3.入れ替わったメイドと姫

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◇ ◇ ◇ 篝火に照らされた小さなバラ園。昨夜と同じ場所へ行くと、既にジルベールがベンチに座って待っていた。 今夜もバラを揺らす風が冷たい。昨日の二の舞にならないよう、夜着の上に箪笥に入っていたショールを拝借して羽織ってきた。 ショールは2枚あり、ひとつは赤色。もうひとつは黒に近い紺色だった。梨沙は迷わず赤色を選んで羽織った。 もちろん化粧を落とし、ウィッグも被っていない。自分の姿のまま、この中庭へやって来た。 遠くに彼女を見つけたジルベールはベンチから立ち上がると、その姿を見てとても嬉しそうに目を細めた。 その向けられた微笑みに胸がキュンと鳴く。 「すみません、お待たせしましたか?」 「いや、構わない」 手を差し出され、何かと思いつつそっと自分の手を重ねると、ジルベールはまるで本物の王子様のように反対の手を梨沙の腰に回し、エスコートしながらベンチに座らせた。 「ありがとう、ございます」 「何から聞くべきか」 梨沙の手を握ったまま苦笑を浮かべたジルベール。この格好を見たからには、彼女が公爵の娘のシルヴィア姫ではないと確信していた。 「まずは、君の名前を聞いてもいいか」 (そうだった。私はまだ自己紹介もしていないんだった) 「梨沙……、リサ=レスピリアです」 ここではもう日比谷梨沙ではない。今現在『嘘偽りない自分』はリサなのだ。若干言い慣れない姓にどぎまぎしながら告げると、彼の形のいい唇がリサの名前を呼ぶ。 「リサ。いい名だ」 たったそれだけで、胸がいっぱいになる程の幸福感に満たされる。 しかし今日はうっとりしている場合ではない。ジルベールもすぐに本題に入りたそうにしていた。 「早速だが、なぜ姫の振りをしている? 本物のシルヴィア姫はどうしているんだ」 リサは予想していた質問に、あらかじめ考えてきた答えを淀みなく伝えた。 「シルヴィア様は公爵様から突然結婚を告げられ戸惑っておられます。それで、花婿となる王子様の様子を離れたところから見たいと、私と入れ替わる計画を立てられたんです」 リサの答えを聞きながら眉間に皺が寄っていく。ジルベールは不快さをなんとか押し殺そうとするような表情で彼女を見た。 「入れ替わって騙すのは不誠実とは思わないのか」 「それは……」 騙すだなんて言い方をしないで欲しい。確かに嘘をついているのは良くないが、シルヴィアだって遊びでしているわけではない。 自分の一生涯の伴侶を選ぶのに、今はこれしか方法が思いつかなかっただけなのだ。決して相手を貶めるための嘘ではない。 それに……。 入れ替わっているのはお互い様ではないのか。 ジルベールだって今は王子の振りをしているが、本当は従者なはず。あの穏やかな笑みを湛えたローランが本物の王子様なのだ。 今は王子のフリをしているからシルヴィアを咎める言い方が出来るが、本来なら跪いてでしか彼女を見られない立場のはずであり、彼の主人であるローランと入れ替わってやっているジルベールならば、シルヴィアの気持ちもわかるはずだ。 そうだとすれば、一方的にシルヴィアだけを責めるのはお門違いだとリサは思う。 そう思うものの、リサはその胸のうちをそのまま言葉にするなんてことは出来ない。彼女は幼い頃から言いたいことを言葉にするのがとても苦手だった。 「リサ? まさか、姫に無理やり入れ替わりを強要されているのか?」 リサが何も言えないのをとんでもない方向に解釈したジルベールが、恐ろしい形相で彼女を見る。 「ちっ、違います!」 これではシルヴィアの印象が悪くなってしまう。ジルベールの考えが間違っていると必死に否定した。 「あの、私もシルヴィア様には幸せな結婚をしてほしくて、だから……」 本当は絵本の結末を知っているから、そのストーリー通りに協力しただなんて言えない。 