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  人間に限らず、生有るものは食することで、命を保っているだろう。わたしには、命を保つため、食べることを行うが、食欲というものがない。おながが空いた、おいしいもの食べたいなあとか、甘いケーキの匂いを嗅いでも、なんら興味がわかないのだ。ケーキでなくてもいい、あらゆる食べ物の匂いに、そそられることがないのだった。今では、一日のうち一回か二回軽い食事、フルーツや野菜と、たんぱく源になるものを採る。見た目の満足感が得られれば、それでよいのだ。  わたしは還暦を過ぎた六十女だが、健脚で出かけることに億劫さは感じない。とはいえ、身体はやせ細り、見た目は同世代と比べてみれば、痛々しく老人の体かもしれない。昔の六十代といえば、老人という言葉そのものの肉体が当たり前のように思われたが、現在では歳をあかさなければ、まだ、中年としか思えない若々しい肉体を持っている男女が多いと思う。そして、みな、食欲も衰えないのか、「おなか空いたね~」「〇〇のケーキはいつも売り切れ。早く、店に買いに行かないと。もう、おいしいから病みつき~」など、食べることに意欲満々な友人たちを見ていると、わたしは自分がおかしいのかとも思ってしまう。    今では、食になんら興味がないわたしだが、昔からそうではなかった。二十年前、ある出来事から変わってしまったのだった。  二十年前の春  ある神社の桜まつりを観に行った帰りのこと。帰りのバスを待つ間、土産物屋を冷やかしながら時間をつぶしていた。やがて、それもあきてバス停に向かい、設置してあったベンチに腰をかけ、ぼうっとしていたのだった。連れがなく、一人で散策するのもいいな、なんて思い耽っていた。その時、 「おねえさん、これあげる」 「は?」声をかけてきたのは、見知らぬおばさんだった。 「さっきのお店で、あなた、これを見ていたでしょ。いいかなと思って買ったのよ」 「はあ」それは小さな茶色の匂い袋だった。おばさんは、無理やりに押し付けてきたので、とっさに受け取ってしまった。返そうと思ったが、その時バスが来た。帰る方向のバスは一時間に一本しか来ない。だから、優先順位はこのバスに乗ること。おばさんと匂い袋のことは気になるが、そんな話をしている場合じゃない。そう決断してバスに乗り込んだわたしは、後ろにおばさんも乗ってくるかと思ったが、乗ってこなかった。そればかりか、車窓から振り返ると、おばさんの姿は跡形もなく消えていたのだった。               続く
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