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意識は遠のくばかりか、より鮮明になっていた。
「おねえさん、これあげる」なんて言ったおばさんの顔まで甦ってきた。
匂い袋から漂ってきた香りが、記憶を呼び起こしたのか。ああ、ばかばかしい。とは言え、匂い袋が郵便受けに入っていたということが謎で気持ち悪かった。
ただ、この日の夜からおなかが空く感覚が戻ったようだ。
現在の食事内容は変わっていない。少しの果物と野菜、たんぱく源のメニューだ。変わったのは食べ物を味わうようになったことだ。というか、元々あった感覚なのだけれど。
二十年経って、人間らしく「おなかが空いた」なんて。振り回さないでよ。わたしの食欲は、何故コントロールされる?
きっと、昔からスタイルばかり気にして食べることをおざなりにしてきた罰が四十にして下されたのだろう。
人目を意識し、常にスタイル良しとする自分を作り上げてきた。人は見た目で判断するというが、それは絶対値と言えるものではない。人の魅力は、内面の豊かさも反映するはずだ。そう気づくには中年になるまで待たねばならなかった。わたしは、愚かにも、誤った食事制限をかけていた。
もてるため、恋人の心を繋ぎとめるため、見た目のスタイルを維持する。バカで浅はか、情けなかった。長く付き合ってきた恋人とは、スタイルばかり気にするわたしに愛想をつかし別れることになった。新たに恋愛する気持ちがスッと消えてしまった。
仕事に生きよう。わたしは人生を賭ける意気込みで、会社を起こし、ダメでもいいと突っ走ってきた。すると、身体と脳を酷使するからか美味しいものを好きなだけ食べることが至福となった。極端な食事制限を強いていたことがまるで無かったかのように。
身体つきは、少しふくよかになり心の棘も溶かれていくようだった。
だけど、それも好きなものだけ食べるというのも偏った食生活と言えた。ようは、わたしの食は極端過ぎてバランスを欠いていたのだ。それでも、生きていた。特に病気をせずに生きていた。だけど、そのつけは、中年になってやってきた。
アンバランスで、極端過ぎる食生活を変化させたのは、奇妙な匂い袋なのだ。無理矢理そう納得させるほか、自分の心を沈めることが出来なかった。
それにしても、何故匂い袋が勝手に現れる?
数日後
今日は、出社する日だ。そして週の始まり月曜日。気持ちよく目覚めた朝だった。一日、がんばれそうな感じで、家を出た。
その時、
「おねえさん、これあげる」
「は?」振り返ると二十年前のおばさんがいた。わたしはもうおねえさんではない。ただ、おばさんは年を取らず、あのときのままだ。それとも、幻影を見ているのか。
いやだ、いやだ。もうやめて。
わたしは、老体に鞭打って走って逃げた。
少し走り、振り返ってみたら、おばさんは追いかけて来なかったのか、見当たらなかった。
ああ、よかった。
それは束の間の喜びに過ぎなかった。
足元に、匂い袋が…。
匂い袋、何故追いかける?
まるで、わたしを焦がれて付きまといたいかのよう。
枯れ始めた六十女に、何をもたらしたいのか。呆然と立ち尽くしたわたしの前に、おばさんがいた。
「おねえさん、食べる楽しみ戻ったみたいやから、次はこれ、どう。これあげる」
わたしの足元の匂い袋を拾いあげ、目の前にかざした。
赤くなって、きらりと光った。その瞬間、わたしは死を意識した。今度、気絶したらそのまま、あの世行きかも…。極端な考えが浮かんで消えなかった。
これで、止めにする?
いいの?
いやだ。生きていたい。
匂い袋は、わたしのアイコンなのだ。
きっと。
追いかけてきたのは、心の闇。
桜まつりのある神社は、参ると人の奥深い囚われた心の闇を炙り出すこともあるらしい。訪れた者全てとは言わないが、多かれ少なかれ心に闇を持っていると思う。皆、わたしのように匂い袋に付き纏われているのだろうか。
そんなわけない。もし、わたしと同様の出来事が多くあったら話題になっているはずだった。未だにそのような話は聞いた事がない。
わたしは、幻影を自ら作り出してしまったのだろうか。
桜まつりは、きっかけに過ぎないのか。
二十年前、わたしの中の何かが壊れた。違う。もっと前から壊れていた。
その何かとは…。
気絶しない。何かを知るまでは。
心の中で叫ぶと、匂い袋は消えていて、おばさんもいなかった。
本当に?
わたしは、背後に視線のようなものを感じて身震いした。
「おねえさん、これあげる。まだまだ、開放されてないよ。ほら」
振り返ると、今度は、白い匂い袋が揺れていた。わたしの心を弄ぶように、ゆらゆらと…。
了
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