メンヘラエビとオレワタシ

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メンヘラエビとオレワタシ

     先輩は我が海洋研究大学でひときわ目をひく人気者だ。  理由は単純明快。  人間とエビのハーフだから。  世界唯一の貴重な存在。  シュリンプ・プリンス。  つまり、エビ王子。  モテっぷりはだてじゃない。  常に獲物が寄ってくる入れ食い状態。  花ざかりの女子大生たちは自分こそが恋人にふさわしいと次から次へと立候補する。  当然、一人に絞り込むなんてできるわけがなく、二股が六股に膨れ上がり、八股になり、最終的に三十六股という大記録を作りあげた。  ところが春の頃から、王子はすっかり“ヒト”が変わってしまった。  色恋にまつわるAからBが億劫になり、すべての女性関係を絶った。  以来、ラブコールを片っ端から拒む。  どんなお世辞もエビ背のように曲げて解釈し、褒め言葉だって右から左の大放流。ブランド品にも高級ディナーにも食いつかず、フニフニでたわわでぷるるんな誘惑を前にしても凪のまま。  返す言葉は同じ。 「キミとボクじゃ見ている世界が違いすぎる」  ガードの堅さと硬派な態度は、さすが甲殻類。  “たかねの花”いや“超深海帯のエビ”だ。 「──ねぇサクマくん、聞いてくれるかい?」  恋愛というライフワークをすっかり失くした王子だが、ヒマつぶしの相手になってくれる女子は欲しかったらしい。  ワタシが万年金欠で常時空腹なのを聞きつけ、毎日のようにランチをごちそうしてくれるようになった。  彼は980円の洋セット。ワタシは500円の海鮮塩ラーメン(大盛り)だ。 「最近、街を歩くとね、誰かがボクをずっと見ていて笑ってる気がするんだ」  昼下がりの閑散とした食堂。王子はワタシだけをまっすぐに見つめ、ワタシだけに話しかける。  エビは横向きのイメージが強すぎるから、たまには正面から見られたいのだろう。  正面から見るエビはとても面長で、ユニコーンに似ている。頭の上に一本の長い角状のトゲ、その根元から左右に長くのび広がる触覚。両サイドにはくりっくりのつぶらな瞳。人間でいう頬のあたりからドラムスティックみたいな髭が左右に六本生えている。──ごめん、ぜんぜんユニコーンじゃないかも。 「ああ! みんなみんな腹の底でボクのことをバカにして笑ってるんだ。夜になるとその笑い声が呪いのように押し寄せてきて、眠れない」  ワタシがぜんぜん違うことを考えているとも知らず、王子は勝手にしゃべり続けている。 「おかげで体がだるくて、世界が青ざめて見えて、毎日つまらないんだ。どうしたらいいだろう」  青ざめて見えるのは、自分自身のせいじゃないのか──。  ツッコミかけてやめた。  悩める王子の頭部は南国の海のような水色。宝石にたとえるなら、アクアマリン。“エビは赤いもの”という思い込みに反逆するかのように、どこまでも青ざめている。  透き通るような美しさに、神様はさらにミステリアスの化粧をほどこした。  ところどころにイエローのまだら模様が刻み込まれ、まるで古代の遺跡の紋様のようになっている。ブルーとイエローのコントラスト。トロピカルで新鮮そのもの。  なのに、 「今週なんてずっと憂鬱でね。あまりに虚しくていっそ死んでしまいたくなる」  口を開けばネガティヴそのもの。  この落差には、つくづくあきれてしまう。  「王子、そんなバカなこと言わないでくださいよ。へたに死んだらうちの学内で細胞一つ一つになるまで刻まれて教授たちのオモチャです。いいんですか?」  ちょっとだけ力をこめて叱りつけると、王子は左右に伸びる二本の触覚をしゅんと下げて反省の気持ちをあらわした。 「……ヤだ」 「でしょう?」  深く垂れ下がった触覚は、ワタシが持つどんぶりのスープの上をふわんふわんと漂っている。  一見すると反省しているようだが、立ちのぼる湯気と香りを楽しんでいるのは明らか。  イカ、アサリ、ホタテのエキスや具がたっぷりの海鮮ラーメンには、当然のごとくエビも入っている。  