消えない手癖

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私には、机や床を弾く癖があります。まるでピアノを弾くかのように、指が勝手に動くのです。 白と黒の鍵盤の上で踊る、母の十本の指を見るのが好きでした。気付けば、テレビから流れる曲に合わせて、指が勝手に動くようになっていました。 でも、ちゃんと音を鳴らしてみたい。音大出身の母は喜んで、私にピアノを教えました。同時に手癖にも磨きがかかり、食卓の上で機敏に動く私の指を、母が笑顔で眺めていたのを覚えています。 音大受験に向けた指導の中で、母が豹変してからも、ベッドを鍵盤代わりにして、好きな曲を弾く時間は、私の心を慰めてくれました。今になって思うのです。この時家出でもしていれば、と。 私のいる独居房に敷かれたくたびれた畳も、鍵盤になりました。どこへ行こうと消えないこの手癖は、母からの贈り物であり、母の形見でもあり、私の手に掛けられた、消えない枷でもあるのです。
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