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もし、命令できなかったり、命令を受け入れなかったり、となると、パートナーと信頼関係を築くことが困難となる。パートナーと契約を結ぶ上で最重要事項であり、無理に契約したとしてもお互いの本能的欲求を満たすことができず、最悪両者とも潰れてしまう可能性すらあるのだ。
「一希はコマンドできそう?」
「……まだ怖いかな」
「だよな。俺も命令されるとかないわ。鳥肌立つし」
省吾が自分を抱くようにして肩をすくめ、腕を擦っているのを見て、一希はふふと笑う。しかしそれは一瞬のことで、憂いを帯びた溜息を吐いてまた肩を落とした。
一希は、Subの講師にコマンドの練習をさせられた時のことを思い出していた。Subの基本姿勢だと教えられ、促されるまま彼に対して『ニール』と命じた。できることはできたのだが、うっとりとした目で見上げてくるSubを生理的に受け付けられなかった。それからコマンドを発することが恐ろしいと感じるようになってしまったのだ。
人を支配したいというDom性と人を支配することに嫌悪感を抱く自分。その乖離に怯え、欲求を満たすことなどできそうになかった。そのことは省吾も知っており、省吾もまたその乖離に悩む一人だった。
「俺は契約パートナー見つけて、恋人は別にってスタンスでやるしかねぇかなって思ってんだけどさ。それでも『ニール』だっけ、一生できる気がしねぇわ。結局、抑制剤頼りになんのかねぇ」
ぶっきらぼうに不平を吐き出す省吾に、そうなるよね、と一希は返した。しかしそれは、けして同意を意味するものではなかった。
一希は省吾とは違い、二つの意味で省吾とパートナーになりたかった。
だが、恋人になれたとしても、コマンドができないDomはSubを満たすことはできない。だから契約パートナーを作るという省吾の出した決断を受け入れて応援する。それが幼馴染としての在り方だと理解していた。ただそれは理性的なものである。
心は真っ向から拒否し、省吾が自分以外の人間に本能を晒す姿など想像したくもなった。近づく者すべてに嫌悪感すら覚えるほどだ。
わなわなと唇が震える。目尻の際にじわりと溜まってくる涙を隠すように一希は俯いた。
「なんで泣いてんの……」
隠したとしても誰よりも側で過ごしてきた省吾に気付かれないはずがない。省吾は二人の間にあった隙間を埋めるように近付き、いつも以上に小さく見える一希の背中に腕を回した。
「一希はどうしたい? わかんねぇ?」
子供に言い聞かせるような声で省吾が問い、少し伸びて目にかかるサラサラとした前髪を指で掬って耳にかけた。まるで一希を甘やかすような仕草。覗き込む眼差しもまた同じような甘さを宿していた。
その優しさに堪らず、涙が溢れ出て一希の白い頬を伝った。
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