ワタシは五十円玉サイズに丸まったバナメイエビをつまみ上げ、これ見よがしに食いちぎった。  そのぷりぷりの身に歯を入れて真っ二つにする瞬間、王子はまるで自分自身が食いちぎられたみたいにビクッと肩をすくめる。 「さっきから情けないですよ! 弱気なことばっかグチグチ言って! 年上のくせにいい加減にしてくださいよ、まったく!」  いちいち気など使っていられない。  ワタシは腹が減っているのだ。このラーメンが丸一日ぶりのまともな食事である。 「そりゃあボクだって元気いっぱいの頃に戻りたいよ。でも、どうしたらいいのか分からないんだ」 「ふつーは恋をしたら元気になるものだと思うんですけど」 「この大学にはもう魅力的な娘はいないよ」  それが分かるまで遊び歩いたなんて、信じられない。女の敵だ、エロ王子め。 「ボクはどうしたらいいだろう。やっぱり死ぬしかないのかな」 「大げさだなぁ」 「そんなことないよ……、死ぬしかないんだ……」  王子の湿っぽい話を聞きながら大盛りのラーメンを食い続け、もう三ヶ月が経つ。その湯気でメガネの分厚いレンズを曇らせ、学生貧乏ゆえの空腹をしのいで来た。  だからこそ分かる。  王子はワタシの関心を引きたくてしょうがないのだ。ふつうに話をするだけではラーメンを食べることばかりに集中されてしまう。だから“憂鬱”だとか“死にたい”だとか過激な言葉を使う。生粋のかまってちゃんだ。  今までそうやって他の女どもに甘えてきたのかもしれない。ワタシにはそんなハッタリ通用しないのに。 「よく考えたらね、ボクはサクマくんの──いや、うちの研究室のお役に立てるなら、死んだ方がいいのかもしれない。社会に出るのもイヤだ。死んだほうがきっと世の中のためになる」 「げほっ、げほげほ!」  麺をすするタイミングで言われ、うっかりむせてしまった。  女々しすぎるだろ。このメンヘラエビ。  もはや王子と呼ぶ資格もない。 「言っときますけど、ワタシの役にはちっとも立ちませんからね。研究してるの伊勢エビなんで」 「あんなゴツくてデカいだけのエビなんか研究して何が楽しいのか。ボクにはさっぱり分からないよ」 「ほっといてください。ワタシは毎日楽しくて幸せなんです」   「実にキミがうらやましいよ。ボクは自分の好きなものをすっかり見失ってしまった……。もしかしたら心を病んでしまったのかもしれない」 「うつ病なら心療内科への受診と、脳の血流量を増やすのが効果的ですよ。ジムに入会して運動してください」 「ダメだよ。きっとエビは受診も入会もできない」 「じゃー、外でランニングとかマラソンとかやればいいでしょう」 「エビが地面を走るなんて」 「帽子かぶれば人間にしか見えないです」 「そんなことない。なにをしたってエビはエビだ」  王子の首から下は人間そのものだ。とてもスマートで洗練されたモデル体型。180センチオーバーの高身長は女子の大好物だ(触覚を入れたら2メートル近い)。  すらりと長い手足。ムダのない肉。肌は白く、まるでむきたてのエビのようにぷりぷり。  ド派手な頭部を気にしているのか、服はいつでもモノトーンばかりだ。  首まで隠れる白のセーターに黒いジャケットとパンツ。黒い革靴からチラリと見える足首だけは、毒々しいほど鮮やかな赤だ。靴下までこだわるオシャレさには感心してしまう。  毛玉だらけのパーカーに黄ばんだ白衣を羽織るワタシとはまるで違う生命体だ。  実際、ワタシは男性から言い寄られた経験が一度もない。恋人もいない──と、いうかそもそも研究にしか興味がない。 「走るのが嫌なら、水泳は?」 「アアッ! だめだめ! 一番きらいだ!」  エビの血が入っているのなら海に行けばいい──王子はそういう短絡的な考えがキライなようだ。 「エビがプールで泳いでいたらそれこそ笑い者だ! バカにしないでくれ!」  さっきまでの気だるい態度がいっぺん。火がついたように怒り出す。  おそらく、子どもの頃から散々いじられてきたのだろう。ケンタくんがクリスマスにケンタッキーといじり倒され、うんざりするようなものか。ワタシも『お前はサクマだから“ドロップ”な!』と言われ続けてきた。分からないでもない。 