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第17話 薬
大概の病院が木曜の午後を休みとしているように、たかばやし動物クリニックも例外ではなかった。
木曜の午後はスタッフも早々に帰ってしまい、院長だけが残っていた。
いつものように沙耶は開けぱなしになった裏口から、一番奥の部屋に向かい、そのドアを開けた。
「先生」
高林は振り向くと、少し驚いたような顔をした。
「ごめんなさい。急に来たりして」
「いや、構わないよ」
「先生にお返ししたいものがあって」
沙耶はバックの中からスマホを取り出すと、高林のデスクの上に置いた。
「中は、ちゃんと初期化してあります」
高林はスマホにちらりと目を向けただけだった。
「もういいの?」
「はい」
沙耶のスマホは高林が契約し、与えてくれていたものだった。それを沙耶は高林に返した。
「20年になるのか、この関係は」
高林が目を細めた。
沙耶が初めて高林と出会ったのは、まだ小学生の頃だった。
沙耶は自分があてがわれたのだから、他の男と同じで汚いロリコン野郎だと思っていた。実際やることは同じだった。
けれども、高林は少し変わっていた。彼は沙耶の願いを聞いてくれた。
「眠ったら起きないようにする薬が欲しい」
「君が使わないのならあげよう」
まるで何に使うのかわかっているかのように、沙耶に睡眠薬をくれた。
約束通り、沙耶は自分には使わなかった。
薬は両親に与え、ガス栓をひねってから、あるだけのお金を持ってアパートを出ると、お金をコインロッカーに隠した。
そして、まるでずっと遊び歩いていたような振る舞いをして、警察に補導され、両親の死を聞かされた時は、驚くふりまでしてみせた。
高林と再会したのは、それから随分経ってからだった。
高林は、あの薬の件で沙耶を脅すこともなく、ただ関係を持った。
大人になった自分に興味を持つとは思っていなかったので、沙耶は驚いた。
沙耶が整形を施した後も、その関係は変わらなかった。
それで、ようやく気がついた。
高林が求めているのは、沙耶自身だと言うことに。
けれども、出会った頃から変わらず高林には妻がいて、表面上は良好な夫婦関係を保っている。
沙耶とは、時折、病院で肌を合わせるだけの歪な関係でしかなかった。
「緑の瓶は眠るように死ぬことができる、黒い瓶は最後まで苦しみながら死ぬ。欲しかったらあげるよ」
沙耶は高林の顔を見据えた。
「これはね、流石に紛失するとまずい薬なんだ」
「やっぱり、知っていらしたんですね。わたしがやっていたこと」
高林は笑みを返しただけだった。
「君が来ないなら、もうここもお終いにしようと思う。ここは、あまりにも杜撰な管理体制が過ぎるからね」
「いいんですか?」
「君のために続けていたんだ」
「先生……」
「さぁ、どちらにするか決めなさい」
沙耶が指差した薬を見て、高林が今度は声を出して笑った。
「やっぱり、君はこっちを選ぶと思ったよ」
「先生、ありがとう」
「おいで。抱きしめさせてくれないか?」
沙耶は言われるまま、高林が離すまで、じっと抱きしめられた。
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