母が残してくれたもの

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『今日の晩御飯は昨日のカレーの残りです。あ、でも明日も明後日も食べる用だから、お茶碗一杯までにしてね。お母さんより』  丁寧な文字で綴られたメモ書きは、いつも通り冷蔵庫に貼ってあった。  鍋にたっぷりと残るカレーを見て、ため息が漏れる。  智樹の母親はいつも、カレーやシチュー、寄せ鍋といった、「残っても何日間か食べられるおかず」を週に1度だけ大量に作る。それも、スーパーの特売日を狙って、毎週日曜日の午後八時に買い出しをしに行く。売れ残りが多いこの時間帯は、値引き商品がたくさんあるからだ。 「お金がないって嘆く人はね、節約の仕方を知らないだけなのよ。その点お母さんは、ケータイもガラケーだし、通話はほとんどしないし、解約手続きの面倒なサブスクは一度もやったことないわ。おかげでデジタルデトックスもできて、とっても快適〜」  智樹の母親はいつも明るい。シングルマザーで、苦労は多いはずだ。スマホを一度も持たず、時代に逆行しながら生きているというのに、どうしてこんなにも楽観的でいられるのか。悪く言えば天然。もしかして自分の家がどれだけ貧乏なのか、知らないのだろうか。 「こっちはゲームやってなかったら、友達から省かれるんだよ。ハラアキとかボロアキとか、意味不明なあだ名で呼ばれるし……」  誰もいない台所で、一人文句を垂れ流す智樹。生まれてからずっと、「お腹がいっぱい」という感覚を味わったことがない。  それもこれも、うちがシングル家庭であるせいだ、と思う。  絶対に口には出せないけれど。自分を産んでからすぐに父親と離婚をした智樹の母。仕事は昼間は書店でパートをし、夜は居酒屋でこれまたアルバイトとして働いている。おかげで昼夜すれ違うばかりで、会うのはほとんど朝だけだ。誰がどう見てものほほんとしていて楽観的な智樹の母は、正社員としてはどこも雇ってくれなかったんだろう。と智樹は勝手に推測している。  智樹は我が家の生活環境を嘆きつつ、カレーの入ったお鍋の蓋を開けた。 「また肉がたくさん……」  智樹の家のカレーには具はほとんど入っていない。入っていたとしても、ジャガイモとにんじんが細かく刻まれている。智樹の母曰く、「小さく切って嵩増し作戦!」とのこと。  でも、どういうわけか、いつも肉だけは大量に投下されている。とういうか、肉も他の野菜とあまり量は変わらないのだろうけれど、智樹の母がよく肉を残すのが原因だ。 「私、肉が苦手なの。だから智樹、全部食べて〜」  てへへ、とドジでもしたかのような甘えた声を出して肉を押し付けてくるのが母親の常套手段だ。  でも、そのおかげで肉がたくさん食べられるのはちょっと嬉しい。  母の食べ残しであろうと、常にお腹を空かせている智樹にとって大量の肉は宝石より価値が高いものだ。  カレーを温めて、指示通りお茶碗一杯分のご飯の上にルーをよそう。こぼれそうなほどの肉はもちろん豚肉だ。でも、給食だけでは全然足りない育ち盛りの智樹にとっては、ありがたき幸せ、といったところだ。  だがこれも、明日、明後日になると話が変わってくる。  要は飽きるのだ。  さすがに、いくらたくさん肉が食べられるとしても、同じものを毎日食べるのには限界がある。だから、明日以降の食事に思いを馳せると、少しだけ苦い気分に襲われた。
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