1人が本棚に入れています
本棚に追加
3
意識を取り戻したのは、翌朝だった。匂い袋を香ろうとして意識がなくなったはずなのに、その匂い袋が無くなっていた。無意識に、倒れる瞬間に放り投げたのだろうか。だとしても、部屋の何処かにあるはずなのに、見当たらなかった。
わたしは、一人暮らしのマンション住まいなので、家族が勝手に片付けるなどありえない。家に帰ったら習慣でドアに鍵は即座にかける。念のため、見に行ったが鍵はちゃんとかけてあった。
匂い袋がひとりでに消えた?
まさか、と思う。
その時から、わたしの食生活が変わっていった。仕事が忙しく、会社が軌道に乗るまでのことだろうと思っていた。だけど、どんどん美味しいものに興味がなくなるばかりか、食欲そのものがわいてこなくなった。ただ、何も食べないという選択することもなかった。ある意味、ヘルシーな食生活に変化したとも言えた。
だけど、成分的にヘルシーでも、機械的に身体に食物を摂取するに過ぎない食生活は、人間としての営みというより、檻に入れられたモルモットのようで、楽しみがない。友人と食事する機会があっても、楽しめないのだ。
大げさではなく、人生を謳歌するには程遠い毎日となっていった。
知らず知らず、そんな毎日に慣れていき、二十年経った今、食べる楽しみがあったことを懐かしむことすら無くなっていた。
忘れていた匂い袋のことを思い出し、食生活のことを振り返ってしまったのは何故だろう。わたしは、ふとわいた心の揺らぎに居心地の悪さを感じた。
二十年前に立ち上げた会社は、困難なときもあったが、今では軌道に乗り、従業員を雇えるほどの規模になっていた。わたしが毎日会社に行かなくとも、仕事がまわるようになった。そろそろ、少し自由な時間を持ってもいいのかもしれない。
春だった。二十年前に訪れたきり行ってなかった神社の桜まつりの季節だった。そこは、家から電車やバスを乗り継いで二時間近くかかる。ちょっとしたプチ旅行感覚だ。わたしは、思い立ち、久しぶりに行ってみようと思ったのだ。
これが、心を揺さぶり、ある決断を強いるきっかけになるとは知る由もなかった。
桜まつりは、二十年前と変わっていなかった。ただ、桜を愛でる人々の振る舞いは随分と違っていた。桜を背景に写真をスマートフォンで撮り続け、桜の美しさや香りを心に留めるのではなく、ただ記録を収めているに過ぎないのではないか。
そういった行為も人それぞれ。どうでもいいじゃあないかと思えばいいのに、わたしの心は癒されるばかりか、余計に疲れた気分になっていた。
もう、帰ろう。
これ以上、心がいたたまれなくなる前に。
帰りすがら、土産物屋がまだあるかと探してみたら、もうなかった。変わりに、コンビニが出来ていて、そこでちょっとした土産物も置いているようだった。わたしは、ちらりとのぞいただけで、コンビニを後にした。
バス停に着くと、この日はちょうどバスが来た。また、待たされるようだったらあのコンビニにでも寄って、時間つぶしをせざるを得ないところだったから助かった。
以前、ここでおばさんに話しかけられ、匂い袋を押し付けられた。この日は、そんな奇妙なこともなく、バスに乗った。
まだ、午後も明るいうちだったからか、バスの中は誰も乗っていなかった。わたしが唯一の乗客となった。そこで、車内中程の窓ぎわの席に腰を下ろした。ふと足元を見ると、匂い袋が落ちていたのだ。
続く
最初のコメントを投稿しよう!