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◇ ◇ ◇
城の最上階である5階に位置する謁見の間で、侍従が声を張り上げて来賓を紹介する。
なんとか王子様の情報を少しでも手に入れようと気持ちを張り詰めて従者の声に集中しようと考えていたのに、梨沙は目の前の男性から目が離せないまま、その場で身体も思考も固まってしまった。
「ラヴァンディエ王国、ジルベール=ラヴァンディエ王子」
梨沙の視線を占領する彼の名が告げられる。
金色の髪、深緑色の瞳。赤い軍服のような燕尾服に金色の肩章。
昨日馬車でここまで送ってくれたジルベールが、あのバラ園で梨沙を抱きしめてくれたジルが、ラヴァンディエの王子として公爵に頭を下げている。
(そんな……。彼も絵本の登場人物だったなんて!)
その後ろに控えているのは、昨日一緒に馬車に乗っていた穏やかそうな男性。彼はローランと呼ばれていた。
長身で整った顔立ちの彼らが豪華絢爛な大広間に並ぶと、1枚の絵画のように美しく見る者を魅了する力がある。
誰がどう見てもジルベールが王子様で、後ろに控えているローランが従者。
しかし、梨沙は知っていた。ここは『私だけの王子様』の絵本の世界なんだということを。
梨沙達だけでなく、ラヴァンディエの王子様も従者と入れ替わっていることを、絵本を読んでいた彼女は知ってしまっているのだ。
その証拠に、ローランはリサの後ろに控えるメイド服姿のシルヴィアに目を奪われている。
ということは……。
『まぁ……、芝居を打ちに』
ジルベールが言っていた芝居とは、どこか舞台上でお芝居する役者なわけではなくて…。
(王子様役って……この入れ替わりのことだったんだ!)
「お初にお目にかかります。ラヴァンディエ王国のジルベール=ラヴァンディエでございます。父がくれぐれも宜しく伝えて欲しいと申しておりました」
この花婿をもてなす宴の主催者であるシルヴィアの父、レスピナード公爵に美しい所作で片膝を付き頭を下げたジルベールは、その隣にいる梨沙の顔を見て目を見張った。
(なぜ、君がそんな格好でその場所にいるんだ)
そう思うのは当然だろう。昨日この城に来る途中に道で倒れていたメイドが、豪華なドレスを着て公爵の傍らにいるのだから。
今の梨沙は昨日とは別人だった。ほぼすっぴんだった昨日とは違って今日はエマに念入りに化粧を施され、ストレートの黒髪は綺麗にカールされたブロンドになっている。
メイド服やパジャマのワンピース姿ではなく、豪華できらびやかなドレス姿。
それでも、ジルベールはひと目見て梨沙だと気付いたらしい。絵本のシナリオを考えれば、早速こちらも入れ替わっている事がバレてしまったのはとんでもなくまずい。
お互い様だと言えばそれまでだが、主催した側が来賓をだましているのだから、ちょっと居心地が悪いのは否めない。
しかしそれ以上に、ジルが自分に気付いてくれたのが嬉しくて梨沙は胸が熱くなる。
昨日の姿とは全く違うのに、それでも自分に気が付いてくれた。その事が梨沙をこれ以上ないほど喜ばせていた。
ジルベールはラヴァンディエ王国の国王である父の命令で、このレスピナード公爵の1人娘シルヴィアの花婿候補としてやって来た。
彼には兄がおり、ラヴァンディエは兄が王位を継ぐ予定のため、この縁談で父親同士が親交の深いレスピナードに婿に出し、友好関係を盤石にするのも吝かではないと第二王子である彼が否応なしに送り出された。
しかしジルベール自身は身を固める気は全く無い。王子とは言え騎士団に身を置く彼は、妻を娶る気もなく生涯を剣術に捧げる覚悟だった。
それを国王である父にも告げたが、なにせ1度会ってみてから決めろとうるさく言われ、『会ってダメだったら友好同盟の永久締結の署名だけを持って帰る』と約束し、このレスピナードまで遥々やって来た。
言い出したら聞かないのがラヴァンディエ家の男達の気性だ。父も祖父もそう。さらにはジルベールの兄にもその頑固な気質は継承されている。自分だけは違うとジルベールは思っているが、当然本人にもしっかりとその血は受け継がれている。
ジルベールは華やかに飾られた大広間を見て、密かにため息を吐いた。自分は断ろうと決めている縁談の相手から過剰なもてなしを受けるのは良心が痛む。
しかも今回は――――、少しばかり相手に黙っている秘密があるのだ。
これについては国王である父も知らない。いや、もしかしたら今頃気が付き、国でひっくり返っているかもしれない。
ジルベールが結婚をしたくない理由は剣術に身を捧げる以外にもう1つあった。
彼は女というものが苦手だった。女性と関わる機会が少なかったのも理由のひとつかもしれない。十の歳には他の貴族の子息と共に騎士見習いから始め、騎士の養成士官学校にも通った。当然周りはみんな男ばかり。
しかしそれだけではない。ジルベールは一番身近な女性である母親が苦手だった。
当時ラヴァンディエ王国の王子であった現国王の父と、貴族の令嬢だったジルベールの母は政略結婚であり、恋愛感情などなかった。その婚姻は絶対的な王命ではなく、母親は何人かいた王妃候補の1人に過ぎなかった。
しかし、当時恋人がいたジルベールの母は、国王の妻、王子の母になりたいがために王妃となり、愛してもいない男の子供を2人も産んだ。今や夫とは一緒に暮らしてすらいないのに、それでも人の前に出れば幸せそうに笑っている。
その事実が実直なジルベールには理解し難く、また嫌悪したくなるものだった。
野心のためなら大切な人を裏切り、自分の心にまでも嘘をつく。女とはジルベールにとってそういう生き物だった。
王族や貴族の結婚なんてそんなものだと15歳だった兄はまだ12歳のジルベールに笑っていたが、それならば自分は結婚などしたくない。
国王となる兄を剣で支え、このラヴァンディエを共に守っていく。それでいいのだと思っていた。
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