写真を撮って貴方に見せます。」 祇園枝垂桜は黙った。 4月といえど、まだ冷たい夜の空気が2人の間に流れる沈黙の気まずさを加速させた。 「画面が小さすぎないかい?」 ようやく祇園枝垂桜は話し出した。 「え?」 「私と君との距離、結構離れているよ。」 島原は、祇園枝垂桜を囲うように配置されている竹製の柵を見つめた。 柵で囲われているせいで、 恐らく10メートルは離れている。 「そこからでは画面見えないですよね。」 「見えないね。」 また沈黙が流れ始めた、その時 「何か方法は考えるので、待っていて下さい!」 「気長に待っておくよ」 そして現在... 映画サークルの新歓会場にて 「あの監督の作品はカタルシスがあっていいよな。」 「分かる!新作見た?別作品のオマージュが散りばめられてたわ。」 島原は特に造詣が深いわけではないため、 映画に関する難しい話題が飛んで来ないか ヒヤヒヤしていた。 「君は何の映画が好きなん?」 周りの話に耳を凝らしてばかりいた彼にも、 いよいよ質問が飛んできた。 「え...」 「映画サークルの新歓に来るってことは多少なりとも映画が好きなんだよね?教えてや」 あまり映画を見たことがない島原は戸惑いながら回答した。 「バック・トゥ・ザ・フューチャー...ですかね?」 「いいよな!結局それなんだよなぁ。色々映画見ても、何やかんや一番良いってなるからな。君、相当映画見てるんとちゃう?」 「えぇ...まぁ、そうですね。」 好印象で良かったと島原は安心した。 すると島原に質問をして来た先輩らしき人物 の顔に桜の花びらが落ちて来た。 「お!ちょっと今日風吹いてるからな。桜からのプレゼントや。まぁ枝垂桜の花言葉は淡白やけどな!」 話題が桜にいったことをチャンスだと思って、 島原は先輩に話しかけた。 「先輩、桜は好きですか?」 「まぁ好きやな。嫌いな奴っておらんやろ。まぁ、散る時寂しいっていうのはあるかもしれへんけど。」 「僕、桜を撮りたいんですよね。」 「映画をか?」 「まぁ近いです。この公園のシンボルって分かりますか?」 「あれやろ、めっちゃでっかい枝垂桜やろ?」 「あの桜に兄弟桜がいるらしいんですよね。どこにあるのかは分からないですけれど。」 「フチョー」 「はい?」 「だからフチョーにあるって。」 「フチョー?」 「京都府庁や。その敷地内に生えてたやろ、確か。」 「本当ですか?」 「そんなに桜好きなん?なんやったら今から行くか?桜の映画撮るんやったらロケハン行かなあかんしな。案内したるわ。」 先輩はおもむろに立ち上がり、サークル仲間に「ちょっと桜見に行ってくる」と声をかけた後、ブルーシートのそばに置かれた靴を履き始めた。島原もそれに倣った。 「ここに桜あるのに...」 背中越しにそう呟くサークル員を気にせず、2人は円山公園を後にした。 「どうやって行こかな。駅はちょっと離れてるしバスで行くか。現金かICカードある?」 「小銭持ってないので両替しようかと思ってます。」 「両替?やめといた方がいいで。観光シーズンの市バスめっちゃ混んでるから両替する時間ないわ。イコカ持ってないん?」 「イコカですか?Suicaみたいなやつのことですかね?」 「そうそう、東京はSuicaやな。関東の子?」 「九州です。」 「電車乗る時、何使うん?」 「SUGOCAを使いますね。」 「すごか?『すごい』の九州弁ってこと?変わったネーミングやな。」 「行こか」という関西弁からICOCAって名前がつけられているのだから、人のことは言えないだろうと島原は思ったが黙っていた。 「まぁ、SUGOCAも使えると思うで。全国から観光客来るし。無理やったらごめん。」 そんな話をしながら、2人は祇園のバス停に向かった。 花見シーズンということもあって、観光客が長い列を作っていた。 「結構列長いですね。2、3本はバスを見逃すことになりそうですね。」 「いや、乗れるで。ギュッってしたら入る」 先輩の言葉通り、5分後にやって来たバスに2人は乗ることができた。 