5.浮気

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 そうとは知らず、私は松隆に、紘にとっての茉莉の立場を求めた。  私と紘は、沙那の思惑にきれいに振り回されていた。きっと、振り回される程度の関係でしか──その程度の信頼しか──なかったのだろう。 「……というわけで、私と紘の話は、これでおしまい」  全て話してみると、少しだけすっきりした。沙那に対して釈然としない気持ちは、もちろんあるけれど、誰にも何も言えずに抱え込むよりもずっとマシだ。 「……津川先輩に振り回されたまま大宮先輩と別れてよかったんですか?」 「ん、沙那のせいで別れたって気持ちもなくはないけど。沙那にそんなことを言われたからって、彼女の気持ちを試そうとする男なんて願い下げだから、いいんだ」  口先ではそんなことを言ったけれど、本当は、紘と別れたことは寂しかった。  沈黙が落ちた。誤魔化すために紅茶を一口飲んだけれど、あまり時間稼ぎにはならなかった。 「……恋の名言っていくらでもあるけどさ」 「はい」  仕方なく、最後の気持ちを吐露(とろ)する。 「大学生になってから一番感動した名言は、トーベ・ヤンソンの名言。『初恋はこれが最後の恋だと思うし、最後の恋はこれこそ初恋だと思う』って」 「…………」 「……なにその顔」 「この期に及んで大宮先輩への惚気(のろけ)話を聞かされてドン引きしてます」 「名言を言っただけじゃん」 「要は大宮先輩が初恋だと思ったって言いたいんでしょ。趣味悪いですね」 「本当に私のことをなんだと思ってんの」  温かいマグカップを両手に抱えて、ほう、と息を吐きだした。  さすがに、紘への気持ちに、火傷(やけど)してしまうような鮮烈(せんれつ)さはもうないし、それどころか浸るほどの温かさもない。それでもきっと、もう暫くは、好きだったなあと、ぼんやりとした曖昧な温かさは失われることはなく、この両手にある気がした。  それでも、気付いたときには、この気持ちは冷めてしまっているのだろう。徐々に冷えていくはずなのに、気付いたら冷え切ってしまっていた、そんなふうに、この気持ちは終わるはずだ。急速に冷やす必要などない。自然に冷えるまでは両手に抱えておいて、いつか冷え切っていることに気付いたら手放す。それでいい。
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