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⒊思い出語り
『俺に欲情はしないのか?』
大学時代、紺野は勇気を振り絞って一度だけ久数に訊いたことがある。
だれかれ構わず男を抱き歩いている奴だ。自分だって、対象になってもおかしくない。
いつ襲われてもいいと、むしろ襲って欲しいと、常日頃から心の準備は万端、整っている。
毎回、久数と会うたびに、今日かもしれない、と『初お泊り』する女のようにドキドキしていた。
ところが、待てど暮らせど、久数が手を出してくれる気配は訪れない。
たまりかねて尋ねてみれば、久数は最悪の答えを寄越してきた。
『紺野と? マジで有り得ないわ~。抱こうとも、抱かれたいとも思ったことないもん』
なぜだ。なぜ俺は駄目なんだ。
喉から飛び出しそうになる疑問をぐっと飲み込んだ。全否定される理由を冷静に聞いていられる自信はなかった。
紺野は『俺は対象外か。それは有難い』と素っ気なく言ってその場を収めた。
そして、同じ質問をすることは以後、二度となかった。
「あれ? ちょっと待てよ? 紺野、彼女いるじゃん。それで『俺と付き合え』とか、おかしくない?」
冷静を取り戻しつつある久数の頭の中は、告白された動揺よりも紺野への疑問や違和感が頭をもたげてきているらしい。
小首を傾げて考え込んでいる久数に、紺野はフッと笑みをこぼした。
今や恋心を全解放した紺野にとって、久数の姿は殺人的に可愛く見えて仕方がない。愛で死ねる。
「ああ、彼女か。あれは作り話だ。長期間、恋人がいないのも変かと思って作ってみた」
「作ってみた、って……」
久数がオウム返しで呆れた声を出した。
ウームと考えている姿を紺野は穴をあけそうなほど無遠慮に見つめる。視線さえ、もう嘘をつく必要はないのだ。
「紺野って実はゲイなの?」
「さあ?」
「はあ?」
「久数しか好きになったことがないんだ。初恋をこじらせたまま今に至ってるから、男と女、どっちが対象なのか分からない。まあ、お前を忘れようと無理して付き合ったのは女だったから、敢えて言うなら『バイ』という答えが一番近いのかもな」
「はあ……」
理解したのか、していないのか。
久数がやけに間延びした相づちを打った。
「他には?」
「え?」
「他にまだ訊きたいことがあるなら答えるが」
「あー、っと……うん。俺ってこんなんじゃん? あ、愛?……してる……とか言われるようなタイプじゃないと思うんだけど、俺のどこをイイと思ってくれてるわけ?」
「確かに久数の言う通りだ。浮気は平気でするし、自分は愛情をロクに注ぎもせず、今も欲しがってばかりいる。メリットはないが、デメリットなら吐いて捨てるほどあるタイプだな」
「うぉい!」
「ハハッ」
久数との会話はリズムが小気味いい。
これも長年、一緒にいる賜物じゃなかろうか。なんて、傍らで紺野はどうでもいいことを思った。
「覚えてるか? 中学のとき、俺が菓子とか遊び代をみんなに奢ってたこと」
唐突に紺野は話題を変えた。
久数は少し首を傾げはしたものの、すぐに紺野に合わせてウンウンと頷いた。
「そんなこともあったねえ。御曹司なだけに、小遣いもケタ違いだって言われてたよなあ」
「……子供だったんだ。何も考えず、周りに乞われるがまま、親が稼いだ金で奢ってた。気づけば自分の元に大勢が集まってくるようになってた。奴らが金目当てだってことも知らず、俺は人気者なんだと自惚れたんだ。金もあって、友達にもこんなに好かれてるって。一言で言うと、天狗になってたんだな」
当時のことを思い出すと、紺野はいつもはらわたが煮えくり返る。
まだ幼かったから。
そう言ってしまえば、それまでなのだが、時を遡って、思慮の浅い過去の自分を殴りつけたくなる。
稼ぐ苦労も知らず、親の金をバラまいていた中学時代。思い上がっていた自分が情けなく、恥ずかしい。
だが一方で、現在の自分の戒めにもなっていた。
あの頃の消してしまいたい過去があるからこそ、人間の欲深さや本質を垣間見ることができたとも言える。
もしや、親もそれを狙っていたのでは? と勘繰ってしまうほど、紺野少年の胸に鮮やかに刻まれた出来事だったのだ。
「まあ、そうやって天狗生活を続けてたんだが、ある日、たまたま金を持ってくるのを忘れた時があったんだ。そしたら……久数はその日を覚えてるか?」
久数は少し考えてから、申し訳なさそうに頭をポリポリと掻いた。
「うーん……、ごめん。あんま記憶ないかも」
いや、思い出さなくていい。あんな無様な俺の姿は忘れていて欲しい。
紺野は心中でほっと胸を撫で下ろした。
「で、金を忘れて、どうなったんだよ」
「ああ――」
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