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⒈プロローグ
その日、招かれざる客が来た。
下校途中の小学生たちの笑い声が、開けた窓から聞こえてくる時間だった。
ピンポーン
ソファに寝そべっていた俺は、ゆっくりと目を開ける。
誰だ?
……誰でもいいか。どうせ予定のない訪問者にロクな奴はいない。そのうち諦めるだろう。
ピンポーン、ピンポーン……
しつこいな……。
ピンポーピポピポピポピポ……
チャイムが連打に変わる。
うるさい。けど、部屋の外に誰がいるのか見当はついた。
わめくような音が部屋を荒らす中、ドアを開けてやる。瞬間、相手がボタンから手を離し、最後の『ピンポーン』という駄目押しの音が内と外で同時に鳴り響いた。
「やっぱりな。居ると思った」
俺に睨まれた紺野は表情一つ変えずに言うと、当然のようにドアの内側に体を滑らせる。
「毎回言ってると思うんだけど、あの押し方どうにかなんない? てか、事前に連絡ちょーだいよ。チャイム一回で開けてやるから」
「いつものヤツ、持ってきてやったぞ」
ん、と紺野がビニール袋を提げた手を俺に押し付け、光沢のある革靴を脱ぎ始める。
コイツ……俺の家に来たくせに、俺の言うことは完全に無視だな。
ズカズカと廊下を進み、ドカッとソファに腰掛ける紺野。付き人のように袋を抱えて後を追う俺。
どっちが家の主人か分からない。
「まだ顔も洗ってないのか?」
だらしないな、と言いたげな目が俺のボサボサ頭とヨレた服を往復しながら続ける。
「さすがフリーカメラマンだな。平日の昼間だっていうのに、時計のない生活を満喫していらっしゃる」
「会社を自由に抜け出せる『紺野薬局』の御曹司様には言われたくないですけどね」
シワ一つないビシッとしたスーツに身を包んだ紺野に嫌味を返した。
「そろそろなくなる頃だろ」
「ん?」
「それ」
紺野が、さっき俺に手渡したビニール袋を指さした。
「あー……」
俺は袋の取っ手を両側に開いて中を覗き込む。コンドームの箱が1.2.3……5箱もある。しかも、ローションボトルのオマケ付きときた。
「なんだ、その歯切れの悪い返しは。礼ぐらい言ってもバチは当たらないだろう」
腕と脚をそれぞれ組んだ紺野が不満も露わにふんぞり返った。
「そこはまぁ、ありがたく。……あのさぁ、貰うたびに思うんだけど、全国に何店舗も展開する企業の御曹司様がこんなモノを自分の店から大量に持ち出していいわけ?」
「心配ない。客と同じ列に並んで、レジにも通した。れっきとした清算済みの商品だ」
違う違う、と俺は手首にスナップをきかせて手を振る。
「仮にも、紺野は次期社長だろ? ただでさえ目立つ奴がゴムのまとめ買いしてんだよ? 絶対、陰で良くない噂を立てられてると思うんだけど。そこら辺はいいのかなーって」
「良くない噂、か」
心当たりがあるらしい。まるで他人事みたいに紺野がクックッと肩を上下させる。
「聞くところによると、どうやら俺は金持ちを笠に着て、五股してるヤリチンらしいぞ。ゴムが均等になくなるよう、女の股から股へ一箱ずつ配り歩いてるんだとさ」
ブーッと吹き出した。
笠に着る? 有り得ない。
中学からの付き合いだが、紺野の口から家や金を自慢する話など、聞いたことがない。
恋愛もしかり。五股どころか、二股さえ掛けたことがない奴だ。
俺とは違い、紺野という男は基本、マジメな人間なのだ。
「おかげで言い寄ってくる女が激減してる。ありがたく噂に乗っかっておこうと思ってたところだ」
「でも、黙ってたらイマカノにも誤解される可能性あるじゃん?」
「たかがデマごときで俺を疑うようなら、それまでの女だったてことだ」
「おおー、さすがモテ男。強気だねー」
「それより、久数の方はどうなんだ? 珍しく作った彼氏とはうまくやってるのか?」
俺はシシシッと冷やかしの笑みを浮かべていたが、話を振られた途端に声を飲み込んだ。
あぁ、それね……、と言い淀む。
「この前、別れた。……じゃないな、フラれた」
「バレたのか?」
ダイニングチェアに座る俺に、ソファの背から体を起こした紺野が訊く。
親友の紺野は俺のことなら、なんでも知っている。
日用品を手土産にして定期的にやって来るものだから、世間話のように俺の情報は更新され続けている。常に最新と言ってもいい。
だから、紺野が俺に関して知らないことなどない。
女との初体験で、なぜか興奮しなかった高校時代も。卒業後、自分はゲイだと開き直った時期も。
……そして現在。
恋人がいるにも関わらず、何人もの男と浮気していたことさえも紺野はすべてを知っていた。
当然、フラれたのは俺が原因だと推測したのだろう。
言い訳はしない。合ってる。その通りだ。俺は、マジメな紺野とは違う。
自分で言うのもなんだが、久数という名の俺は、名実ともに正真正銘のクズだった。
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