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ハワイ島ヒロから北に87km離れたワイメアのプランテーションで、同胞の沖野三郎と日高吾一は、今日も同じテーブルにつき、昼食を取っていた。 二人は班こそ違うものの宿舎が同じで、吾一が、一人ポツンと昼食を取っていた三郎に声を掛けたのが始まりだった。 「おい、見ろよ」 そう言った吾一の視線の先には、沖縄からグループでプランテーション入りしたと思われる5人の姿があった。 黒々とした太い眉、独特の強いまなざし、浅黒い肌は日本人離れしており、そのせいか、積極的に彼らに近づこうとする者はいなかった。 続いて吾一は「先にハワイに入ってある程度仕事が出来るようになった者が後から来た者にその内容を伝授して、それによって、新入りも何とか仕事をこなせるようになる。だが沖縄組には誰も手を差し伸べねぇ。よって奴らはルナにしばかれ放題ってわけだ」と持論を述べた。 -そりゃそうだが、彼らも教えてもらうのを待つだけでなく、教えを乞う位の気持ちがないと- 三郎も吾一も、自身の中に確実にある差別意識を認識しながらも、(わずら)わしい事には(かか)わりたくないという気持ちが強く、皆と同様、彼らを遠巻きに見るだけで、決して関わろうとはしなかった。 比嘉(ひが)智明はハワイに来た早々、キビ畑での作業中、現場監督にこっぴどく𠮟られた仲間、一志(かずし)を見た。食欲がないようで、トレーに載せられた食事は半分以上残っている。 一志(かずし)は智明の親友の島袋(しまぶくろ)貞夫の弟で16になったばかりだった。島袋家には大勢の子供がおり、貞夫の親は、二人をハワイにやり、金を稼いできてもらいたい一心で彼らをハワイに送り出したようだった。 仕事内容を把握していない一志は、早速、ルナに目をつけられ鞭を振るわれたらしく、それを知った一志の従兄弟にあたる島袋(しまぶくろ)正志は「上の人に言って行動を改めさせる」と息まいた。が、もう一人のグループメンバーである新垣儀助(あらがきぎすけ)に 「そんなことしたら、グループ全員が被害を(こうむ)るぞ」と言われ仕方なく引き下がったのだった。 二ヶ月が経過しても、比嘉智明を筆頭とする五人組は、依然として他の農園労働者と交流できず、食事時も隅のほうで出来るだけ目立たないようにして食べている状態だった。日焼けした肌と鋭い目線、内輪だけにしか通じない方言。 智明個人としては、この故郷を思わせるワイメアに親近感を抱いたが、ルナの横暴さにはほとほと嫌気がさしていたし、日本人達から異端者扱いされているのにも気づいていた。そんな中、意気消沈している一志の姿が目に入り 「飯はちゃんと食え。体、壊したら元も子もないぞ」と、声をひそめ励ました。 昼食後、五人はもうひと踏ん張りといった意気込みでキビ畑に出る。 畑では、キビは種子から育てず苗から栽培していく。イネ科に属するサトウキビは光合成により葉に生じた糖分が茎の部分に蓄えられる。又、生育には大雨の季節の後に乾季が来る、湿潤(しつじゅん)で暑い気候が適している。 比嘉智明はキビの生育の邪魔となる生い茂った雑草を鎌で刈り取り横に並んだ人間の手を介して不要物を移送していった。 キビの生い茂った長い茎に身を隠し休息を取ることも可能だが、ルナに知れたら最後、みみずばれが出来る程、鞭で打たれる為、皆、せわしなく手を動かしている。 いつのまにか、沖縄勢のリーダーとなっていた智明は、五人が欠ける事なく、大手を振って母国に帰れるよう、何としてでも乗り切っていかなければと、自らを(ふる)い立たせた。 沖野三郎と日高吾一は、最近、流行りだした賭け事にも加わらず、後、数ヶ月でハワイを離れる吾一の部屋にこもり、仲間から融通してもらった安酒を酌み交わしていた。 部屋には寝台がいくつか並べられていたが、そこで休んでいる者は無く、皆、酒場に足を延ばしたり、女を買いに街に行ったりしていた。 「吾一さんにはすっかり世話になって。本当に有難うございました」 「いいってことよ。同じ国の者どうし、助け合わねぇとな。俺も先輩にはだいぶ助けてもらった(くち)だから」 「日本に帰って何かやる予定あるんですか?」 「そうだな。ここで貯めた金は少し寝かせておいて、取り敢えず、日本でも働き口を見つけるな。