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すきにして2
一
阿部課長からの逃避行メッセージを読み終えた山中雅はハタと考える。
これからどうしようかと考える。
課長がいなくなった理由を栗田部長にしなければならない。
あんたの部下がゲイで、マゾでおまけに部下の社員に自分が女装するのを手伝わせたのだ
女装になってみて目覚めた課長は、会社をほっぽりなげて行方をくらました。
どう考えても罪は重い。
間違いなく激怒するだろう。
多様性が認められるようになってきたご時世ではあるものの、それは自分たちにかかわりのないところだけでのこと。
自分の身の回りで起こることについては、まだまだ保守的で男は男らしく女はしとやかにというのが常だ。
まして、相手は昭和生まれの栗田部長だ。
ことをそのまま雅が明らかにすれば、どんな騒動が待ち受けているのか……。
考えただけでも背筋がぞくっとして震えがくる。
厄介なことは避けて通り過ごしたい。
穏便に過ごす方法はないものかと雅は悩む。
課長が勝手に消えたのだ。自分は何も悪くない。
知らぬ存ぜずで通すせばいいじゃないか。
無関係でいることにしよう。
飛んでくる火の粉は避けようと決めた。
課長の家から会社に戻ると、
「係長、部長が呼んでましたよ」
と根本純に告げられ、雅はドキッとする。
きっと課長のことを聞かれるはずだ。
部長室に入るや否や、部長が、
「阿部課長はどうしたんだ」
と叫んだ。今にも怒りが爆発しそうだ。
部長の勢いに雅は耐え切れなかった。
知りません! と、どうしても言えなかったのだ。
「なにか、新しい企画を思いついたようで、至急調査に出ると言って出かけました……」
とっさに出た嘘だった。
「ほぉ、そうか、新企画なぁ…… 部長会議での発表を考えてかぁ…… 早く言ってくれりゃいいのに…… アベッチも水臭いなぁ……」
さっきまでの険しい顔が緩む。
「えっ、アベッチ……?」
雅は耳を疑った。部長が課長をアベッチと呼んだからだ。
雅のけげんな様子に部長が気づいた。
「いやいや、アベッチじゃないわ。阿部課長だ。まぁ、そういう事ならしかたがない。今日の部長会議は延期するしかないなぁ…… 課長のことはわかった。自席に戻ってくれ」
とりあえず栗田部長の爆発は抑えることができた。
しかし雅は釈然としない。
課長のやらかした騒動に自分が巻き込まれてゆく気がするからだ。
とっさに言った嘘に心から悔やむ雅であった。
その日の夜である。
雅の携帯が鳴った。
相手は課長からだ。
「もしもし、山中係長どすか?」
「はい、そうですけど…… じゃないですよ。課長、まったくぅー 消えてしまうし…… 手紙読みましたよ。自分探しの旅に出るとか書いてありましたけど……」
「そやねん、自由になりとうて自分探しの旅に出かけたんどすけど…… すぐに自分を見失ってしもうてなぁ」
「見失った……?」
「そやねん。誰に何も言われずどこに行ってもいいとなったら、なにもでけへん自分に気がついたんどす。ワテは会社にいてやることがあって、忙しゅう動き回ってなんぼの人間だす。何もやることがなくなったら、いきなり自分はなにものやねん! ということになって自分が分からんようになったんどす。自由気ままに生きているより束縛されていきてる方がいいんだす。純さんに縛られたときのことを思い出したら、なんかゾクゾクしてきますねん」
「もう! 会社に戻ってくる気はあるんですか?」
「うん、会社に出たいんやけど、栗田部長…… 怒ってはりますやろなぁ」
「部長には至急の調査に出たと言っておきましたよ。そしたら部長、喜んでアベッチとか言ってましたけど」
「えっ、部長がアベッチって…… ほんまに言うたんどすか?」
「そう言ってましたよ」
「言うてもうたんかいな……」
「なんかあったんですか?」
「実はなぁ、係長やから言うんやけど、昔、栗田部長とはクリッチ、アベッチって言うてなぁ。一緒に暮らしてたんや」
「げえぇ! ほんとですか?」
「ほんまやねん。けどな、クリッチ…… いや栗田部長が先に部長に昇進してから、仲が悪うなって別れたんどすがな」
「ってことは、以前は恋人同士だったって……?」
「そやねん。クリッチ、ちょっと腋臭でな。臭かったんやけど優しかったんやでぇ」
課長が電話口で懐かしそうに言うのを聞いて、雅は
「いやいやいや、もうわかりました。その話はもういいです。いずれにしても明日はしっかり出てきてくださいよ」
どうでもよくなって電話を切ったのだった。
部長と課長が付き合っていたのかぁ。衝撃の事実を聞いて、いったいこの会社はどうなっているのか、働く意欲をなくす雅である。
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