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⒉キラッキラの目
※ こちらのエピソードは紺野視点になります。
「で、話をまとめると」と紺野は眉間にしわを寄せて言った。
「フラれた腹いせに、元カレの恋人の粗探しをして暴露してやった、と。そういうことか?」
「腹いせ、っていうのはニュアンスが違うけど……成り行きは合ってる」
一応の反省はしているらしい。久数は両手の人差し指の先をつんつんと合わせるような、しおらしい態度でおずおずと答えた。
紺野は、はあぁ……と深いため息をつく。
「……クズだな」
「え」
「名前。『久数だったよな』って訊いただけだ」
もちろん『人間として最低の行為だ』という意味を込めて言ったのだ。
ツッコミどころ満載の会話。
けれど、久数は「あ、うん……」と素直に相づちを打った。
自分の不貞を棚に上げて、再出発しようとする元カレの足元を掬う。ゲスのやること以外の何物でもない。
この男が友達でなかったら、……好きでなかったら、とっくに縁を切ってる事案だ。
「なんで俺、他の奴に目が行っちゃったのかな……」
苦いものを口に含んだかのように久数が唇を噛んだ。
「後悔してるのか」
手遅れだろ、と鼻で笑ってやった。
未練があるのか……。
身体の内側に隠し持っている本音はチクリと痛い。
「知ってると思うけど、俺ずっと彼氏作らなかったじゃん?」
「『どうせ長続きしないから遊べる相手がいればいい』だったな」
「うん。でもさ、アイツに会って、付き合うのもいいかもなって、久しぶりに思えたんだよ」
「だったら、他の男によそ見する前に、なんでブレーキをかけなかった」
元カレを惜しむ久数にイライラする。キツイ言葉で不満をぶつけてしまう。
責めるフリをしながら、陰では別れたことを喜んでいるくせに。
「ほんとバカだよな。嫌われてから気づくとか。今なら一途な恋人になれる気がすんのになあ。あー……もう一回、俺とやり直してくんないかなあ」
背もたれに体を預けた久数が頭の後ろで両手を組み、頭上を仰いだ。恐らく、視界に映っているのは天井ではなく、元カレの姿だろう。
いつだってそうだ。
同じ空間にいても、久数は紺野を見ていない。ここにいない誰かを思い浮かべ、話題にする。
話し相手は紺野。望めば手の届く距離に久数はいる。
けれど、頭の中にまで入ることを許されているのは、常に自分ではない他の誰かなのだ。
「駄目だ」
久数の気をどうにか逸らしたくて、紺野は苦し紛れにつぶやいた。
ぷはっ、と久数が破裂音を響かせる。続けざまにケタケタと笑い出した。
「なんだよ、『駄目だ』って。だれ目線?」
叶わない恋をしている憐れな男目線だ。
「復縁を打診して断られたんだろう? それに新しい恋人もいる。見込みはない。諦めろ」
「うぉい! 傷口に塩を塗んの、やめてくんない? それぐらい俺だって分かってるっつーの」
「支離滅裂だな。やり直したいって、さっき言ったばかりだろう」
「違うって。俺が入り込める隙間も無かったし、そこはもう諦めてんの。今度はマジメな恋愛をやってみたい、って意味で言ったの」
「マジメな恋愛? お前がか?」
「……元カレってさ、全身、全力で恋するタイプだったんだよ。付き合ってる奴しか見えない、みたいな」
信じらんないと思うけど付き合ってるときはキラッキラの目で俺を見てたんだぜ、と久数が訳の分からない自慢で胸を張った。
その目を曇らせたのもお前だろうが。
「アイツと付き合って気づいたんだけど、俺って『愛するより愛されたい』タイプみたいなんだよね。あんな目で見てくれる奴がまた現れたら、今度こそ、俺は変われる気がするんだよなあ」
紺野の喉がゴクリと鳴った。どれもこれも、垂涎モノの言葉だった。
節操なし。いい加減。倫理観ゼロ。そんな久数が真っ当な恋をしたがっている。
愛されたい、と深い愛情を求めながら、その実、久数は自分自身を変えようと、変わりたいと願っているように見えた。
――もしも……もしも自分がその役を買って出たら?
とうの昔に諦めたはずの生ぬるい願望が瞬間で熱をもった。
友達の仮面を脱いで、ずっと隠し続けてきた熱い視線を久数に向けたら、俺たちは……。
妄想が走り出す。想像するだけで、身もだえそうなほどの恋心が体中を支配した。
「アテは……あるのか」
声が震えていたかもしれない。
長年、培ってきた友情を捨てて賭けてみてもいいかもしれない、と思えた。
きっと、こんなチャンスは二度と巡ってこない。千載一遇の好機。飛び込むなら、今だ。
本能が急き立てるように訴えかけてくる。
『まちがいさがし』をしている少年のような心と集中力で紺野は久数の返事を待った。
「アテかぁ。それがないんだよねー。出会い系に登録でもすっかぁー」
だらんとした久数の声が鼓膜を震わせた瞬間、紺野は腹の底から歓喜の雄叫びを上げそうになった。慌てて下っ腹に力を籠める。
「久数」
一つ、息を深く吐いてから切り出した。
「んー?」
「出会いを求める必要はない。恋人役は、俺がなる」
ブハハッと、まともに聞く気の無い声が紺野を牽制した。
「紺野サンが冗談言うなんて珍しいですねー」
負けてなるものか。
「そうだ。俺は冗談を言わない。本気だ」
後戻りはできない。
走り出してしまったからには、どこまでも追いかける。追いかけて、追いついて、お前を捕まえる。あの時のように、もう諦めたりしない。
「久数は気づかなかっただろうが、俺はもう長い間、お前にずっと片思いをしている。中学のときからだ」
ガタガタッと騒がしい音がする。
小学生みたいにイスの後ろ脚二本でバランスを取って揺れていた久数が地に足を着けたのだ。
「は? 片思い? 紺野が? 俺のこと好きなの?」
「だから、さっきからそう言っているだろう」
「いやいや……えぇ?」
目が真ん丸になってるじゃないか。お前、可愛すぎるぞ。
そんなつぶやきはおくびにも出さず、紺野は話を続けた。
「まともな恋愛がしたいんだろ? なら、俺を選べばいい。俺ほど恰好の相手はいない。なぜなら」
言いながら、真っ直ぐに久数を見つめた。
俺は今、キラッキラな目をしているだろうか。
自分では分からない。ただ、その表情は友達という安定の地位を捨て、仮面を脱ぎ去った覚悟の顔であったことは確かである。
紺野は再び大きく息を吸い込み、呼吸を整えた。
「なぜなら――俺以上にお前を愛している奴はいないからだ」
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