4.懸念

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 パンッと、襖が開く音がした。廊下に座敷の喧噪が(あふ)れてくる。振り向けば、暗い廊下が、座敷の明かりで少し照らされていた。  ピシャリと、襖が閉まった音がした。座敷の喧噪との間には薄い壁ができる。廊下は再び暗くなっていた。 「……なにしてるんです、先輩」  どうせ松隆なんだろうということくらい、分かっていた。……こうして、やってきてくれるのは、どうせ紘じゃないと。 「……トイレに行こうと思って」 「なにを見たんですか?」  問答無用、答えを知るためだけの突き刺すような鋭い問いかけに、どうしようもなくて、笑ってしまった。別に笑える場面でもなんでもないのに、あまりにも自分がどうしようもなくて。 「……見たくないもの」  溜息と共に、壁に(もた)れた。見あげた松隆は検討もつかなさそうに眉を顰めていた。 「……なんで私がなにか見たって分かったの」 「あれだけ強張った顔を見たら否が応でも分かるというか」 「松隆もタイミングが悪いな……」 「慰めに来れることを考えると、逆にタイミングがよかったのでは?」  確かに、それは難しいところだ。でも、この()に及んで後輩に慰められるなんて、いい加減に先輩の威厳(いげん)が消え失せるとおりこして逆転してしまう。 「……で、何を見たんですか?」 「……松隆が有り得ないって言ってたこと」 「…………」 「飲み会の場だからって、有り得ないことですよって言ったことだよ」  10月、風邪のお見舞いと称して烏間先輩と一緒に松隆の家に押しかけたときの話。どこからが浮気か、なにをされたら別れるか、なんてくだらない話をした日のこと。 「……飲み会だからって、偶然にキスするなんて有り得るのかな?」  ぎゅっと拳を握りしめる。爪が食い込んで掌が痛かった。  紘にとっても、不意打ちではあったのだろう。目を閉じていたのは沙那だけだったから。キスは、沙那から紘にしたのだろう。仮に、あの瞬間を目撃せず、後日、紘か沙那から聞かされたとしても、きっと沙那が不意打ちで紘にしたのだろうとは考えるだろう。……そうだとしても、その意味で紘に非がないとしても、それは理屈の問題であって、感情に変化をもたらすものではない。
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