乗車率100%を越えている環境を耐え忍びながら、15分ほどバスに揺られた。 バスは文化庁・府庁前に到着し、そこで2人は下車した。 真っ直ぐに伸びる道の奥に、 周りにある建物の外観のそれとは異なる ルネサンス様式の京都府庁 旧本館が鎮座していた。 「あの明らかに歴史がありそうな建物の中に桜が咲いてる。」 先輩は歩きながら指を差し、そう言った。 京都で歴史ある建物といえば、 和風の日本家屋や寺社仏閣を思い浮かべるが、想像とは異なる欧風の建物が京都の府庁であることに驚きを島原は隠せなかった。 2人は本館に足を踏み入れ、中庭へと歩みを進めた。 庭内には桜が複数本植えられていたが、 中央で存在感を放つ桜を島原は指差した。 「あれが兄弟桜ですか?」 「そうやな。あの桜が円山公園の兄弟桜や」 小雨が降っていたため、垂れた枝から水が滴り、艶やかな雰囲気を一層醸し出しているその桜を島原はまじまじと見つめた。 「先輩、この桜の映像を撮って野外で大画面に写すことってできますか?」 「スクリーンに投影したらいけるとは思うけど...」 「今から円山公園に行って、実行することって可能ですか?」 「今から!?部室に自立式のスクリーンと充電式のプロジェクターがあったはずやからできるとは思う。でもなんでそんなことするん?円山公園で映画でも公開するんか?」 「その通りです。」 先輩は、呆気に取られた表情を見せたが、島原が冗談で言っているわけではないことを察した。 「じゃあ今から大学行こか。ここから近いし機材持って円山公園に戻ろう。桜の映像はこのカメラで撮ってや。」 先輩は島原にビデオカメラを手渡した。 「カメラ持ち歩いてるんですね。」 「今日は新歓やったからな。その撮影用に持って来てたんや。」 島原は手渡されたカメラを使い、中庭の枝垂桜を撮影した。 「じゃあ行こか。」 2人は大学へ向かい、部室から機材を持ち出すと、再びバスに乗り円山公園を目指した。 「今日はよくバスに乗るなぁ。」 「すみません。色々付き合わせてしまって。」 「いやいや、面白そうやなって思ったから、やってるだけやし。上手く投影できたらいいんやけどな。」 「そうですね。上手くいくといいんですが...」 島原は車窓から今にも本降りになりそうな鼠色の空を心配そうに見上げて呟いた。 バスが東山仁王門を過ぎた頃、 彼の嫌な予感は的中した。 車内に雨が屋根を叩く音が響き渡り始めた。 小雨は土砂降りに変わり、 空はより一層その暗さを深め、 老いたインドサイを想起させた。 早く円山公園に着かなければ、 雨で桜が散ってしまう。 しかし、雨で道は混みバスは定刻より遅れて運行されていた。 焦燥感で手を滲ませながら、島原は目的地への到着をひたすらに待っていた。 20分ほど経ち祇園のバス停に着くと、 アーケードがある商店街は雨のやみまを待つ人たちでごった返していた。 その中にいた映画サークル員に先輩は話しかけた。 「花見終わったんか?」 「そりゃそうでしょ。降って来た瞬間に退避して来たよ。」 「そうか...」 「もう花見できなさそうだし、これから私の家で飲み直さないかって話になってるんだけど、来る?」 島原は間髪入れずに返答した。 「僕たちこれから花見してきます。」 「雨で桜は散ったんだよ?」 「だからこそです。」 「風も結構吹いてるけど?」 先輩は風で揺れる前髪を押さえながら 「まぁ何とかなるやろ」と返した。 祇園四条駅へと向かうサークル員たちとは 反対方向へと2人は歩き出した。 そこらかしこにある水溜りをよけながら、 慎重に進んだ。 円山公園に入ると、サークル員の言った通り、 殆どの桜の花が散っていた。 祇園枝垂桜もほぼ枝だけの姿になっていた。 2人はスクリーンを立てようと組み立てを始めたが、先輩が声を上げた。 「あかん!倒れてまうで」 風が強過ぎて、スクリーンを自立させることができないのである。 スクリーンが無ければ、祇園枝垂桜に大画面で兄弟桜の映像を見せることができない。 2人が意気消沈するのに合わせて、 日は沈み、辺りはより一層暗くなり始めた。 