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サクラの木は年中、寝不足に悩まされていた。
サクラの木がいるのは、駅近くの小さな公園。そこは時が止まったようだった。雑草は放置され、数少ない遊具は日差しに負けて白くなり、雨風にさらされたところは黒く汚れている。
それでもサクラの木は毎年きれいに咲き、廃れていく街を見守っていた。
サクラの木は、通りを挟んで向かい側の一戸建ての二階――サクラの木と同じ目線の高さである――をにらんだ。
寝不足である原因が、そこに住む男にあるからだ。
あれは冬の夜。公園の外ではイルミネーションが飾られていたときのことだ。
男はベンチに深く腰をかけ、空を仰ぎ見た。サクラの木にとってその男は赤子のように若いが、目元には深く刻み込まれたシワと土色の肌からは、まるで生気を感じられなかった。着崩れたスーツは男を老けこませた。
サクラの木は男の顔をのぞこうとした。
死ぬな。死なれては困る。
数年前、公園前の道路で交通事故があって以来、花見客はおろか人ひとり寄らなくなったのだ。二度目は勘弁である。なんのために咲いているというのか!
サクラの木は真っ裸だった。枝同士がこすれ、傷つけあうように音を立てながら男に近寄っていった。
『寒いな。風か……』
サクラの木は男のかすれた声を聞いてホッとし、いったん身を引いた。
だが、それが地獄のはじまりだった。
翌日から、男は太陽が沈むと公園のベンチに腰かけ、発泡酒を片手に歌い、笑い、踊ったあと、疲れはてると寝言を吐きながら朝まで眠るのだった。
サクラの木は満足に眠ることができなくなっていった。
季節は、小さなツボミたちの目覚めを待つ頃になっていた。
男は今日もベンチに寝転び、大きな寝息をたてている。
「サクラさん、おはよう。今日も例の男、いるんですね」
スズメらがやってきた。
「ごきげんよう、スズメさん。見ての通りです」
サクラの木が喜んで座り心地のよい枝を差し出してやると、スズメらが羽を広げたのち体を預けた。
「サクラさん、この男はまるでニワトリです」
「ニワトリ? それはなんですか」
「日が昇ると鳴くトリです。それはもう、うるさくて……。彼らのそばにいるとちっとも眠ることができないのです。この男と同じです」
「ニワトリというかたは存じ上げませんが、この男がうるさいのは、わたくしも同意見です。少しはわきまえてもらわないと」
「ええ、まったく!」
スズメらは口々に鳴き散らし、ついには男のほうへと飛び降りた。
「えい、えい。静かになさいな。サクラさんが困っているでしょう!」
「ちょっと、スズメさん。なにもそこまで言わなくても」
「ガツンと言ってやらねばわかりませんよ!」
スズメらの怒りで、男は小さくうなった。薄目を開け、ベンチの手すりにいるスズメらをじっと見つめた。
「……食べたらうまいかな。ニワトリには負けるか?」
「ひぃ!」
怖がるスズメらは飛んでいった。
怒ったサクラの木は体をぷりぷり揺らす。
「わたくしの唯一の話し相手になんと無礼な! 許しません!」
「ぎゃ! 青虫!」
叫んだ男は寝起きとは思えない俊敏な動きで家へと帰っていった。
それから男が公園のベンチに座ることはなくなったが、部屋のなかでひとりごとをするようになった。部屋の窓は開け放れていたし、サクラの木と近い部屋なのもあり、寝不足は解消されなかった。
昼間になると男も寝静まるので、サクラの木もようやく落ち着くことができた。
空を眺め、風の音を聞き、太陽を浴びながら、うたた寝する。しかし夢の中で歌う男が出てきたときには、流れる汗のごとく八分咲きの桜を散らしながら起きるのだ。公園を見回して誰もいないことがわかると、悪夢だと気づくのだった。
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