1 目は口ほどに物を言う

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1 目は口ほどに物を言う

なんてことはない学園の一日を終え(あと)は寮の部屋に帰るだけ、と校舎の階段を下りつつ一階にむかっていた時、視線の先に一人の令嬢を見つけた。お互い話したことはないけれど彼女とは学年も二年違うしそれは珍しいことじゃない。 この国の王太子であるアーノルトの婚約者候補である彼女のことはこの学園にいるものはみな知っている。宰相の第三女で頭脳派の他の家族と違い女だてらに騎士候補生のなかでも抜群の成績を誇る武闘派の大柄な彼女の名はエリカ。 話したことはない。でも、彼女は僕のことを嫌っている。僕としてもそれは当たり前だと思っているし、理由にも自覚がある。 彼女が女性騎士となり騎士団に入るなら文句の付け所のない上背と鍛えられた筋肉も国賓を迎える舞踏会でのドレスには向かず、今日の彼女の制服姿もお世辞にも似合っているとは言えない有様。外見だけで判断するならば彼女を次期王妃にと推すものはいないだろう、彼女の家柄には文句の付け所がないのだけれど。 まぁ、おそらくそう遠くない未来彼女が王太子の婚約者になるであろうというのがこの国の貴族たちの予想だ。 そんな彼女とこのまま進めばすれ違う。若干の気まずさは否めないと思っていたらちょうど階段の踊り場についたところでお互いの目があった。 一応僕の立場としては彼女に道を譲らなくても問題はない。たとえ彼女のほうが貴族として地位が高く学年が上だとしても。この王国の次期最高権力者から僕はそういうお墨付きを貰ってる。そして彼女もそれを知っているはずだ。 「この学園にいる間フィルは誰にもかしづかないこと。いいね。誰にもだよ」 そう言って僕の頭を優しく撫でてくれたのは王太子であるアーノルト。王太子としてふさわしい麗しい外見と知性も持ち合わせた彼は僕がこの学園で過ごすのに不自由がないようにしてくれている。僕はいわゆる彼のお気に入りとしての特権を与えられている。我がまま気ままなすがまま、好き勝手に振る舞う僕は人に嫌われるくらいなんてことはない。 (まぁ……) 最低限の礼儀としてこのご令嬢に道を譲るくらいは許容範囲、そう結論付け会釈をして半歩ずれる。 想い人に振り向いてもらえない哀れな少女にかけるそれくらいのお情けは僕だって持ち合わせている。しかし今だけは多少の優越感を持つことは許して欲しい。彼女には立派な家族や後ろ楯そういった貴族社会を生き抜くためのものは生まれ落ちたときから全てが揃えられていたのだから、僕と違って。 (僕には彼しかいないんだ、今だけかもしれないけど譲れない) そう思った僕の視線は余計な思惑を含んでしまったみたいだ。そのまま通りすぎそうだった彼女は僕のとなりで足を止めると視線を返してきた。 女性にしては大柄な彼女と反対に年の割に小柄な僕は彼女から見下される。金のまつげに縁取られた深い青の目からはこれと言って感情が読み取れない。 (さて、無礼者として平手でも打たれるのかな?まぁ騎士道精神にあふれるエリカ様ならそんな事もできないか?) 「どうぞ、お譲りしますよエリカ様」 今度はニッコリと僕の自慢の笑顔をつけて会釈をして一歩下がり彼女があるき出すのを待つ。一瞬止まっていた彼女が一歩二歩と遠ざかっていく。やはり僕の思った通り品行方正のご令嬢から喧嘩をふっかけられることはなかった。さ、僕も帰ろうと歩き出した一歩に突然横からの衝撃。 (え?) 不意に体を押されて不安定になりつつも振り返る。僕を押したであろう人物のこわばった顔が視界に入る。怒りで吾を忘れたのだろうか視線がスピアのように僕を貫いて殺意を明らかにしていた。 次の瞬間体が宙に浮いたのがわかった、重力に従ってゆっくりと落ちていく。 視界のはしに入った手すりに縋ろうとして指先だけ触れたけどつかめない。重力が僕を下へと引きずり下ろす。恐怖に体が固まる。 (!落ちる!!) ?なんで僕は今って思ったんだ。頭の隅で一瞬そんなことを思ったけど僕は次々よぎっていく知らない思い出に気を取られた。高い建物。鉄でできた塔。優しく笑う黒髪の男の人。撫でてくれたやさしい手。美味しいご飯。学校。病院。ピッピッと高い電子音。頭が痛くてとつぜん歪む視界。ずるりと滑った足元の感覚。叩きつけられて息が詰まる衝撃。 そして暗闇。誰も何もない暗闇。上も下も真っ暗な空間にただ僕の意識があった。 (あ……死んだ?) 再び世界が明るくなる。 笑顔の父上と母上。優しい子守唄。赤ん坊の泣き声。深くフードを被った男。不安そうな父上と母上。眩しい日差し、夏の日。王宮で開かれたお茶会。きれいな砂糖菓子。優しく微笑む銀髪の少年。不機嫌そうな色黒の少年。素敵な音楽。くるくる回るダンス。楽しくて笑って笑って笑って。 (僕、これ異世界転生ってやつ!!) 思い出した記憶にびっくりしすぎてそのまま受け身も取れずに階段を転がり落ちた。 ぐるぐると回る視界、階段の角で打ち付けられるからだ。ごろごろと転がった時間はそう長くなかったはずなのに階段下で止まったときには全身痛くて泣けてきた。頭もぐわんぐわんする。 (救急車お願いします。あ、この世界、救急車ないな) セルフボケ・ツッコミをしたところで意識を暗闇に飲み込まれる感覚がして目を閉じた。
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