今までで一番大きな声

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今までで一番大きな声

それから二人して黙ったまま、僕はカレーを、久紫さんはビーフストロガノフオムライスを静かに食べ続けた。 最初の時も久紫さんはこれだったな、とか、ついさっきまでの怒涛の出来事を思い返すこともなく、淡々と食べ続けていた僕。 ティッシュを足元に置いたリュックから出して、ひと口食べるたびに口元を拭いた。 その様子を久紫さんがジッと見ていて、視線を感じる。 「…… 久紫さんは…… ソースが口に付かないんだね」 「…… 普通、そんな付かないだろう? 」 …… なんか落ち込んだ。 久紫さんから何か言われて、落ち込んだのは初めてのような気がする。 「可愛いんだよ、依杜」 (!) なんて? 今、なんて言った? また『依杜』って呼んだことにもひどく反応してしまったし、可愛いって、ケーキ屋さんのバイトの話は今はしてないからね、僕のことを可愛いって言ったのかな? ソワソワしてチラチラと久紫さんを見てしまう。 『 Y 』さんのことも吹っ飛んだ。 気になるけど。 気になりすぎてるけど。 「や、やだな…… 恥ずかしいな…… 」 ドッと汗が吹き出してしまって、今度はハンカチをリュックから出して拭いた。 でも…… 「そのネックレスの『 Y 』って、高嶋さんのことでしょう? 」 ユタカって呼ばれてた。 訊いてしまう。気になるもの。 そしてまた、前みたいに、僕がネックレスに視線を投げた時みたいに、プレートを隠すようにして手で握り締め、スッと目を逸らした久紫さん。 「…… ばれた? 」 …… やっぱり。 「まだ、好きなの? 」 落ち着いて、動揺見せずに落ち着いて…… 必死に自分に言い聞かせた。 「男が好きって、引かない? 」 「引かないよ」 だって、僕も男の人、久紫さんが好きなんだもん。 諦めようって思ってたけど、高嶋さんを見て、到底僕には無理だって思って、ひどく落ち込んだけど、久紫さんも男の人が好きなら、僕にだって少なからず望みはあるんじゃないかって、そう思えてきたりしたんだ。 可愛いって言ってくれたし。 依杜って呼んでくれたし。 口元のカレー、拭いてくれたし。 「高嶋さんが、久紫さんの運命の人? 」 「由汰加(ゆたか)? 」 …… 由汰加。 付き合っていたとはいえ、先輩を由汰加って呼ぶって、さすがにチクって、いやグサッて何かが胸に刺さって、どよんってなった。 いや、付き合ってたんだから普通か、今度はしゅん、となる。 「…… えっと、その…… 高嶋さんとが運命の出逢い? 」 「………… 」 黙ったままの久紫さん。 聞きたかった。 僕にとって久紫さんは運命の出逢いであって、運命の人なんだ。この先どうあれ、久紫さんは特別なんだ。 結ばれることだけが運命じゃない。 「…… まだ、好き? なの? 」 さっきも訊いたけど、答えてもらえていないから、もう一度訊いた。 好きだから、忘れられないからネックレスをつけたままなんじゃないか、頭の中で違う誰かの声がする。 「ん…… どうかな…… 」 少し首を傾げた久紫さんが、僕の方に顔を向けた途端、 「え? 」 って、目を丸くしてる。 なんてこと。 僕は涙をぽろりとこぼしてしまった。 急いで拭い、慌てて足元のリュックを手に取り、この場から去ろうとした。 まだ半分くらいカレーは残っていたけれど、椅子から立ち上がりトレイを持ち上げて返却口へ向かおうとすると、 「ちょ、まっ…… 」 久紫さんの声がしたけど、構わずに進んだ。 だって、次から次に涙がこぼれてくるんだもの。 「待って、待ってよ、依杜」 依杜って初めて呼んでもらえた日なのに、というか、久紫さんと一緒の日は何かと色んなことが記念日みたいになって、それが却ってつらい。 珍しく慌てたような久紫さんの声と、ガタガタと音を立てて追ってくるような気配も感じた。 でも僕は泣いている顔を見られたくなくて、食堂をあとにしようと急いだ。 「待って、お願いだから待ってよ」 ── お願いだから と言われ、食堂を出たところで思わず立ち止まってしまう。 久紫さんからのお願い、無視ができない。 「…… なんで…… 泣いてる…… の? 」 恐る恐る僕に訊く。 そう言われて、さらに涙がこぼれてきてしまい、顔がぐしゃぐしゃになる。 こんなふうに泣くの、どのくらいぶりだろう、恥ずかしいのに涙が止まらない。 「わか、じぶ、んでも…… わか、んない、ん、だ…… 」 しゃくりあげながら、ようやく話した。 ううん、本当は分かってる。 久紫さんに忘れられない人がいることが、切なくてつらいんだ。 一緒にいられるだけでいいって、そう自分で思ったくせに、やっぱりそれだけじゃ嫌なんだって気付いてしまって苦しい。 「あーあ、泣かしちゃだめじゃん」 突然の声に、涙を流したまま振り向いた。 っ!! 高嶋さん! 「久紫に泣かされたの? なにしたんだよ久紫ぃ、久しぶりじゃん」 「…… 由汰加」 ボソッと、つぶやいた久紫さんの声が聞こえた。 なんて気不味いんだ。 おかげで涙が止まってくれたけど、あまりの不穏な空気が耐えられない。 僕はこの場を去った方がいいのかな…… でも、久紫さんと高嶋さんを二人にするのは嫌だった。 手の甲で涙を拭い、沈黙のまま三人で立ち止まったまま。 それでも高嶋さんは、にこにことしている。…… どうして? 「行こう、依杜」 僕の肩を抱き、高嶋さんから離れようとする久紫さん。 そんな、肩を抱かれるなんて初めてだし、ドキドキとして仕方がないんだけれど、高嶋さんとのことが気になる。 「久紫〜、俺、来月編入試験だからさ、終わったら傾向と対策、教えてやるから」 背中に高嶋さんの声が少し遠くに聞こえた。 編入試験? 他の大学への編入? 僕が反応したことに気付いた久紫さんが、「気にするな」と気不味そうに言う。 気になるよ。 傾向と対策って? 久紫さんも編入試験を受けるの? 付き合ってたって、過去形だったよね? 先輩と後輩としての付き合いはまだ続いてるの? でも久しぶりって言ってた。 頭の中がぐちゃぐちゃになる。 途端に心許ない顔になって久紫さんの横顔を見つめた。 肩を抱かれているから顔がすぐそばにある。綺麗な顔。 「このあと授業? 」 「…… う、ん」 「何限まで? 」 「今日は…… 四限まで、だけど…… 」 いつになく必死な感じの久紫さんに怯みながらも、消化しきれない思いをたくさん胸に秘めたまま答えた。 「俺も同じだ。話しがあるから帰り待ってて」 えっ!? 一緒に帰るの? すっごい嬉しいのに、あまりに色んなことがありすぎて単純に喜べない胸の内が悔しかった。 肩においた手を離すと軽く走りだして、僕に振り向きながら少し大きな声で言う。 きっと、今まで聞いた中で一番大きな久紫さんの声。 「終わったら、時計台で待ってて!」 もう、何がなんだか分からないけど、とにかく胸がとくとくとして、 踊りだした胸が「うん!」って大きく応えている。
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