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「霊、その他の幻惑について」前編
ジョウはすぐにそこが夢の中だとわかった。
まただ、と思った。またあの幽霊を追いかける夢だ、と──
そこは、陰鬱な湿地帯。
ジョウは少女の幽霊を追いかけ、幽霊はジョウから逃げている。いや、幽霊はジョウをいざなっているのかもしれない。湿地の奥へ奥へと。
やがて、ジョウが幽霊に追いつく。
少女の幽霊は微笑み、ジョウをたたえ、それから二人は握手をかわす。幽霊は月明かりのように白髪を輝かせ、夕焼けのような赤い瞳でジョウを見つめている。
幽霊のひんやりしてやわらかい手がほどかれたとき、ふわりと、石鹸の香りがジョウの鼻をかすめた。
ジョウは照れながら質問する。
「ねえ君、どこの人? なんで死んじゃったの?」
幽霊は汗で額にはりついた前髪を直す。そして答える。
「わかんない、わかんないのよ。あたし、自分が誰なのか、なんでここにいるのか、何もわかんないの」
ジョウは愛想笑いを浮かべ、首にかけていたタオルを幽霊に貸してやる。すると幽霊はタオルに顔をうずめて、大きく息を吸いこんだ。
ジョウは彼女を制す。
「汗臭いよ、やめなよ」
しかし、幽霊はからかうように言う。ちょっと、はにかみながら。
「男の子のにおいがするね、これ」
慌てて、タオルを奪いとるジョウ。眉をひそめて幽霊に聞く。
「君、もしかして悪霊だったりする?」
幽霊はその質問に答える。今度は苦笑いをして。
「あのね、あたし死んでないのよ。これでもさ、本当は生きてンの」
ジョウは黙って幽霊を見つめる。
幽霊はそっと手をのばし、ジョウの頬に触れる。
「ねぇあんた、生きてるあたしを探してよ。ね、お願い。あたしを見つけて?」
そう言うと、幽霊はスッと空へ消えてしまう。
ジョウは叫ぶ。
「あの子は生きている!」
もう一度叫ぶ。ありったけの大声で。
「あの子は、今もどこかで生きている!」
*
ジョウは自分の寝言で目を覚ました。
図書室は寝心地が悪かった。いや、学校はどこも寝心地が悪かった。寝ていても気が休まない。
時計を見ると、とっくに最後の授業の時間が終わっていた。
放課後、アテもなくぶらぶらと寄り道をしたこともあり、ジョウが家に到着する頃には薄暗くなっていた。
ぼんやりと自宅玄関へ近づいたジョウは、その間近に来てから、ひさしのまわりを数匹のコウモリが飛び回っていることに気づいた。うわっ、と声をあげ後ずさる。するとコウモリは散り散りになり、夕闇へ去っていった。
ため息をつき、ふたたび玄関扉へ歩み寄る。
と、ポーチになにやら薄汚れたチラシが落ちていることに気づいた。
なんとなしに拾う。
〜幻惑の怪物團〜
奇妙奇天烈なるフリークス・ショーをどうぞご覧あれ!
興味のある方はこのチラシを持って〝不機嫌な森〟へ!
