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三郎は、倉持家(くらもちけ)以外の家にも訪問販売に出かけ、その顧客数を確実に増やしていった。 勿論、全て結果が出るというわけではなく、けんもほろろに断られるケースもあった。だが、その都度、プランテーション時代の労働を思い出し「あれに比べればまだまし」という思いを胸に踏ん張る事が出来たのだった。 そうした折、又、倉持家に出掛ける事になり、彼女の希望に沿う宝石を準備して、家に向かう。 洋子は三郎から金のネックレスを購入し、三郎も丁重(ていちょう)に礼を述べて、帰り支度を始めてすぐの事だった。 「丁度良かった。沖野さん。私の主人、紹介するわね」 そう言う倉持洋子の隣には、洋子に20cm程の身長差をつけた男性がいた。 「主人の倉持茂。テーラーなの。こちらはクイーンズ宝石店の沖野さん」 三郎は、片付けの手を休め、彼らを正面に見据えて立つと 「奥様には常日頃お引き立て頂き、大変御世話になっております」 と礼を述べた。 「ちょくちょく、お噂は耳に届いてますよ。 今度飲みに行きませんか?土曜の8時頃にいらっしゃい。案内します」 びしっと一寸の(すき)もなくスーツを着こなした倉持茂は、紛れもない、成功者に見え、知り合いになりたいと瞬時に思った。 約束の日、三郎は倉持茂の提案通り、倉持家を訪れ、二人は茂の行きつけの店へと繰り出した。 「そうか。君もキビ畑出身か。私がハワイ入りした時にも船にキビ畑で働くっていう若者達がいたなぁ。皆、希望に満ちあふれていてね。 俺は親戚の家を手伝う形でハワイに来たから、気持ちの上では少々複雑な思いだったのを覚えているよ」 「そうですね。格差みたいなものを初日から()の当たりにして。 やはり、高給の陰にはこうした艱難辛苦がつきものなのか…と思いました」 「そうだよな」 倉持は年長者としての威厳を振りかざす事もなく、飲み仲間としては格好の相手だった。三郎も呼び出されては飛んでいき、二人で酒を酌み交わし、語り合う機会を得た。 4回目に声がかかった時も、てっきり行きつけの店に連れていかれるのだろうと思っていた三郎は、予め、倉持から-今日は多少趣向を変えた店に行こう- と言われ、何の疑いもなく、彼の後に続いた。 その言葉通り、いつもの酒場を通り過ぎ、うら寂しい道に入る。 いつしか、街灯も少ない通りに出ると、歴史を感じさせる洋館がポツンと建っており、倉持はドア横に「オーキッドルーム」と表示されているその建物に意気揚々として入っていった。 三郎も後に続き中に入るが、煙草の煙と人々の体臭が入り混じっており、直ちにむせかえりそうになる。 倉持は三郎の耳元で「女、女だよ。嫌いじゃないだろ?」と囁き、まず、マダムと思われる女の下に行き、三郎にあてがう女を頼んだ。 マダムは倉持の肩越しに三郎を盗み見ると、近くにいたボーイを呼び、何やら画策を練り始める。 それもつかの間、マダムは三郎を手招きして傍らに寄せると 「あなたにピッタリのフレッシュな娘がいるわよ。そこの階段を上って右に折れた所に、ドアが開いた部屋がある。そこにいるのがあなたの一夜限りの恋人、リリーよ」 と言い、ごく弱い力で三郎の背中を押した。 言われた通り、二階に上がると、ずらっと扉が閉められている中、半開きの部屋があり、意を決して中へ入る。衝立の奥に人の気配を感じるが、照明が落としてあり、それもこれから始める行為に対してはさもありなんと、男としての期待に胸が高まる。 衝立の先に歩を進めると、ベッドの縁に浅く腰かけている女の姿が目に入る。 女は、三郎の顔にサッと目を走らせると、薄いサテン地のガウンを床にすべらせ「さぁ、やりましょうよ」と挑発する。 その薄い胸に、何か "いたいけさ”を感じた三郎ではあったが、このままくるっと背を向けて帰るわけにもいかず、とりあえず衣服を脱ぎ椅子に掛けた後、徐に女をベッドに押し倒した。 