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沖野(おきの)三郎は、キビ畑の農作業でへとへとに疲れ切った身体を簡素なパイプベッドに横たえ静かに目を閉じた。 1900年、春、日本各地から寄せ集められた仲間達と共に、横浜から国の手配した船に乗り、異国の地、ハワイを目指した。 その32年前、日本は、150名ほどの日本人をハワイのサトウキビ農園で働く農夫として送り出したのだが、現地での労働条件が過酷で、尚且つ日本では土にすら触れた事がない者なども含まれていた為、働き手確保とは言えない状況、つまり失敗に終わっていた。 このような不始末から、雇用する側と雇用される側、双方に食い違いがないよう、きっちりとした労働条件の下、働けるようにしたのが1885年の官民移民制度だった。 三郎は自身が横浜から外国籍の船に乗り、見知らぬ世界に足を踏み入れた時の事を静かに思い返した。 航海中、船内で親しくなった広島県出身の男と意気投合し、当然、彼と同じ農園で働けると見込んでいたものの、現地で引き離され落胆したのも束の間、あくる日から、照りつける強い日差しの中での農作業が始まった。 そもそも山口の片田舎の三男坊である自分がハワイを目指したのには、先にキビ畑で働いていた叔父の存在が大きく影響している。 -三郎、ハワイはいいぞ。体の弱い者や根性無しはともかく、お前は根っからの負けず嫌いで、上から言われた事はそつなくやり遂げる性分だ。 意地っ張りでもあるから、ハワイに行って現場監督から目をつけられて嫌がらせを受けたとしても、それで尻尾を巻いて逃げ出すこともなかろう。 3年きっちり、勤め上げれば、給金もらって、日本に帰ってくればいい- 当時、ハワイから帰国した叔父は、現地での過酷な労働の為、げっそりと肉が削げ落ちた状態で三郎の家を訪れた。 しかし日本では到底、考えられないような稼ぎを手にしたのも事実で、三郎は 日本でちびちび、生計を立てるか、ハワイに渡り短期集中で稼ぐか、二つに一つだなと思ったのだった。 このキビ畑のプランテーション内での宿舎生活も二年目に入った。 干し草の保管倉庫のような建物に、ずらっと寝台が並べられている光景も今では普通に受け入れられるが、来た当初は「この台の上で安眠できるのか?」と(いぶか)しく感じたものだった。 そうした心配は最初だけで、実際、日々の作業を終えて、食事、シャワーを済ませた後、(とこ)に就くと、ものの五分で眠りに落ちた。 農作業は、午前中は7時半から正午まで、午後は1時から日没までで、グループ別に仕切られ「ルナ」と呼ばれる現場監督の監視の下、みっちりと管理され働かされた。 食事は食事で、空腹でなければ食べたいとも思わない粗末なもので、ハワイ入りして三カ月、三郎は米の飯が恋しくて仕方が無かった。 だが泣いても笑ってもあと、一年と数か月。 三郎は事務所に預けてある給金の使い道を考えてうっとりとし、ゆっくりと目を閉じた。 日高(ひだか)吾一は、キビ畑の作業前、朝食の為に食堂のテーブルにつくと、わき目もふらず、且つ、仲間と談笑する間も惜しいように、食べ物を胃の中に詰めていく。 ゆでたトウモロコシ、ぱさぱさのパン、豆の煮もの、野菜スープ。 吾一は、驚くべきスピードでこれらを平らげていくと、これまた先陣をきって一目散にトイレを目指す。 用を足すのが遅くなれば、キビ畑の始業時間に遅れてしまい、現場監督のルナに目をつけられてしまう。ルナの任務に就いている(やから)は荒くれ者が多く、もたもたしている者には容赦なく(むち)が使われた。 吾一が用を足し、洗面台の前に立つ頃、(ようや)く、後の者が続々とトイレに入ってくる。 吾一は、トイレに限らず、何においても「人の一歩先を行く」事を信条として生きてきた。 1875年、広島の農家の次男として生まれた吾一は、ぼーっとして気の利かない兄の代わりになり、家の手伝いから、下の兄弟の面倒まで一手に引き受けていた。吾一の父親は、妻が女中奉公で稼いできた金を酒につぎ込むというどうしようもない男だったが、ある夜、川べりを歩いていた際、足を滑らせ、川に転落して溺死した。 吾一の母は、形ばかりの通夜をやり、自身同様、涙の一粒も落とさない吾一に 「吾一、今、ハワイに行ってキビ畑で三年働けば、日本で働くのとは大違いに稼げるらしい。お前、行ってみる気はないかい?」と言い、(とむら)いの客が引けた客間をさっさと片付け始めたのだった。 結果、吾一は、いい噂ばかりではないハワイでの農夫生活に応募し、その体躯(たいく)を買われてハワイ入りを果たした。 吾一は、今日も班の仲間と共にトラックの荷台に載せられ、キビ畑へと移送される。ポルトガル人のルナは、吾一らを所定の場所で降ろし、農具を渡すと 「さっさと行け」とばかりに、顎で畑の方を指し示す。 -人として扱われていない- そう感じるのも今日が初めてという訳ではなかった。 吾一は、頭の中を「無」にして作業に取り掛かる。 クワでばっさ、ばっさとサトウキビの茎の部分を切断しむせかえるような葉の匂いに辟易しつつ、横一列に並んだ他の男達と共に前に進んでいく。 なまけた者は、遅かれ早かれルナに知られる事となり、結果、昼飯を減らされたり、鞭を振るわれたりする為、ベテラン組はさぼる事などとんでもないという感じで黙々と仕事をしていく。 -虫けらみてぇなもんだよな- 吾一は、自らの立場をそう表現するも、考え事は作業に支障をきたすと理解しているため、すぐさま思考を停止した。 正午になると、ルナが農夫達を荷台に載せ、一旦、食堂のある建物へと戻る。 吾一は、顔なじみの三郎の姿を目にし、その隣に腰を落ち着けた。 「よっ」 「吾一さん、お疲れ様です」 「吾一でいいって言ってるだろう。全く他人行儀なんだから」 そう言い、吾一は、弟分のような男の全身をくまなく観察する。吾一と共にハワイに来た者の中には、(やまい)に倒れろくな治療も受けさせてもらえず死を迎えた者もいる。 よって、瘦せ気味でどことなく血色の優れない三郎の健康状態をチェックするのが吾一の「常」となっていた。 「三郎、昼飯時は、ただ食って、便所に行き、10分でもいいから仮眠をとれ。無駄話をしている暇はここにはない。それがキビ畑の(おきて)のようなもんだ」 「わかりました」 二人は、そう交わすと特に代わり映えのしない昼食を無言のままかき込んだ。 三上庄吉、ツネの二人は、薄い板一枚で仕切られた部屋の中で、パン、目玉焼き、豆の缶詰などの朝食を、それなりのペースで胃の中に収めていった。 二人は、先にハワイ入りし、今はヒロで商店を経営するツネの兄を頼りハワイに来た。農園所有者に少々顔が利く兄の口添えもあり、二人は、ヒロから数キロほどの距離にあるサトウキビ農園に職を得た。 農園側は、夫に6ドル、妻に4ドルの給料を出したが、多くの妻はこの差を埋めるべく、独り者の農夫の洗濯を請け負ったり繕い物をしたりして、小銭を稼いでいた。 当初、ツネ、庄吉の二人に割り振られたサトウキビの苗の植え付け、水やり、雑草取り、伐採(ばっさい)と言う作業は、難易度としては決して高い物ではなかった。 しかし、自分達の身長を優に超える「キビの全長」に圧倒され、絶望の淵に立たされたのも事実だった。 二人は、食事を終えると、20分ほどで行き着くキビ畑へと向かう。 現地に着くと二人はそれぞれ男衆、女衆の班に分かれ、そこで作業に取り掛かる。 ふるさと、熊本よりもさらに厳しいハワイの照りつける日差しの中で、女達は皆、キビの鋭い葉先で肌を傷つけないよう、長袖の作業着を着ている。そして一時間もすれば、自分のかいた汗が着衣全体に染み渡っていき、その不快感で作業が妨げられるのが常だった。 夫の庄吉は、日頃ツネの傍におり、少しずつ瘦せていく妻の身を案じた。 ツネ自身も、慣れない土地での重労働がたたってか、月経が途絶えてしまった事が気掛かりだった。 ヒロで商売をやっている兄の所には既に三人もの子供がおり、ツネも早く子供を持ちたいと考えていた。 -だめだ、肝心の身体がこんなでは、どだい、子供なんて授からねぇ。 でも、あと一年の辛抱だ。 一年経って、この仕事から解放されれば月の物だって再開するはずさ。 そうすりゃ、実家のおっかさんみたいに6人位は産める- ツネはそうした呪文を唱えつつも、全集中力で草を刈り続けた。 庄吉はハワイの地に降り立ってからというもの、緊張と疲労の為か、ツネに身体を重ねてこなかった。ツネもツネで最初のうちはハワイの慣習に慣れず、食事も口に合わないという有様で、夫婦共々、作業後はシャワーを浴びてベッドに身体を横たえて「十分に身体を休ませる」というのが、ルーティンとなっていた。 (ようや)く、現地での生活に息がつけるようになってきた頃、二人は同胞の一組の夫婦と知り合う。 それは、いつものように正午、キビ畑の近くでゴザを敷き昼食を取っている時だった。 正木武夫は気のいい男で、くつろいでいる庄吉に 「お宅、いつもご精がでますね」と声をかけてきた。それが取っ掛かりとなり、二組の夫婦は、共に昼食を取るようになる。 「へーぇ、そうかい。子供を故郷に残して。そりゃ辛かろうね」と、同情する庄吉に 「まぁなぁ。でも俺は母ちゃんさえ(そば)にいてくれたらそれでいいんでね。 ガキなんてピーピー泣くだけで何の役にも立ちやしない」 庄吉の目から見ても正木武夫の妻、ヨシは涼しい目元が印象的な(うるわ)しい女で、庄吉は武夫がどうやって、この女を口説き落としたのか不思議でたまらなかった。 正木武夫達と昼食を取った後は、庄吉もツネも班に戻り、午後の作業に取り掛かる。庄吉は、時に遅れを取っている者などへの声掛けもし、なんとか一日を終える。 二人はいつものように部屋に戻り、交互に外に設置されているシャワーを使って汗を流した。「お腹()いただろう、今、作るからね」そう断りを入れるツネの背後に庄吉がぴたっとはり付き、ツネは「何なんだい、びっくりするじゃないか!」と抗議する。 庄吉は、羽交い締めするような形でツネを抱き、そのまま、ベッドへと誘導する。「ちょっと、夕飯はどうするの?」というツネの唇を(ふさ)ぎ、庄吉は、綺麗に整えられたベッド上で、丁寧にその手技を使い、男女の営みに突入していった。 しばらくすると、庄吉は、果て、ツネは身体をめぐる(かす)かな心地よさに身を任せながらも、一人静かに乱れた呼吸が鎮まるのを待った。
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