どうにかして、映像を投影する方法はないのか 2人は悩んだ。 その場を歩き回り、方法を考えた。 「うわ、最悪や」 先輩の声が聞こえた方に視線を向けると、 そこには水溜りに足を突っ込む先輩の姿があった。 「お気に入りの靴が濡れた時の不快度って、 何でこんなに高いんや。拭いた方がいいな。」 そう言って、片足立ちしながら靴を脱ごうとする先輩の姿が水溜りに写っていた。 島原はそれを見て思いついた。 「先輩、それですよ!」 「ん?ずぶ濡れの靴が何に使えるんや?」 「そっちじゃないです。水溜りですよ、水溜り!」 「この忌々しい水溜りをどうするんや?」 「そこに映像を投影するんですよ!」 「そういうことか!確かにこの水溜り、ちょっとした池くらいの大きさはあるから、ここに投影したらええ感じになりそうやな。早速試すか!」 島原はプロジェクターを手にし、 水溜りに兄弟桜の映像を投影した。 すると激しく風が吹き荒れる中、 散り切った桜の正面に満開の桜が現れた。 「見えますか!祇園枝垂桜さん!これがあなたの兄弟です!」 島原は強風に声が掻き消されてしまわぬよう、 声を張り上げて呼びかけた。 祇園枝垂桜からの返答はない。 「見えていますか!」 依然として返答が来ない様子に焦った島原は、 更に声を張り上げた。 すると、 「見えているよ、見惚れていたのさ。」 祇園枝垂桜は噛み締めるように返答した。 「兄弟桜はこの通り立派に咲いていました。」 「良かった。兄弟は確かに居たんだね。」 「はい、あなたは独りじゃないです。」 「本当によかった。感謝しているよ。」  「いえいえ、お礼を言わせていただきたいのはこちらの方です。僕も独りでした。長崎から一人で出て来たため、大学生活を上手くやっていけるか心配で...」 「そうだったんだね」 「でも今日、良き理解者に出会うことができました。」 「おーい!桜を見せることできたか?!暴風警報出てるぞ、流石に建物の中に入った方がいいと思うで!」 後ろから先輩の声が聞こえて来た。 「彼がその理解者かな?」 「そうです!」 「良かった、お互い独りじゃなくなったね。 あの子が言う通り、風が強くなって来たから避難した方がいいんじゃない?」 「そうですね。名残惜しいですが、お別れですね。」 「また会いに来てよ。春じゃないと見ても面白くないかもしれないけどさ。」 「そんなことないですよ。またすぐに会いに来ます!」 1年後 島原は映画サークルのメンバーと一緒に祇園枝垂桜を見に来ていた。 「でもまさか、俺たちの作品が賞を獲るなんてなぁ...島原くんのアイデアが凄かったわ。桜をテーマにして良かった。」 「皆さんのおかげで掴み取れた賞なので...」 「そんなに謙遜しなくてもいいのに。そういえば桜の声は聞こえるんか?」 「いや、聞こえないです。」 昨年はあんなにも聞こえた祇園枝垂桜の声が一切聞こえなくなってしまっていた。 「そうか...残念やな。受賞の報告をできたらよかったんやけど。」 「そうですね...」 「俺たち、何か屋台でメシ買ってくるけど一緒に見に行く?」 「もうちょっとここにいてもいいですか?後から追いつきます。」 「分かった、先行っとくわ。」 島原は祇園枝垂桜に話しかけた。 「あれから桜をテーマに映画を作り始めて、学生映画祭で入賞できました。先輩やサークルの仲間と一緒に作り上げた作品が受賞した時は本当に嬉しかったです。ここに訪れたのは一年振りですが、会話は去年の春を最後にできなくなってしまいましたね。伝わってるかは分からないですが、ありがとうございました。」 祇園枝垂桜はただ静かに満開の花を携えて聳え立っていた。 屋台の方へ向かおうと桜に背中を向けた時、 島原は首筋に何かが当たるのを感じた。 それは桜の花びらだった。 しかし今日は風が吹いていなかった。 偶然かと思った島原の元に一枚、また一枚と花びらが向かって来た。 その合計は島原と先輩、その他の映画サークルメンバーを足した数と同じだった。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加