キビ畑時代に仲間と連れ立って、何回か娼館に出向いた事はある。しかし、今日の女は確実にランクの上に位置する女だなと、節操なく腰を使いながら三郎は思った。 愛撫も何もせず、陰茎を女の暗く湿った部分に突き立て、ただ、挿入を繰り返すだけの性交だったが、(こと)(ほか)馴染みが良く、三郎は5分ほどで果てた。 「悪いな。あっという間に終わっちまって」 ズボンをはきつつ、三郎が詫びると 「こっちとしたら、その方が楽。それに、そういうセリフは恋人に言うもんでしょ」と言い「あたし、リリー。あんたと同じ日本人だよ」と名乗った。 三郎は通称ではなく、本名を知りたいと思い、問いかけそうになるも、それは出来ない相談だなと、ひっこめた。 「俺は沖野三郎。6年前、キビ畑で働く為、こっちに来た。今日は知り合いの倉持さんに連れられてきたんだ」 「ふっ。あの好き者おやじか…あの人、いつもパリッとした格好で決めてくるからね。目立つんだよ。でも女の子達からの評判は悪くない」 表立った娼館は、町に三軒ほどあり、白人系、ミクロネシア系、アジア系と何れも多国籍の女達が競い合うように春をひさいでいた。 この後もリリーには何人かの客との交わりが控えているのを察した三郎は 「じゃ、俺、もう行くから。またな…」と言い、リリーも「そう、また、寄って、待ってる」と応えた。 三郎は部屋を出ると、一階に降り、ソファに座って馴染みの女の身体が空くのを待っている男達の輪に加わった。ソファにはぐったりとして半裸の女に身体を預けている男がおり、女も半ば諦めてしまっているようだった。 三郎は、こうした状況に対して「由々しき問題です」などと偽善者ぶる気は毛頭なかった。 女に飢えている男達がおり、何としてでも金を稼がねばならない女達がいる。 両者の利害関係がピッタリ一致しているのだから結構な事ではないか!という考えが優勢を占めていた。 「沖野君、待たせたね」 倉持が、すっきりとした顔で三郎の前に現れる。 「じゃ、出ようか」と言う倉持の言葉に促され、二人で連れ立って娼館の外に出る。帰り道、三郎が立て替えてもらった分支払おうとすると 「今日はいいよ。誘ったのは俺なんだから」 といい、三郎の手を差し止めた。 三郎は「申し訳ない」と恐縮しながらも、今度はいつ、行こうか?とひとり胸を高鳴らせた。 倉持と別れ、間借りしている部屋に戻った三郎は、シャワーを浴び、渋谷スズに用意してもらった寝間着に着替えた。 寝室のベッドの上に大の字で寝そべると先ほどの娼館での行為が甦り、身体が熱くなる。そして、世話になりっぱなしの渋谷夫妻についてもじっくりと考えてみる。 夫の実には、宝石の扱い方、商売のイロハを教わり、妻のスズにはまるで実の息子のように、世話を焼いてもらった。 こうした上げ膳据え膳の生活にどっぷり浸かっていると、プランテーション時代に培ったハングリー精神が、ゼロになりそうでこわい。 -いい大人がいつまでも居候生活を送っているのもマズい- 三郎は、睡魔に襲われそうになる瞬間、渋谷夫妻に、ここから出ていく事を申し出よう、と決意した。 明朝、渋谷夫妻と共に朝食のテーブルにつく。 「おはようございます」 「おはよう。昨日は遅かったみたいだね」 「はい。お客さんの誘いで、ちょっと出てました」 そこで、渋谷スズが 「違うのよ。昨日はお隣さんがガーデンパーティーをやっててね。どんな具合か、カーテン越しに覗いてたら、あなたの姿が目に入ったってわけ」 三郎は、自身が物音をたててしまった訳ではないと、ほっとするも、どこにでもある平和な食事風景に一石を投じるように、二人にある相談を持ち掛ける。 「実は私、ここを出ていく事を考えてます」 「えっ」 予想通り、渋谷スズが給仕の手を止めた。 「いや。クイーンズ宝石店にはまだ置いて頂きたいのです。一人前になるには、まだまだ年数がかかると思いますし。ただ、食事から洗濯まで、全てをやってもらっていては人間的に(なま)っていってしまいそうで…」 「あー、良かった。