第7話 口裂け女

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第7話 口裂け女

「わたし、キレイ?」  人気のない路地裏で、見知らぬ人にそう問い掛けられた時、最適な解はどのような物だろう。  恐らく、聞えなかった体で足を止めずに通り過ぎるか、せいぜい「あれ? ひょっとして、わたしに言いました?」みたいな顔で小首を傾げてみせるといったところか。何にせよ、係るべきじゃあない。  だけど、赤いコートを身に纏い、白い大きなマスクで顔の半分を隠したその女の人は、立ちはだかるように道の真ん中に立っている。マスクは今ではありふれた物になり、季節によっては、街行く人々の過半数が着用している光景すら目にする事もある。  だけど、今はコートの季節じゃあないんだな。  視線を下げ、目を合わせないようにしているけど、知らない振りでやり過ごせそうにはない。  口裂け女。  ママが小学生のころ流行ったという話だ。都市伝説という言葉が日本で一般化されるよりも前の、「怪談」というより「怖い噂話」の類。わたしも昔アニメで見て、「花子さん」と同じような「キャラクター」として認識している。  噂は70年台末に全国的に広まったのだけれど、岐阜が発生源だという話を聞いたことがある。ルーツはさらに古く、明治時代中期の滋賀。恋人に会うため、おしろい塗りで頭にろうそくを立て、三日月型に切ったにんじんを銜え山を越えた「おつや」という女性がモデルだという。夜道で襲われないための扮装だという話だが、ご丁寧に鎌まで持ち歩いていたのだとか。  ママに「怖い話」として聞かされた時は、「キレイです」と返事をすると、「これでもキレイ?」と、マスクを外して裂けた口を露わにするという展開だった。この質問の返答はYESでもNOでもその後の結果は変わらず、捕まるとハサミで同じように口を切り裂かれてしまうという。  その時はただ怖いだけで頭に浮かばなかったけれど、最初の問いに「このブサイク!」と返すとどうなるんだろう。子供を脅して傷付けるサイコパス相手には悪手としか思えないけど、「それほどでもないです」程度なら、なあなあで見逃してはもらえないだろうか?  黄昏時。あたりは薄暗く、そろそろ街灯がともり始める頃合い。路上に人影はないけど、塀を隔てた民家からはテレビの音が聞え、夕飯の支度の匂いが漂って来る。  いざとなったら警報機を鳴らせば、誰か顔を出してくれるだろうか。  いや、相手が刃物を持った狂人だ。その僅かの間でも、無事でいられるか分からない。  それよりも、不意に走り出すか。中学生の脚力なら、逃げ切れるかも知れない。  隙をうかがうわたしの考えを、知ってか知らずか。  女はマスクに手を掛け、ゆっくりとずらし始める。  ちょ、話がちがう!? まだ答えてない!! 「わたし、キレイ?」 「フォ~~ッ!! ユーソー・ビューリホーッ!! カズマですッ!!」  耳まで裂けた口を露わにした女の人とわたしの間に、いつの間にかジャケット姿に濃いサングラスを掛けた男の人が割り込んでいる。 「え……誰……?」 「ご指名ありがとうございます! カズマです!! ン~~ン、ちょっと大きめの口元がセクシーだ。真っ赤なルージュも魅惑的だぜレイーディ!?」  カズマさんが顔を近づけ、顎クイをする形で指を伸ばすと、口裂け女は露骨に顔を歪めのけぞった。 「そうだ、ポマード! 口裂け女の嫌いなヤツ!」  整形手術を担当した医師が、ポマードをベッタリ付けていて、そのせいで吐き気をこらえ切れず手術が失敗したというエピソードがあったはず。カズマさんのびっちり決まったリーゼントの髪型は、ポマードで固めてるんだ! 「オ~ゥ。俺としたことが……」  眉をひそめ、肩をすくめてみせたカズマさんは、植え込みの水やり用に置かれていたのであろう、水の入ったブリキのバケツを手にすると、ためらいもせず頭から水をぶちまけた。 「ちょっと! 何やってるんですかー!?」  リーゼントは乱れ、ポマードの匂いは流れ落ちてしまっただろう。 「君が嫌がる匂いを付けてちゃあ、抱き締めることも出来ないからなレイディ?」  少し強引に腰を抱かれた口裂け女は、顔を反らしてはいるものの、頬を染め瞳を潤ませている。 「キレイになる努力を怠らないコは嫌いじゃないぜベイべ!」  なんだこの茶番……  わたしはいい雰囲気を醸し出すふたりを遠巻きに避け、帰路を急いだ。
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