4.止められない想い

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――――それでもいい。 そう思ってしまう自分に驚く。 あの世界の自分は不幸ではなかった。急にいなくなり、悲しんでくれる人はいるだろう。『ひまわりの家』のみんなはきっとそこら中探してくれるに違いない。それを思えば申し訳ない気持ちでいっぱいになる。 しかし、ここには『君の居場所になる』と言ってくれたジルベールが居る。彼と一緒にいたいと思ってしまうのは薄情なことだろうか。 自分の中には、この世界で"リサ"として生きてきた時の記憶が薄っすらだがちゃんとある。この世界のいろんなものに触れるたび、どんどん思い出していくだろう。 日本人である梨沙にはおよそ読めないはずの文字もすんなり理解出来るし、お金の単位やこの国の習慣や文化もわかる。生きていくに困ることはおそらくないだろうと思われた。 リサは城を出ようと思っていた。そのことも『ひまわりの家』を出ていこうとしていた"梨沙"とシンクロし、既に彼女は"梨沙"としての記憶を持った"リサ=レスピリア"として生きていこうと心に決めていた。 「君、ひとり?」 買って貰ったパンの袋を抱えてぼーっと考え事をしていると、いつの間にか目の前に2人組の男がいることに気が付いた。 ベンチに座っているリサが顔を上げて見ると、2人の男は真っ赤な顔をしていて、吐く息どころか纏う空気すらお酒の匂いがする。今の時間を考えると、きっと夜通し飲んでいたのだろうと察しが付いた。 見知らぬ男達に声を掛けられ、リサは困惑してしまった。 「俺たちこれから朝飯なんだ。よかったら付き合わない?」 こういう時、咄嗟にどういう風にうまく断ったらいいのかわからない。元々自分の気持ちをうまく言葉に出来ないリサにとって、こういった突発的な出来事に対処することは至難の業だった。 以前バイトしていたメイド喫茶でも多少お客に絡まれることはあったが、それでも酔って来店するような客はいなかった。 真っ赤な顔と酒臭さのわりにしっかりした足取りと口調の彼らだが、酔っぱらいに絡まれるという体験を未成年のリサがしたことがあるはずもなく、隣に座ってきた男に急に肩を抱かれると恐怖で動けなくなってしまった。 「あ、あの、私は」 「彼女に何か用か」 震える手でパンの入った袋を抱きしめ、必死に1人ではないと主張しようとしていたところに、果実たっぷりのジュースが入ったカップを2つ持って戻ってきたジルベールが、視線だけで人を貫けそうな程鋭い眼差しで男達を睨んでた。 「あ……」 先に気付いたリサに遅れをとってジルベールを見上げた男2人は、その眼光の鋭さに一気に酔いが覚める。 「いや、別に、俺らは……なぁ?」 「あ? あぁ、別に何も。ちょっと道を、美味い店を知りたくて。ねぇ?」 なんとも言い訳がましい言葉を口にする2人は、リサの肩に回していた腕に恐ろしい目が向けられていると気付くや否やベンチから大きく飛び退き、ペコペコと軽く頭を下げながら薄くぎこちなく笑って後ずさる。 そのまま脱兎のごとく走って逃げていった2人に嘆息するジルベールは、鋭かった眼差しを心配げに和らげてリサに向ける。 男2人に声を掛けられているリサを遠目で見つけた瞬間、冷や汗が吹き出す思いだった。自分が少しの間離れていた隙に、あっさり他の男にもっていかれては堪らない。 1人が彼女の肩に腕を回した瞬間、彼女の顔はさらに強張り、パンの袋を持っていた手が微かに震えているのがわかった。 それを見た時、帯剣していたら間違いなく抜いていただろうと思うほどの激情が胸を突き上げた。 殴りかかりたくなる気持ちをなんとか抑え付け、それでも隠しきれない苛立ちを声に滲ませて彼らを蹴散らすと、目の前には小さく身体を竦めたままのリサが、自分を見上げている。 「あの、ありがとうございました」 「いや。何かされなかったか?」 「大丈夫です」 小さく微笑む彼女がいじらしく、守ってやりたいという庇護欲があとからあとから沸いてくる。 危なっかしくて目が離せない。そんな風に思う存在は初めてで、ジルベールは困惑しながらもリサを愛おしく思い始めている自分を御することは不可能だと感じていた。 「食べようか。飲み物はパンに合うだろうと思ってフルーツジュースにした。オレンジとイチゴ、どちらがいい?」 「ジルは? どっちが好きですか?」 「リサ。君が好きな方を選ぶといい。どちらも君が昨日の昼に食べていたから好きなのだろうと選んだんだ」 ジルベールは、リサが自分の意見を言うことが苦手だということを察していた。 出会った日の夜は心の内を曝け出すように話してくれたというのに、今は飲み物の種類ひとつ選ぶにも自己主張をしない。 謙虚な娘だというのはわかるが、もっと気持ちを聞きたい。一体リサが何を好きで、何を感じて、どう思っているのか。彼女の言葉で聞きたいとジルベールは切望していた。 「えっと……じゃあ、いちごを。いいですか?」 「もちろん」 「ありがとうございます。実は、果物の中でいちごが1番好きなんです」 赤い方のカップを渡すと、くすぐったそうに笑うリサの微笑みに目が奪われる。 たったこれだけのことに喜ぶ女性が今までいただろうか。 ジルベールが知る女性とは母親か、または父である国王に兄と共に出席させられる社交の場で会う華やかに着飾った貴族の娘たちだが、どちらもドレスや宝石の美しさを競い合い、自身の美しさを讃えられるとこに慣れ、家柄や身分に驕り、尽くされることが当然だと思っている者ばかりだった。 そんな女性というものに辟易していたジルベールの目には、リサは慎ましく思慮深い天使のように映った。 そんな彼女だからこそ守ってやりたい。自分の持てるもの全てを与えてやりたい。リサのためなら世界中から甘いいちごをかき集めてやるし、夜中だろうとパンを焼かせて好きなだけ焼きたての香ばしい匂いをかがせてやりたい。そんな思いにさせられた。
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