ネックレスのイニシャル

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ネックレスのイニシャル

それからも何度か学食や構内で見かける機会があって、そのたびに目が合って、思い切って会釈をしたら、一瞬の間をおいて、結木さんも軽く会釈を返してくれた。 季節は梅雨のど真ん中。 あ…… 。 結木さん。 学食のいつもの席で食事をしている。 今度学食で見かけたら、結木さんのところに行ってみようって、決めてたんだ。 でも、やっぱりドキドキする。 「…… 隣り、いいですか? 」 頑張った。 いるのが分かったから、食べやすい丼ものにした。 うどんやそば、ラーメンだと汁が飛んじゃいそうだし、定食だと食べる順番で迷い箸をしちゃう時があるし、カレーはよく口の周りに付いちゃうんだ。 「春住くん、口に付いてるよ」 って、よく土屋くんに指摘される。だから、丼もの。綺麗に食べれそうな焼き鳥丼、ひと口で入れられるから。 「…… あ、ああ…… 」 やった、拒否されなかった、てか、「だめです」って言わないか、普通。 でも結木さんなら言いそうだな、なんて思いながら、思い切り顔が綻んだ僕。 結木さんはビーフストロガノフオムライスを食べてた。お洒落だ、結木さんらしい。 「雨、降り始めましたね」 「…… ん」 カウンター席は大きな窓に面している。 三号棟食堂は五階にあって、窓から下を見ると濡れた地面。 湿気の多い梅雨は大嫌いなんだけど、こうして結木さんと初めて学食を食べたから、記念日みたいで、きっと大好きな季節になる気がした。 「………… 」 会話が途切れる。 ふわっと、エレベーターで香った匂い。 結木さんの香り、すごく心地いい。 ── いい匂いですね なんて言ったら、ちょっと変だよね、じわっと汗を掻いた。 でも、なにか言わなきゃ…… どうしよう、ちゃんと考えてたんだけどな、ドキドキして吹っ飛んじゃったよ。 そうだ、思い出した。 「たまにパティスリーYANOに来てたって言ってましたよね、なにが好きですか? 」 「………… 」 僕の方に顔を向けてちらりと見ただけで、また顔を正面に戻した結木さん。 あれ? なんか変なこと訊いちゃったかな? 「…… 同じ歳なんだから、敬語使わなくていいよ」 えっ!? そんな…… 嬉しすぎる。 でも、緊張するな…… ため口。 「う、うん…… 」 「…………………… 」 ああ、会話が途切れちゃった、どうしよう。 「チーズタルト、特にブルーベリーが好きかな」 答えてくれたっ! 嬉しくて顔をギュインって、結木さんの方に向けちゃった。 「僕も好きっ!」 あ、敬語じゃなくて話せた。 それに『好き』って…… 結木さんに『好き』って告白したみたいになっちゃったよ。 え? 好き? 結木さんを? そう思ったら途端に顔が赤くなってしまって、体中に汗を掻き始めた。 「…… 春住…… なんていうの? 名前」 「え? あ、依杜です」 あ、また敬語になっちゃった。 「どういう字? 」 「にんべんに(ころも)と木へんに土の(もり)って書きます」 …… だめだなぁ、敬語になっちゃう。 「名前も綺麗で可愛いな」 そんなことを言われて、燃えるほどに顔が赤くなった。それに、結木さんからそんな言葉、想像ができなかったし。 そうだ、 「結木…… さんは? 」 「ん? 」 「名前…… なんていうの? 」 あ、ため口話せた!それに名前も訊けた! 「久紫(ひさし)」 「どういう字? 」 「久しいに紫」 …… かっこいい…… 目を真ん丸にして、見入ってしまった。 それに名前を教え合うって、なんか、すごくない? にやにやとしてしまう。 「かっこいい、結木さんらしい名前だねっ!」 思わず言ってしまったら、結木さんが僕を見て、ほんの少し口角を上げた。 えっ!? 今、笑った? 笑ったよね? 「…… 俺らしいって、なに? 」 ちょっと、くすってしてる。 初めて見た結木さんの笑顔、すごく小さい笑顔だったけど、僕には大きな嬉しい笑顔。 土屋くんが言ってたよね、結木さんが誰かと話してるのを見たことないって。なのに今のこの状況、これって…… どういう状況なんだろう!? 紅潮した顔で、にやけてしまう口元を必死にこらえた僕。 僕、結木さんが好きなんだ…… って、思った。 でも、僕は誰かを好きになったことがなくて、『好き』って感情はよく分からないけど、きっと、今のこの気持ちって『好き』ってことなんじゃないかって、そう思った。 結木さんが笑っただけでこんなに嬉しいんだ。 いつも結木さんを探してしまって、見つけるとすごく嬉しくて、目が合ったらもっと嬉しくて、会えなかった日はすごく残念で…… 誰かにこんなふうに思ったことがないもの。 男の人だけど…… でも、そういう人も世の中にはいるんだもん、変なことじゃないよ。 それに、誰とも話さない結木さんが僕に話しかけてきたって、ちょっと、もしかして、とか思ってしまうんだ。 これは、運命の出逢いなんじゃないかって、結木さんは僕の運命の人なんじゃないかって、勝手に思ったりしたその時、結木さんのプレートネックレスに刻印があるのが見えた。 アルファベットで一文字、『 Y 』。 イニシャル? 結木の『 Y 』? 自分の苗字を刻印する人っているのかな? 百歩譲って名前の方だよね…… 誰のことかな? 僕も『 Y 』だけど…… なんて、ばかなことを思う。 でも、途端に胸がぎゅって痛くなって、オムライスを食べている結木さんを見ていて、少し悲しく、ひどく切なくなってしまった。 恋に初めて気付いたのに、もう失恋しちゃったよ、って思って。
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