店には、居続けてくれるのね。 それなら、私達は別に…ね?あなた」 「うん、君の好きにしたらいいよ。だが、次の移住先が決まらないようだったら何時でも戻ってこい」 「有難うございます」 渋谷のその言葉に感激した三郎は、何が何でも一人での生活をやり遂げなければ、と心に誓った。 翌日、三郎は、プランテーションを出て、二、三日宿泊した宿「アーリーバード」に出向き、下宿させてもらいたい旨を伝えた。 早苗と名乗る女将は、今までもそういう男達に部屋を貸していた事があるそうで、二つ返事で了承してくれた。契約を済ませた後、早苗からキーを預かりトランク一つで部屋に入る。 生活用品は、宿の備え付けの物を使えば良い為、何着かの衣服をタンスに移し替えるだけで、新生活の準備は整った。 午後は店に出る。 スズより、出先からまだ戻っていない社長からの伝言を聞く。 「倉持さんの所に何人かのお客様がお待ちらしいの。 丁度、今、お昼時だから少し時間を空けて行ってみてくれって」 「わかりました」 一時間後に倉持家を訪ねると、総勢5名のマダム達がおり、内、三名が幾つかのジュエリーを購入してくれた。 久しぶりにホクホクとした気持ちで、商売道具を片付けていると、洋子より倉持茂から預かっているという手紙を渡された。 「沖野君、ご無沙汰しています。忙しいとは思いますが、たまにはオーキッドルームにもお立ち寄りください。倉持」 すぐ近くにいる洋子に目を移すと、手紙の内容が知りたくて仕方がないように映ったので 「奥様、今日はご購入して頂き本当に有難うございました。また、呼んで下さい」と言って、すぐさま退散した。 次の訪問先での仕事を終えた後、三郎は、いったん店に戻る。 「ただいま、戻りました」 「お帰りなさい。社長は今日はお友達の家で麻雀ですって。あなた、すぐ、帰る?サンドイッチがあるんだけど、食べていかない?」 「すみません。今日は偶々、用がありまして」 スズは三郎の今まで見せたことの無い表情を見て、これは女性絡みの話に違いないと確信した。 しかし、ここでつっこんで聞いてみた所で、彼がベラベラと喋るわけもない…と推測し、一人胸の内に押し寄せた好奇心を封印した。 何か聞きたそうにしている渋谷スズを見事に撒いた三郎は、気もそぞろにオーキッドルームに向かった。 中に入ると、相変わらずの紫煙に閉口するも、先を急ぐばかりにオーナーのジュディをさがす。 ジュディはバーにおり、数人の男達に囲まれてご機嫌の様子だった。 「あら、色男さん。随分と間をあけてのご来店ね。今日はとうとう欲望に勝てずってとこかしら?」 「あぁ、何とでも言ってくれよ。ところで、例の娘いるか?」 「リリーね。今、ボーイを呼ぶから彼と一緒に二階に上がってみてくれる?」 壮健そのものの体躯のボーイは、三郎の下に来るとその外面からは想像できない従順な(しもべ)のように、三郎を二階へと誘導した。誰もいない部屋で暫し待つように言われ、ちょっと横になるか?と考えてベッドの上に大の字になる。 いつの間にか眠ってしまった三郎は、夢の中にいた。 両わきには目もくらむような美女がおり、酒を注いでくれる中 -どうぞ今宵の相手に私をお選びください- とした若い娘達が列をなしている。 -まるで竜宮城のようだ- うっとりとしていると、いつのまにか現実に引き戻され、リリーが馬乗りになって三郎の陰茎をしごいている様子を目の当たりにする。 「ふふっ。寝過ごした罰よ」 その手の動きは変幻自在で、蛇か何かにぐるぐるとまとわりつかれているような感覚だった。 7、8分で爆ぜた三郎は、何となく気まずさを覚え、リリーの身の上話に言及することもなく、ベッドから起き上がる。 「又、来るよ」 リリーにとって自分はどういう男に映っているのだろう?というもどかしさを身にまとったまま、三郎は、部屋を出た。
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