だが憧れのお姫様であるシルヴィアが幸せになって、めでたしめでたしと言える結婚をしてほしいのは本当だった。 「騙すような形になってしまったのは、あの、本当にすみません。でも、シルヴィア様は」 「わかった」 リサの言葉を遮るように、ジルベールは人差し指を彼女の唇に押し当てた。柔らかく当てられる指の感触に驚き、言葉を止めたものの、鼓動は反対に大きく早くなる。 「リサの姫を思う気持ちはわかった」 仕方ないとでも言いたげな苦笑だけど、眉間に皺がなくなってほっとする。 「悪意がないということも理解した。問い詰めるような真似をして悪かった」 「そ、そんなこと」 「だがラヴァンディエ王国の王子である俺に偽りを告げた罪は重い。よってリサに罰を言い渡す」 「……ば、罰?」 恐ろしい事態になったらどうしようと身体を竦ませる。こんな展開は当然絵本には出てきておらず、リサはどう対処すべきかわからない。 やはりシルヴィアに相談するべきだっただろうかと何度目かわからない後悔が脳裏をよぎる。 しかし、リサに与えられた罰は、彼女の思っていたような恐ろしいものではなかった。 「明日、俺と一緒に街に出ること。もちろん本物の姫や護衛はなしで2人きりだ。リサにこの街を案内してほしい」 ジルベールが言い渡した罰の意味を理解するのに、リサは何度も瞬きを繰り返し、頭と心が彼の言わんとしていることを察すると、ぶわっと顔が熱くなる。 「えっ、でも……」 「大丈夫、そんなに長い時間ではない。……嫌か?」 罰だと言っていたのに、ジルベールはリサの意向を確認してくれる。そのことがリサにジルベールが本当は王子ではないことを再認識させた。 絵本の中でハッピーエンドになるのは姫と王子だけではない。彼らに付き合って入れ替わりをしていたメイドと従者も、それぞれ想い合って幸せになるのだ。 絵本のとおりにいくとなれば、リサの相手は目の前にいるこのジルベールということになる。その考えに辿り着くと恥ずかしくて仕方なかった。 しかし、それは決して嫌ではない。昨夜このバラ園で『一緒に来い』と言ってくれた彼に惹かれていた。 リサは俯いて彼の目を見られないままゆっくりと首を横にふり、嫌ではないと言外に告げた。 行ってみたい。彼と2人で出掛けてみたい。そんな心の底から湧き上がる欲望に抗うことが出来なかった。 「よし。では明日の朝、皆が動き出す前に厩舎の裏で落ち合おう」 「はい」 楽しみだな、と素直にリサは思った。 ジルベールは自分に嘘をついた罰だと言っていたが、そうだとすればなんという甘い咎めだろう。 「こんなに綺麗な髪を隠してしまうのも罪だな」 リサの黒髪を一房掬い、その毛先を口元に持っていくジルベール。 その一連の流れるような仕草がまるで本物の王子様のようで目が釘付けになる。神経の通っていないはずの髪の毛から彼の体温が伝わってくるようで、至近距離にある彼の美しい顔から目を背けた。 ジルベールはリサの艷やかな黒髪に何度か指を通しその感触を楽しむと「今夜は早く休め」とリサを部屋へ戻るように促す。 彼と別れ部屋に戻りながら明日のことを考える。シルヴィアに内緒でジルベールと約束をしたことに対する罪悪感はあまり感じなかった。 なぜなら、ジルベールは本物の王子様ではないと知っているから。シルヴィアが本当に惹かれ合い結ばれるべきは、今従者を装っているローランなのだから。 明日の午前中少し2人で抜けるくらいなら、きっと大事にもならない。 自室に戻って横になっても、なかなか眠気が訪れなかった。遠足が楽しみで眠れない小学生のようにワクワクしている。 リサは逸る気持ちを抑え、明日に備えて目を閉じた。
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