稼いだ金はここぞという時に使うつもりだ」 母国に帰るや否や三日三晩芸者をあげて遊び(ほう)けるだろうと予測していた三郎は、意外にも堅実な計画を立てている吾一に面くらった。 というのも、三郎が現地入りして三ヶ月が過ぎた頃、吾一に誘われ、娼館に出向いた事があったからだった。 「どんな女に当たるかは時の運さ。まっ、ついてきなって」 実際、娼館の中に入ると照明は薄暗く、何とも言えない淫靡な香りが充満していた。 日本にいた当時は「女を抱く」など到底、夢物語に近い話ではあったが、異国の地という事もあり、三郎はビビった様子を悟られないように、先に女と部屋に消えた吾一同様、娼館のマダムにあてがわれた女と共に個室にしけこんだのだった。 3か月後、吾一は、同じくハワイを発つ仲間達と共に、船に乗りハワイを離れた。吾一が去った後、一人で昼食を取る事が多くなってきた三郎は、比嘉智明を始めとする沖縄から来た五人と言葉を交わすようになる。 社交辞令さながら三郎から彼らに声を掛けたのが発端だった。そんな中、三郎は、一段と元気のない島袋一志に気がつき「どうした、兄ちゃん。ルナに何か言われたか?」と問いただす。 だんまりを決め込む一志の代わりに比嘉智明が 「そうなんです。早速、目をつけられたみたいで、連日、向こうの思う壺のようになってしまっています」 その言葉に突き動かされた三郎は、そのままにしておけず 「よしっ。お前、今日俺の所に来い。宿舎はここだ」と言い、紙ナプキンに部屋番号を記したものを一志に差し出した。 仕事が終わり、三郎の下に比嘉智明に付き添われた一志がやってきた。 「おぉ、あんた済まなかったね。帰りは俺が送り届けるから安心しな」 「わかりました。お願いします」 比嘉智明は、任務を終えたかのようなすっきりとした顔を見せ、深々と頭を下げた後、帰っていった。 「何はともあれ、まずおばちゃんの所に行こう、ついてきな」 一志は言われた通りに、三郎の後に続き宿舎を出た。10分程歩くと、入口にほのかな(あか)りが(とも)された家があり、三郎は、(ひる)む事もなく、ドアをノックする。「はーい。()いてるよ」の声が終わらない内に三郎は、中に入り、すぐさま「おばちゃん、こいつにお茶ご馳走してやって」と、願い出た。 「その子は?」 「沖縄から兄貴や従兄弟と一緒に出稼ぎに来てる奴。見てたらどんどん瘦せていくんでね。一回、おばちゃんの所に連れて行かないと…と思ってさ」 「ホントにあんたはそうやって、だれか彼か連れてくるんだから」 三郎は、きょとんとしている一志の方を向き 「おばちゃんもさ、旦那さんと共に、日本からの出稼ぎ組だったんだけど、途中、旦那さんが工場勤務になって。今は独り者の面倒とかを引き受けてるって訳さ。俺もおばちゃんには本当に世話になってて」と説明する。 「図々しい男だけど、顔見せないと、あれっ、病気にでもなったのかな?って心配になったり。そりゃそうと、あんたら、ちょうどいい時に来たよ。知り合いからきんつばをもらってね。(うち)の人はあんこ駄目だから、たんとお上がり」 古内(ふるうち)絹代はそう言い、戸棚からきんつばを出して、二人にふるまった。 いったん奥に引っ込んだ絹代は、盆の上に茶を(たずさ)えて戻ってくる。 「いっしょにお茶もね」 黄緑色の茶が湯吞に注がれており、一志は、ここが異国であるという事をしばし忘れた。そして、自分に優しく接してくれる二人の同胞に、感謝の意を伝えようとするも、感極まって、胸がいっぱいになる。 やがて、一筋の涙が頬を伝い、それが引き金となって、後からあとから涙があふれ出てきてしまった。 「いいか、一志。たった三年だ。三年我慢すれば、もう辛い仕事もしなくていい。嫌な奴の顔も見なくて済むんだ。まずは三ヶ月、死に物狂いでがんばれ。そうすれば、ルナもお前の努力に敬意を表してくれる」 一志は、周囲にはばかる事もなく、とめどなく涙を流し続け、数分後、漸く、落ち着きを取り戻した。 「おばちゃん、じゃ、俺達そろそろ帰るわ」 「あぁ、明日も早いしね。じゃ、島袋さんだっけ?これからは三郎に連れてきてもらわなくても一人で来ればいい。腹の足しになるものは何かかにかあるから。気が向いたらいつでも寄りな」 一志は、故郷の母のように全てを受け止めてくれる絹代の大らかさに胸打たれ、何度も頭を下げ部屋を後にした。
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