乾杯

2/4
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ
 その夜、母が帰宅したのは深夜三時を回った頃。空腹で寝付けなかった俺はぼんやりテレビを見ていた。 「ただいま。何だよ、まだ起きてたのかい? 電気代がもったいないだろ!」  酒臭い息でそう言い捨て、コンビニの袋をテーブルに置く。一瞬、何か食べ物を買ってきてくれたのかと期待したが、中から出てきたのは缶ビール数本だった。 「何か食べるもん買う金くれよ。今日だって具の入ってないインスタントラーメンを半分こして食っただけなんだ」 「うるさいねぇ。水でも飲んでりゃいいだろ。こっちは働いて疲れてんだよ、しみったれたこと言ってないでさっさと寝ちまいな!」  水なら空腹を紛らわせるため毎日いやというほど飲んでいる。俺は段々腹が立ってきた。 「コンビニ行ってくるからさぁ、金くれよ。どうせ自分は腹いっぱい飲み食いしてきてんだろ?」 「はぁ? 何生意気なこと言ってんだよ! こんな時間に小学生が出歩いていいはずないだろ。あー、あんたはあのロクデナシの父親に似て馬鹿な子だよっ!」 「いいから金寄越せって! 俺も和也も腹減ってんだよ!」 「何言ってんだい。学校行けば給食出るだろうよ」 「わけわかんないこと言ってんじゃないよ。昨日は土曜、今日は日曜だぜ? だいたい今日は外で昼飯食わせてやるから公園前で待ってろって言ったのは母ちゃんじゃないかっ!」  俺と母の怒鳴り合いで目が覚めたのか和也が目を擦りながら起きてきた。 「ほら、あんたが騒ぐから和也まで起きてきちまったじゃないか!」  母は嫌悪感に満ちた目で俺を見る。それはまるでゴキブリでも見ているかのような目だった。そうか、母にとって俺は害虫のようなものなのかもしれない。家にある食糧を勝手に食べてしまう害虫。そのうち殺虫剤で殺されてしまうのかもしれない……。 「和也、寝るぞ」  俺が弟の手を引き子供部屋に戻ろうとすると母が「和也」と妙に優しい声で弟の名を呼び手招きした。弟は素直に母のもとに駆け寄る。 「なぁに?」 「さ、これを飲むといい。よく寝られるよ」  そう言ってまだ小学一年の弟に缶ビールを差し出した。 「母ちゃん、和也に何すんだよ!」 「うるさいね。腹が減ったんだろ? ビールってのは腹に溜まるんだ。あはは」 「お腹いっぱいになるの?」 「そうだよ、和也。母さんも一緒に飲むからさ。乾杯しよ」  和也は母からおそるおそる缶を受け取った。 「おい和也、やめろよ」  止めようとした俺を母はギロリと睨みつけテーブルにあった皿を投げつけてきた。避けた弾みで転んでしまい腰を強かに打ちつけしばらく身動きが取れなくなる。 「痛ってぇ……」 「あんたは黙ってな。和也はいい子だねぇ。ほぅら、乾杯!」  母に頭を撫でられた和也は嬉しそうに缶ビールをぐいっと飲んだ。 「ぐ……にがい……」 「あははは、愉快だねぇ。さぁ、もっと飲みな」  和也は涙目になりながらも母を喜ばせたかったのか缶ビールを飲み続けた。ようやく動けるようになった俺は急いで和也に水を飲ませ子供部屋に連れ帰る。背後からは母のはしゃいだような笑い声が聞こえていた。 「和也、大丈夫か?」 「うん……」  酔いが回ってきたのか和也はすぐに眠ってしまった。夜中、異臭を感じて目を覚ましリビングに行くとタバコの火がカーテンに燃え移るのが見えた。母は酔いつぶれて眠っている。俺は体を揺すって起こし急いで避難した。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!