レールガン

1/1
前へ
/15ページ
次へ

レールガン

朝、5時半だった。 僕は時計を見ていた。 「早い…」 いつもは身体を引き剥がすのに苦労して、ギリギリまで布団から出られずにいたのに。 昨日のが、効いてるのか。 早く寝たからか。 それにしてもあの手は、不思議だったな… 僕は昨日の手を思いだしながら朝の支度をした。 朝飯を食べてゆっくりコーヒーを飲みアパートを出る。昨日の朝、寝癖もそのままにバタバタと出た玄関が嘘みたいに今日は静かだった。 睡眠て、凄いんだなあ。 自転車に乗って15分、職場につくと作業着に着替え、仕事にかかる。 注文伝票を見ながらフロア内を移動し、かごに入れていく。指定の件数が終わったら、各注文ごとに伝票と品物を確認しながらコンテナへ詰める。 コンテナに伝票を添えてサインを入れて、配送担当へ引き継ぐ。 冷蔵や冷凍、重いドリンク類なども多く、ネットスーパーのピッキングは割と重労働だ。 それでも、単純作業で人とあまりかかわらないで良いのは、僕のような人間にはとても過ごしやすい場所だと思う。 できれば、激しく生きることは避けていたい。 大きな声を出したり、喧嘩したり、感情をむき出しにするのも、そういう人を見るのも、苦手だ。 仕事を終えて、毎日同じルートで帰る。 昨日は少し寄り道をした。 気になって、また今日も、寄り道をしてみた。 あの店の前で、自転車を降りた。立ち止まって、でも通り過ぎ、隣のコンビニに自転車をとめた。 特に買うものもなかったけど、コンビニに入り、店内を回り、ビールを買う。 結局、そのまま自転車に乗って家に帰ってきてしまった。 モヤモヤしたまま、今日もまたいつもと同じ夜をすごし、同じことを繰り返して朝を迎える。 次の日も早い時間に目が覚めた。 せっかくならと、20分だけ走ることにした。 20代のころ、まだ自分に期待を持てていた頃は、ランニングや軽い筋トレくらいはしていたけど、30を超えてからはもう、自分の身体のことなど、面倒になってしまっていた。 (時々ハードにやるより、ほんの少しづつ毎日やれる方が良いみたいですよ) 手の人はそう言ってた。 20分あれば、3,4㎞くらいは走れるかな。 僕は以前使っていたウェアとシューズを出して、アパートから少し離れた小さな神社を目指して走り始めた。 路地を抜けると、地元の神社に続く一本道に出る。 アパートからは歩くと15分ちょっとかかる。 軽く走れば10分で鳥居の前までいけるだろう。それで往復20分だ。 戻ってシャワーをして、着替えて、それでも出勤時間には余裕がある。 深呼吸して軽い準備運動をする。 鳥居に向かって走る。 身体が軽い。 だけど、数年ぶりに急に走ったから、片道でもうバテてきた。最後の方はほとんど歩いていたと思う。 予定より5分ほど遅れてアパートにつき、シャワーを浴び、着替えて、余裕がなくなった時計を見て、あわてて仕事場に向かった。 (バカみたいだな…) 僕は情けなくなって自転車をこいでいた。 また同じ一日の始まりだ。 品物を集め、確認し、サインをして、次へ送る。 単純作業も確認作業も得意だから、苦労はないけど、このまま一生続けるのかと聞かれたら、答えに詰まる。 朝のジョギングの疲労を抱えたまま、仕事を終えてまた自転車に乗ってアパートを目指す。 今日も、あの店の前で止まってしまった。 少し考えて、店に入ってみた。 見渡すと、一昨日いた人たちと少しメンバーが違う。 受付で指名はあるかと聞かれたけど、名前を聞いていなかったから、困った。 来た日と自分の名を聞かれ、答えると、パソコンをカチカチさせ、1回目のスタッフは今日はいないといわれた。金曜日にしか来ていない人みたいだ。 問題なければ他のスタッフが対応すると言われ、そのままやってもらうことになった。 (電話してからにすればよかった…) さすがにこの場で『じゃあ、いいです』とは言いづらい。 代わりにやってくれた人女の人で、でも1回目のあの人とはすべてが逆だった。声が大きくて、ベッドのまわりを良く動く。落ち着かない。 そして、とにかく痛い。 細い指でギュウギュウ押されると、身体の表面だけが痛くて、それに耐える60分だった。 終わるころには汗がベタリとまとわりついて、身体はぐったりとしていた。 やっとの思いでアパートにつく。 気分が悪く、そのまま横になった。 うとうとして、あの、手の人の感触を思いだしていた。 (ああ、あの人の手で圧されたいな…) はじめて触られたとき、うつ伏せで背中から足にかけて、ベッドの奥まで沈むような圧迫で、だけど全然苦しくなくて まるで、全身があの人の両手のひらに挟まれてピタッと閉じられたみたいに。 まるで、真空パックのビニールでぴっちりと密閉されたみたいに。 まるで、身体全体があの人の中に入って潰されてしまったみたいに。 ぎゅうっとしてあたたかく、ゆったりとした感触。 僕はこのまま、あの人の中で全身を包まれて、潰されて眠りたい。 その瞬間身体の末端から中心に向かって急激に何かが這うような感覚に襲われる。 津波のようにそれは押し寄せる。 (あ、) と思った時にはすでに遅く。 落雷。 隅々まで一気に電流が流れる。 そしてその電流は、僕の中心から、一番大きな衝撃をもって放たれた。 バチっと目が覚める。 起き上がり、放心して、ゴクリと唾をのむ。 ズボンの中の状態は理解した。 (マジか…中学生かよ…) 夢でなんて、大人になってもあるのか。 なんか、人間は面倒な生き物だな… 最近疲れすぎてて、そんな気も起きずにいたからな…時々は抜けってことか。 一人の部屋なのに、急に恥ずかしくなってきた。 でも、あの人の前じゃなくてよかった。 ホントに。 夢で、良かった。 僕はのそりと起き上がり、まだ痛い身体を引きずって、風呂場に行った。 小さなユニットバスで、滝行のように、後頭部と背中から温めのシャワーを受け、まとわりついたぬめりをゆっくりとぬぐうと、密着した手のひらを、つい、上下させていた。 シャワーのお湯で少し水分を足された白濁は、ぬるぬるとさらにまとわりついた。 夢の中で無意識に放たれてなお、強いままのもう一つの僕は、そのたびに脈打つ。 もう片方でぬめりとともに先端を包み込むと、まるであの手で全部を圧迫されたみたいだった。 目を閉じ、自分の手を置いた場所にそれを想像し、擦りながら力をいれた。 ぐちゅ、と粘度の高い音を立て、手のひらは熱くなる。 ガクガクと震える膝でやっと立っている僕から漏れる声を、シャワーの音がかき消してくれている。 やがて吐き出された流体が、指の隙間から溢れて落ちた。 僕の熱いどろどろは、まとわりつきながら、湯に流れ、ぬるぬると排水溝に吸い込まれていった。
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!

39人が本棚に入れています
本棚に追加