「でも海の生き物なら、水泳が一番体にいいんじゃ……」 「あああ! 君もわからない人だなあ! ボクの前で二度と『水泳』なんて言わないでくれたまえ!」  ご立腹の王子はそのストレスを発散するかのように、皿の上のエビフライをナイフとフォークで一口サイズに刻む。  上からマヨネーズをかけまくって、原型がなくなったところで深くうつむいてかぶりつくのだ。王子の口は頭と首の境目にあるらしい。  エビがエビフライを食う。  共食いだ。  人間からすると奇妙奇天烈グロテスクだろうが、エビ界では珍しくない行為。  同種だって美味いものは美味いのだ。  でも彼がわざわざエビを食べる理由は、ただの食欲とは違う気がした。  自身もエビでありながら、エビである運命にあらがおうとしているような──。 「ひどいよ、サクマくん。こっちは真面目に悩んでいるというのに……。からかっているつもりなら、もう明日からはご馳走しないよ」  王子は深い深いため息をつき、己の手を広げてじっと見つめる。苦労を知らないスベスベツヤツヤの手のひら。 「ああ、もうだめだ。もう終わりだ。生命線がさっきより短くなった気がする……」  このまま放っておいたらどこまでも沈みこんでいきそうだ。さすがにちょっと可哀想になる。ちょうどラーメンも食べ終えた。少しだけ親身になってやることにしよう。 「はいはい。じゃー、整理してみますか。王子の悩みを」  ──そして、以前から考えていた大きな勝負に出ることにした。 「王子は急に女性への興味関心が無くなって、おまけに世界がぼんやりして、自分の好きなものがよく分からなくなった、と」 「そうだよ。眠れなくて、眠れたとしても悪い夢ばかり見て、泣きながら飛び起きるんだ。なにを食べても美味しくないし、美しい絵を見ても感動しない。お気に入りのエロ動画は一つ残らず削除されて、自分で自分を慰めてみたけどぜんぜん気持ちよくなれない」 「さっきそこまで言ってましたっけ??」 「言ったよ」  王子はマヨネーズで衣までびちゃびちゃにしたエビフライをしっぽまで残さず食べ終えた。添え物のキャベツとパセリはナイフとフォークで皿のすみっこに追いやった。 「強烈なフラれ方をしたトラウマとかでもないんですね?」 「ああ。その通りだ。というかボクはフラれた経験なんて一度たりともないが」 「実を言うと、ワタシ、一つだけ心当たりがあるんです……」  人間にはなかなか理解できないエビ界の常識は、共食いの他にもある。  たとえば、甘エビの赤ん坊には性別が無い。  成長するにしたがって一旦はオスとなるが、成熟して繁殖に適した年頃になるとメスに変わるのだ。  もちろん、全てのエビがそうなるわけではない。一部のエビだけのトクベツな生態だ。  しかし、二十歳を過ぎ、本格的な繁殖期にさしかかったはずの王子が、急に女性への関心を失うなんて奇妙すぎる。 「王子も半分はエビの遺伝子が入ってるわけですよね。それなら可能性はあるはずです」  王子はじっと黙っている。澄んだ瞳にワタシだけが映っていた。  瞳孔もまぶたも無い目は、未来をすべて見通す占い師の水晶玉に等しい。  この際、回りくどい表現はやめよう。  幸い、周りに聞き耳を立てていそうな人間はいない。  ワタシはそっとメガネを押し上げた。 「王子も、メス化しちゃった?」  彼はなにも言わなかった。  ただ、左手でぎゅっと握り直されたフォークがなによりの答えだった。 「試してみませんか。二人っきりで──」  その日の別れぎわ、ワタシは王子に顔面を食われた。抱き寄せられるままにばっくりと食われた。  ──正確に言うと、王子の頭と胴体の境目にあるギザギザが左右にガバッと開いて、その中に力強く押し込まれたのだ。  頭部と胴体がぶっつりと切断され、ワタシは絶命した。頸部からあふれた血は王子が一滴残らずキレイにすすり上げたことだろう。エビばかり食べているワタシの血はきっと旨味と甘味があるはず。さぞかし美味かったに違いない。  そしてワタシは──オレになった。
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