フリークス……異形のものたちの、見せ物商売。
ジョウはわずかに考えを巡らせたが、結局、チラシをくしゃくしゃに丸めて納屋に放った。いまどきフリークス・ショーなんて怪しすぎるし、詳しい情報がなんにも記載されていないのだ。イタズラにちがいない。
その真夜中、突然、ジョウは目を覚ました。
「なんでチラシを捨てたの?」
──息をのんだ。ベッドの横には、夢に何度も現れるあの幽霊少女が立っていた。この現実世界に、おぼろげな半透明の姿で。
ジョウは起きあがろうとしたが、体を動かすどころか、声を発することさえできなかった。無理に力を入れると、体中がびりびりと痺れた。
「なんでチラシを捨てたの?」
少女はか細く、かすれた声でまた言った。
ジョウは質問に答えようとしたが、どうがんばってもうめくことしかできなかった。
「ね、お願い」
少女はジョウの頬にやわらかく触れた。夢の中でいつもやるみたいに。
「フリークスに来て、ジョウ。それで、あたしを助けて? ね、お願いよ」
ジョウはどうにか返事をしようとしたが、やはり無理だった。聞きたいことだって山ほどあるのに。
少女は窓台に座った。裸足だった。
「今晩、あんた一人でフリークスに来て。そして、あたしを助けて。いい? お願いよ」
そう言うと、少女はすうっと消えた。
ややあってから、ジョウの体に力が戻った。
「生きている」
ジョウは乱れる息をかすかにもらして囁いた。
「今もどこかで、生きている」
*
その日、ジョウは学校をサボった。
納屋に捨てたチラシを拾い、〝不機嫌な森〟とやらを探しまわった。自転車で町じゅうを走りまわり、森と呼べそうな地帯を見つけると片っ端から踏み入った。だが、それらしきテントやステージは見つからなかった。
夕方になり、町なかで一つの店が目に入った。
〝森商店〟
ジョウは苦笑しながらも入店し、椅子に座っていた店主らしき老婆に声をかけた。
「ねえ、おばさん」
老婆は億劫げに、首をわずかにまわしてジョウを見た。壊れかけの人形みたいに。
少し緊張しながら、ジョウは老婆に尋ねた。
「このへんでショーをやってるって、知らない?」
「さあて、なあ……」
老婆はゆっくり虚空を向いた。声は低く、太かった。ややあってから、ぎょろりと横目でジョウを見て、聞き返した。
「ショーたって、なんのショーのことだあ?」
「フリークスってやつだよ」
「なんだあ、そりゃあ?」
「つまりは……すごく個性のある人たちによる見せ物ってこと。ええと、幻惑のフリークスだってさ。知らないならいいけど……」
おもむろに、老婆は手のひらを差し出した。
「チラシがあっぺ」
ジョウのズボンを見ながら、あごをしゃくる。
そこへジョウが目を向けると、ポケットからはフリークスのチラシがはみ出ていた。
「ほれ、はやぐ出せ」
老婆はもう一度あごをしゃくった。
「知ってるんですか?」
驚いて、ジョウは聞いた。そして、ためらいながらもチラシを取り出し、老婆に見せた。
「知ってるも何も、あだしは〝もぎり〟だよ」
老婆はぐにゃりと顔をゆがませて笑った。そしてチラシの一部をもぎ取り、ジョウに手渡した。
渡された切れ端は白紙だった。が、すぐに文字が浮かんできた。インクが染みるように。
幻惑の怪物團へようこそ!
「自由席だよ。はやぐ行きな」
老婆は店の出入り口のほうを指差す。
ジョウは、その示された何の変哲もない引き戸を見つめた。頭が追いつかなくて呆然としていたが、やがて老婆のほうを振り返った。
と、いつの間にか、老婆の姿がない。
「……おばさん?」
その店は住宅と併用らしく、奥にあがると居間があるようだった。そちらを覗いてみたが、老婆はやはりいなかった。
仕方なく、ジョウは店の外へ出ることにした。ワケもわからないまま、くもりガラスの引き戸を開ける。
と、眼前に、陰鬱な湿原が横たわっていた。
「え──」
ジョウは身震いした。
アスファルトの道が消え、かわりに木道がまっすぐのびていた。あたりには無数の沼が点在している。
「おばさん!」
たまらず、店の中へ大声で呼びかける。
「おばさん! なんだよこれ! ちょっと来てよ!」
それでも老婆は姿を見せない。ジョウはすっかり立ちすくんでしまった。
しかし、やっと覚悟を決めた。よく見るとその湿原には見覚えがあった。そう、いつも夢の中で幽霊少女を追いかけた、あの湿原。
ジョウは店を出て、一歩一歩確かめるように、木道を歩み始めた。
うしろを振り返ると、森商店の外観がまったく変わっていた。木材は腐り、植物におおわれ、すっかり古ぼけた廃墟となっているのだ。
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