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第3話 沙耶
駅からの道を20分以上歩くとそのアパートがある。古びた築35年の安アパート。
壁にはところどころひび割れをパテで補修した跡があり、アパートの敷地内は雑草が茂っている。
廊下の電球は2箇所も消えたままで、もう随分放置してあったが、クレームを入れるような住民もいない。
錆びた鉄階段を上った、一番奥の部屋が沙耶の部屋だった。
沙耶はたいして意味もなさそうな鍵を使いドアを開けると、部屋の明かりをつけた。
ここには必要最小限のものしかない。
小さなテーブルとメイク道具。布団が一組部屋の隅に畳んである。
反対側の隅の簡易ラックには、唯一、商売道具とも言える服が多数かけてあった。
簡易キッチンにあるのは備え付けの冷蔵庫だけで、調理道具はおろか、コンロすら置いていない。
押し入れは空っぽのまま開け放たれている。
沙耶にお金がないわけではない。むしろ、お金は持っている。
けれども、駅前の便利なマンションや築浅のきれいなところは、大概大手の管理会社が入っていて、借りるにはこまごまとした書類や身分証明書の提出が義務付けられる。
その点、ここは年配の老人が一人で管理している物件で、家賃さえ払えば文句はないというところだった。
銀行通帳すら作れない沙耶にとっては都合のいい物件。
どのみち、部屋なんて寝るだけのところだと思っている沙耶にとっては、お風呂とトイレさえあれば十分だった。
沙耶はシャワーを浴びると、冷蔵庫の中からミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、口につけながら、この部屋の唯一の収納箇所である押入れを、閉めた。
開けていた状態の時は隠れていたふすまが、閉めたことで現れる。
そこには一面に大きな模造紙が貼ってあり、写真と、多数のメモが書き込まれている相関図が描かれていた。
真ん中には隠し撮りされた怜奈の写真。
そしてそれを囲むように父母、バイト先の関係者、大学の友人……怜奈に関わる全ての人物といっていいほどのたくさんの写真と細かい書き込み。
(怜奈に接触できた)
沙耶は玲奈の写真に手を這わせながら目を細めた。
偶然にしか思えない出会い。
アイスクリームショップから始まり、本屋での再会。
最初不信感を抱かせ、それが間違いだったと思わせることで生まれる罪悪感につけ込み、警戒心を解かせた。後は、無邪気な人間を装うだけで、人は簡単に落ちる。
玲奈のように、真っ直ぐに育ってきた人間は、一度信用した者にそう易々と疑いは持たない。
沙耶は飲み終えたペットボトルを持つ手に力を入れた。
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