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クイーンズ宝石店では、渋谷スズが夫の実と、従業員である沖野三郎の帰宅を待ち、ソワソワしていた。 というのも、実が予想以上に三郎を気に入り、得意先に連れていっては、せっせと三郎の顔を売っていたからである。 客の方も、紹介されたらされたで「じゃぁ、一杯、やりますか?」となり、行く先々で、三郎達を歓迎してくれた。 結局、商売に出ているのか、飲みに出歩いているのか、わからない状態が続き、妻としては「ほんとにあの人ときたら、皆でワイワイするのが好きなんだから」と、つい文句の一つも言いたくなる昨今だった。 「ただいま」 「お帰りなさい。食事は?」 「うん、二人とも、客の所で、食べてきたからいいよ」 「じゃ、お酒でも召し上がる?」 「いいね。グラス二つ出してくれ」 キッチンに入ったスズの所に、三郎が来て、グラスを受け取る。 「沖野君。あなたもうちに来て、二年でしょ?いつまでもあの人のカバン持ちみたいな事、やり続けなくてもいいのよ。時には早く帰って、ぐっすり眠りたいでしょうに」 「お気遣いありがとうございます。社長について家々を回っていると本当に勉強になるので…まだまだ、学ばなくてはならない点が多々ありますし」 三郎はそう言いながら踵を返し、テーブルで帳簿をつけている実の下に向かった。 実の酒の好みはもう把握しているので、それに沿って、スコッチウイスキーをオンザロックで出してやる。 渋谷実は、アタッシュケースに宝石を収納し、それを各家に持って行って商売をするという形を取っていた。 初めて訪問した家では、最初の雑談に信じられない位の時間を割く。 それはなぜなのか、実に尋ねたところ、実は 「最初は、逆に宝石を見せず、色々な話題を振って、相手に安心してもらい、打ち解けてもらうのが一番なんだ。最後の10分位にさっと、見せればいい。 客は、こちらがガツガツしていないのを見て、この相手は信用できる!となる」 -なるほど- 三郎は、全てにおいて、噛み砕いて教えてくれる実の論理にその都度納得し、徐々にそれらを習得していった。 帳簿付けが一段落した渋谷は、それらを一旦片付け、三郎と差し向かいでグラスを傾けた。 「君も、ある程度宝石のイロハを学んだだろうから、そろそろ一人で得意先を回ってみるか?」 「…」 「大丈夫さ。何てったって君には大物を前にしてもビビらない天性の心臓の強さがある」 「そうですかね、自分ではごく普通に、いつも通りの自分で行く事を心掛けているだけなんですが。それと、お客様の心をつかむ際、お世辞をベラベラ言った所で、何にもならないと知りまして」 「そう、俺たちがいくらおべんちゃらを言おうが、石の一つ一つがそんな物必要無い位の魅力を発揮してくれる」 「そうなんですよね」 「とは言え相手は女だ。先月、訪問した際には歓迎してくれたのに、今回は冷たい、と言う事も多々ある。 そんな時には迷わず撤収だ。女という生き物は兎に角、気分屋だからな」 「わかりました」 「明日、ポストオフィスを左折した通りにある倉持さんの所から、来てほしいという依頼があった。早速、君一人で行ってみてくれるか?」 三郎は「はい」と答え、引き続きその家の主婦、倉持洋子の好みについて、渋谷に問いただした。 「ごめん下さい」 沖野三郎はアルファベットで「クラモチ」と書かれたネームプレートを確認してドアをノックした。 「はーい」という返事と共にドアが開くと、襟の部分に刺繡が施されたピンクのブラウスにグレーのスカート姿の女が現れた。 「いらっしゃい。クイーンズ宝石店の方ね。 倉持です。どうぞ、お入りになって」 籐製のソファとテーブルが置かれた部屋には既にゲストとして招かれた二人の女が座っており、三郎は自己紹介と共に自身の名と会社名が入った名刺を彼らに手渡す。 紅茶を手にして戻って来た洋子は 「そうそう、あなたに皆さんを紹介するわね。こちら、ブルーのジャケットの方が井上コウさん。そしてそのお隣のストライプ柄のシャツの方が黒田ちよさん。 私達、三人とも日本から来た写真花嫁なの」 三郎もプランテーション上がりなので、写真花嫁についてはよく知っていた。 ハワイでサトウキビ農園を経営する会社は、仕事を覚えた農夫達に三年の奉公期間を過ぎても働き続けてほしいと願い、彼らをハワイに定住させる作戦として日本からの花嫁を募った。 見合いが簡単に出来ない遠方での縁談であるため、ハワイで撮影された写真を日本に送り付けての交渉となる。 農夫達の中には若い頃の写真を送る者もおり、本人と写真の人物が違いすぎると文句が出る事も少なからずあった。 そうした事が頭をかすめた三郎ではあったが、すぐ商売に戻り自己紹介をする。 「皆様、今日はお集まり頂き、誠に有難うございます。私、クイーンズ宝石店の沖野三郎と申します。1900年にこちらに来まして、プランテーションで三年間農夫として働いておりました。プランテーションでの勤めを終えた後、渋谷社長の経営する店で働いています。年齢は24です」 洋子は渡りに船とばかりに「そう、それじゃぁ、私達の方がほんの少し、お姉さんね」と、鯖を読み、他の二人もしれっとして受け流す。 三郎はこれで場が和んだと考え、テーブルに、持参したアタッシュケースを載せて、思わせぶりにしまってあったジュエリーボックスを取り出した。 そして、三人からよく見える位置にボックスを移動して、上蓋を外す。 一番先に感想を述べたのは洋子で 「やっぱり、お宅で扱っている石は素晴らしいわね。特にこのダイヤ、透明感が断トツ。欲を言えばもう少し粒が大きいのがいいわ」と忌憚ない意見を披露する。 「このダイアモンドは南アフリカのキンバリー鉱山で採掘されたものでして、うちの社長自ら、市場で厳選してきたものでございます」 そうした三郎の説明など、どこ吹く風といった感じで三人の女達は、ダイアモンド以外の石を手に取り、違った角度から見比べてその良さを吟味する。 「サファイア、ルビーも素敵だけどお値段がね。このオパール、あきがこなくて良さそう。買っちゃおうかしら?」 自身の気に入った石を取られまいとした井上コウが、他の二人に対して宣戦布告する。黒田ちよはそんなコウに付き合いきれないとして 「私はいいわ。今回は見送る。こんな高価なもの、主人の断りなく買う訳にはいかないもの」と矛を納める。 「私はね、このエメラルドが気に入ったの。でもこの石ってそれこそ高貴な身分の人がドレスアップした時に、つけないと浮いちゃうじゃない?だからやめた」と洋子がこぼすと、「なら、いつもドレス着ていればいいのに」と誰かが茶化し、一同、笑いに包まれた。 三郎は 「わかりました。今回は皆様のお眼鏡にかなう宝石がなかったようです。 ただ、皆さまがどのような宝石に魅力を感じるのだけは把握できました。早速、店に戻り、より良い宝石を選んでみたいと存じます」と言い、名残惜しそうにしている女達の前で、商品の片付けに取り掛かった。 これは、クイーンズ宝石店代表、渋谷による 「最初は買ってもらわなくてもОKという態度で行け」という、訪問販売の極意でもあった。 実際、三週間後に倉持家を訪問すると、女達はそれぞれの家の経済状況に見合った宝石を購入し、売った側の三郎も、購入した側の婦人達も、皆、満ち足りた顔で集いを終結させる事が出来た。
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