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窓辺に寄った。吹き込んでくる緩やか風に当たりながら、思いきり伸びをする。
「付き合った早々で悪いんだけどさー、実は明日から師匠の助っ人でイギリスに行くんだよね。一週間」
いちいち言葉にするのも照れ臭い。もう付き合ってることにして話を進めた。紺野なら、そこらへんも分かってくれるはずだ。
少し間があいた。
「……俺も予定がある。今から薬業関連の懇親会に出ないといけない」
やがて紺野が言い、隣に並んだ。
そのまま俺の背中に手を回し、向かい合わせで抱き寄せる。
「お、おい、いきなりボディタッチかよ」
ただの友達であっただけに、ここまでの密着は未だかつてない。
胸を押して逃げを打つが、紺野は許してくれない。
「セックスはしばらく『おあずけ』になりそうだな。残念だ」
「うがっ!」
なにコイツ!? さっきまでと人格が違い過ぎるんだが。
友人から恋人へ。俺の方は、簡単にスイッチは切り替わらない。くすぐったいし、照れるしで、自分が自分じゃないみたいにドキドキする。
「なんか紺野に『セックス』とか言われると、すげえ恥ずいんだけど!」
間近にある紺野の顔面に耐えきれず、目が泳いだ。
「そうか。なら、これからどんどん言ってやろう。とりあえず『慣れ』の第一歩として、今日はキスでもしてみるか」
「うへぇ!」
我ながら変な声が出た。
「ちょっ! お前だれ!? キャラ変し過ぎだってば! ーーんぶっ」
言いながら上半身を仰け反らせる。が、嫌がる隙も与えないと言わんばかりに紺野がすぐさま唇を合わせた。
ディープ、とは言い難い。吸盤みたいにブチューッと吸いつかれる力任せのキスだった。
唇が離れた後、フフンと鼻で笑った。
「なんだよ、そのキスは。余裕ないって感じ? もっとエッロいの期待してたんだけどな〜」
バックバクの心臓を隠し、平気ぶって言ってみる。
「久数は今までどっちだったんだ?」
また突然に話が変わった。
起伏のない声と顔で紺野が言う。態度と表情の落差があり過ぎだろ。
てか、コイツ……やっぱり俺の話は完全無視だよな。
「『どっち』って、なにが?」
「セックス。上か下」
「あー……、どっちでもいけるけど、上の方が多かったかな。なあ、やっぱ恥ずいんだけど。この話やめない?」
親にゲイ雑誌を見つけられた時みたいに居た堪れない。
「なら、これからは久数が下だな」
「はあっ!?」
今日は紺野に驚かされてばかりだ。
てか、まず俺の話を聞け!
「これからは俺がお前の中身を塗り替えてやる。デートもするし、キスも、セックスも総入れ替えしよう」
行ったことがないデート場所はどこだ、やってみたいことはなんだと、矢継ぎ早に質問が飛んで来る。
「ぶはっ。紺野サ〜ン、すんげえ張り切ってますねえ? 遠足前夜ですか〜?」
紺野に『振り回されてる』感が半端ない。
仕返しのつもりで揶揄をたっぷりと込めて言ってやった。
……のだが。
「ああ、やっぱりバレてしまってるか? 実は、かなり浮かれてるんだ」
言うなり、紺野が打ち上げ花火みたいにパァッと顔を輝かせた。
「…………」
……おい、紺野。
あ、愛? ……が丸見えちゃってるぞ。
そうだ。
俺が道を踏み外さなければ、紺野が俺に飽きることはない。五年後も、十年後も、これまでと同じように俺たちは一緒にいられる。
俺が道を踏み外さなければ。
この関係を、俺は守り抜く。
強い意志が決意を奮い立たせる。
よし、大丈夫だ。俺は変われる。
変わる。
「紺野」
紺野の肩におでこを乗せた。
面と向かって愛を語るには、まだ時間が必要だ。
「あのさ、もう一回好きって言ってくんない?」
「愛してる」
「重いな! そこは『好き』でいいんだけど」
「久数を愛してるんだ。好きじゃ、とても足りない」
ハハ……。
笑いでごまかした。
だから、くすぐったいんだってば。
「……なあ、どうせ付き合うんだったらさ、これからは名前で呼んでよ。クズは、もう卒業したい」
背中に添えられた両手がピクッとわずかに震えた。
「康生」
かみしめるように、紺野が言った。
夕焼けが、夜の帳を下ろしていく。
移り気だった空が変化する。
そう時間はかからない。
もうすぐ深い藍の色で、空一面を染めるだろう。
ーー 完 ーー
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