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第2話 メリーさん
『わたし、メリーさん。いまゴミ置き場にいるの』
その電話が、知らない番号から掛かってきたのは、3日前のことだった。
小さな女の子の声。回線の状態が悪いのか、ノイズ交じりで聞き取りづらい。
つい通話してしまったが、リダイヤルすると、使われていない番号だと告げるメッセージが流れた。
1週間前別れたばかりの彼氏のことが思い浮かぶ。パソコンいじりが趣味で、和製ホラーが好きだった。怪談話を模したタチの悪い悪戯だろう。
『わたし、メリーさん。いま駅の前にいるの』
次の日、また知らない番号からの着信があった。
取らずに無視していたら、留守番電話サービスにメッセージが残されていた。
スピーカーからは、駅のアナウンスと雑踏の響きが漏れ伝わる。
「あんたねえ、下らない嫌がらせやめなさいよ!」
『ルミか? いきなり何の話だ?』
「とぼけないで! 今度ヘンな電話してきたら、警察に相談するから!」
『っていうか、お前番号変えてたのな。これがあたらしいナンバーか』
そうだ。未練たらしいところのある男で、別れる時にはずいぶん揉めた。念のため、スマホの番号は変えたばかりだった。
「違うならいい。着信履歴はすぐに消去して。掛けてきたら警察だからね!」
『そっちから掛けてきて、何を勝手に――』
通話を切り、折り返し掛かってきた番号を着信拒否リストに叩き込み考える。
メリーさん。可愛がってた西洋人形を捨てて、復讐される話だったか。大学生の私の部屋には、捨てる以前に西洋人形が存在しない。
「いや……あったか。でも、あれは」
思い当たったのはおぼろげな幼少時の記憶。
「あ、母さん久し振り。変なこと聞くけど、確か家にフランス人形あったよね?」
『なんね、何か月も連絡よこさんと。お盆は帰って来れるね?』
「いいから。帰るから。それより、人形のこと」
『あったね。けんど、こないだの台風で、屋根飛ばされた小屋をこぼったから。その時いっしょに捨ててしもうたかも。あんたちゃんとごはん食べとる? どうせ失敗するけん、ダイエットばっかしちゃいけんよ。今度ナス送るけん。トマトのほうがよかとね?』
長くなりそうなので、お座成りに返事をして通話を終わらせる。
確かにあった。母方のおばあちゃんから貰ったものだけど、精巧なビスクドールは、子供心にどこか怖く感じられて。可愛がるどころか、飾りっぱなしでほとんど遊んだ記憶がない。
そもそも、高価なものだから誤って壊してはいけないと、あまり触らせて貰えなかったはずだ。仕舞いっぱなしのうえ捨てられたのは可哀そうだけど、私を恨むのは筋違いじゃないの?
『わたし、メリーさん。いまあなたのマンションの前にいるの』
そして次の日。用心して友達の部屋に泊めてもらう約束をしたのに、荷物を取りに部屋に戻ったその時、電話が掛かってきた。
未だに半信半疑だったけど、一人の部屋で耳にする少女の声に鳥肌が立つ。
スマホの電源を落とそうかとも思ったが、次の居場所が分からないのも怖い。鉢合わせする前に、非常口で外に出れないかとドアノブに手を掛けると、着信音が鳴った。
『わたし、メリーさん。いまあなたの部屋の前にいるの』
背中を冷たい汗が伝う。
動けない。
扉一枚隔てた先にそれがいる。
ドアノブに掛けたまま、凍り付いたように固まった指を無理矢理引き剥がす。
いまさら無駄だとは思いつつも、音を立てないようじりじりと後ずさる。
窓からベランダ伝いに隣の部屋に逃げられないか。
3階だから、上手く飛び降りれば怪我だけで済むんじゃないか。
そもそも、あの話の結末はどうなるんだっけ?
後ろ手に掃き出し窓の取っ手に触れた瞬間、着信音が鳴り響いた。
聞きたくない。これを聞いてしまえば、私は――
私の意志とは裏腹に、私の右手はスマホを耳に押し当てる。
かすかな息遣い。背後に何かの気配を感じる。
『わたし、メリーさん。いま――』
「ファッフゥゥ~~ッ!! ご指名ありがとうございます、カズマですッ! フゥ~ッ!!」
いきなり玄関の扉が開き、濃いサングラスをかけたリーゼントの男が押し入ってきた。
「な、何? ……誰!?」
土足のまま踏み込んできた男は、背後の気配に気圧され、反応できないでいる私の手から、容易くスマホを奪い取った。
『――あなたの後ろにいるの』
「オ~~ゥフ。そんなに近くにいるなら、この胸に手を回して、耳元で囁いてくれないかい?」
甘いバリトンボイスで囁く男。自らを抱くようにしなを作り、艶めかしく手指を動かして見せる。
「な? 何者? ……あなた誰?」
「カズマですッ! フッフゥ~ッ!」
だから誰? っていうか、メリーさんは?
いまどっちの後ろにいるの?
『バ、バカなの? ロリコンなの? あなたの背中を抱けるくらいになったら考えてあげるわよ。わたし人形だから、大きくならないけどね!!』
「いつまでも待ってるぜ、ベイベー」
何かの気配はもう感じられず、振り向くと窓からは夕暮れの光が差し込んでいた。
カズマは私に通話の切れたスマホを返すと、額に立てた2本の指で別れの挨拶を投げ、部屋を後にした。
「……だから、誰なの?」
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