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なんで?
大きな窓に面したカウンター席。
テーブルに座るより隣同士で話しやすいし、お互いそんなに大きな声で話さないから丁度いい。
なんて切り出そうか考えて、何も喋れない僕。
「…… さっき、なんか授業の前に言いかけてたよね? 」
「う、うん」
「いつも流れで一緒にお昼に行くのに、授業前に行こうって言うなんて珍しいなって思った」
久紫さんから切り出してきてくれた。
好都合だったけど、どう訊けばいいのかまだまとまってない、どうしよう。
「あのさ…… 二年生の…… 」
訊こうと決めたのに、ここにきて戸惑ってしまう。
だめだよ、訊かなきゃ、ずっとモヤモヤするよ。
「うん、なに? 」
「…… に、二年生の…… た、たか…… 高嶋さんって知り合い? 」
言った、訊けた、胸がどくどくする。
あ………… 。
普段あまり表情が変わらない久紫さんの顔が、あきらかに強張っている。
どうしよう、だめだ、ここで挫けちゃ。なんでもないふうに会話を続けなくちゃ。
「…… ひ、久紫さん? 」
「ん? ん、んん…… 」
返事が口ごもり、困った顔をしている。
やっぱり訊いちゃ悪かったかな…… 久紫さんの様子をみて、今度は申し訳なく思ってしまった。
久紫さんの困った顔は、とても心が痛い。
「ご、ごめんねっ!なんか、変なこと訊いちゃったかな? 」
って咄嗟に謝ったけど、変なことじゃないよ、普通に考えたら。
僕が勝手に久紫さんの好きな人だと、ネックレスのイニシャルの『 Y 』さんはあの人なんだと思ってるから、イコール変なことってなってるだけじゃん。
「あ、別に変なことでもないか」
あははは、って、かなりわざとらしい言い方と笑い方になってしまって、とても気不味い。
「ひ、ひさ、久紫さんをよろしく、って言われてさ、知り合いなのかなぁーって思って訊いただけなんだ」
しどろもどろな感じの言い方になってしまったけど、なんとなく訊いたふうに、素朴に疑問に思っただけだよ、というふうにして言った。
言い方はちっとも素朴じゃなかったけど。
「…… 依杜に、そう言ったの? 」
え?
え? 依杜?
── 俺は依杜って呼んでいい?
って、言ってからだいぶ経つのに、一度も呼ばれたことがなかった。
あのさ、とか、ねぇ、とかから会話が始まっていて、『春住くん』とも呼ばなかった。
なのに今、そう呼ぶ?
依杜って、呼ぶ?
嬉しいやら、高嶋さんのことで切ないやら、胸の中がどうしてよいやら大騒ぎ。
「う、うんっ」
依杜って呼ばれたことに反応しちゃいけない、そしたらもう、そう呼んでもらえなくなる恐れがあるから、平静を装って返事をしたけど声が裏返ってしまう。
眉を上げて僕を見る久紫さん。
声が裏返ってしまったのが、きっと面白かったんだな。でも笑っちゃいけないって思っての、久紫さんのそんな顔なんだと思った。
「…… カレー付いてる」
口元を指差して、無表情の顔で言われたから途端に気持ちが落ちてしまった。
…… どうして僕はいつも、口の周りにカレーを付けてしまうんだろう。
そして、どうして今日、カレーにしてしまったんだろう、久紫さんと一緒の時は避けていたのに。
高嶋さんのことを訊くんだって、そればかりを考えていたから、なにを食べるかちゃんと考えられなくて、無意識にカレーを取っちゃったんだ。
「あ…… 」
「反対」
土屋くんの時と同じ、付いている方とは反対を指で拭いてしまう。
するとスッと久紫さんの指がのびてきて、僕の口の端に付いているカレーを指先で拭うと、なんの躊躇もせずに自分の口に運んだ。
「え…… 」
ドキドキと心臓の鼓動が激しくなる。
今、なにした? 久紫さん…… 。
ねぇ…… なにした?
どくどくどくどく、体も揺れそうなほどに大きな鼓動。
「…… 二年の高嶋って…… 高校の先輩」
「えっ!? 先輩!? ってことは、東高? 」
なんで揃いも揃って、この大学にそんな難関高校出身者がいるのか驚いた。
…… 揃いも揃って?
自分で思って心の中で繰り返した。
「せ、先輩なんだ、そうか…… すごく親しかったんだね」
「………… 」
いけない、“ すごく ” が余計だったかな。
「ぶ、部活が同じだったとか? 」
「いや、なんの部活にも入ってなかった」
「あ、生徒会? 」
一点を見つめたまま僕の質問に答えるから、嫌な予感と気不味いのとで声が震える。
「………… 付き合ってた」
「あ、そ、そうなんだ………… えっ!? 」
えっ!? 付き合ってた?
付き合ってた? あの人と? 男の人と?
えっと…… それって…… 。
そして、付き合ってたって、過去形?
まだネックレスをしているってことは、久紫さんはあの人を忘れられないの?
『付き合ってた』のひと言に色んな情報が流れ込み、一気に思考が駆け巡り、僕は固まってしまう。
久紫さんが、僕の口元に付いていたカレーを指で掬って舐めたことなど、どこかへ吹っ飛んで行った、ものすごく大事件だったのに…… 僕にとっては。
「高嶋と、付き合ってた」
「…… そ、そう、なの? 」
としか、僕は言えないじゃない。
それにそれ、さっきも聞いたし。
でも…… なんで?
なんで…… ?
「…… なんで、それを僕に話したの? 」
高校の先輩だった、だけでいいじゃない。
そのあと僕が、部活が? とか生徒会? とかツッコんで訊いてしまったけど、そんなのいくらだって誤魔化せたでしょう?
「………………… なんで、かな…… 」
長い沈黙のあと、ポツッと久紫さんがそう言うと、ちらりと僕を見た。
視線が合うと、静かに目を伏せた久紫さん。
なんでわざわざ、僕に話したの?
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