5.消えてしまった炎

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5.消えてしまった炎

花婿候補のジルベールをもてなす宴の3日目。 リサはシルヴィアのドレスを纏い、艶のある黒髪をすっぽりとブロンドのウィッグで覆った偽りの姿で、ジルベールと共に昼食前に庭園へ下りる階段を歩いていた。 陽の光が降り注ぎ、気候も穏やかで散歩日和。蕾だった花も綻び、庭園に咲く花は今が見頃と競って顔を上に向けている。 夜には見られない美しい景観を楽しもうと、ジルベールがこうしてリサを昼の庭の散歩に誘ったのだった。 隣を歩くジルベールから横顔に痛いほど視線を感じ、いたたまれなくなったリサは思い切って歩みを止め「なんですか?」と問いかける。 「そんなに見られると気になります」 「悪い。柄にもなく浮かれているらしい」 彼の発言の真意がわからず首を傾げると、ジルベールはリサの右手を取り、無骨な親指で彼女の薬指を撫でる。 「国に帰ったら、本物の石のついたものを贈ろう」 リサの薬指には、昨日彼から貰ったおもちゃの指輪がそのままはめられていた。シルヴィアの部屋でエマにメイクやドレスの着付けをしてもらっている間は、バレないようにこっそりペチコートの中のポケットに隠していた。 「いえ、いりません」 「なぜだ? 職人を呼んで名でも紋章でも掘ってもらえばいい。このデザインが気に入っているのなら、同じものを本物の石で作らせよう」 その言葉にも、リサはゆっくりと首を振る。 「私はジルが買ってくれたこの指輪が宝物なんです。これ以上はいりません」 「リサ」 あまりにも愛しい彼女のこめかみにそっとキスを落とす。思いも寄らないジルベールの行動に、リサは真っ赤になりながら辺りに誰もいないかキョロキョロと見回した。 「こっ、こんなところで……!」 「リサが可愛すぎるのが悪い」 「そっ、私はなにも」 「騎士団の連中が今の俺を見たら腰を抜かすだろうな」 声を上げて笑うジルベールの横顔を見上げ、リサは恥ずかしいと感じながらもたまらなく幸せになる。 ブロンドのウィッグの髪に触れ、ジルベールはため息を落とす。 「この扮装では、リサの美しい黒髪に触れられない」 少し不満そうに言う彼に申し訳なく思いつつ、自分はシルヴィアの扮装をしていない限りジルベールとこうして城内で親しく話をすることは出来ないと思うと、胸がぎゅっと痛んだ。 ずっとこのまま一緒にいたい。そんな望みを口に出してしまいたくなる。 右手を繋がれたまま歩く中庭。いつも夜に会う時は上段の外れにあるバラ園だが、今は下段まで下りて噴水から吹き上がる飛沫が太陽の光に反射しきらめく様を2人で眺めている。 ふとリサがバラ園に目をやると、そこにはメイド服姿のシルヴィアと従者のローランの姿があった。 2人でなにやら話している様子は、どことなく楽しそうに見える。 ローランもジルベールと同様、長身に輝く金色の髪を持ち、深緑色の瞳は優しげにシルヴィアに向けられている。 メイド服を着ていても可憐さや上品さを失わないシルヴィアの頭にぽんぽんと手を置き、それを彼女も嫌がっている素振りは見えない。かなり打ち解けている様子が見受けられた。 絵本の通りなら、ローランは従者のフリをしていても実は王子様で、互いに偽りの姿のまま惹かれ合うというとてもロマンチックな展開になるはずだった。 しかし王子様は今リサの隣りにいて、あろうことか侍女である自分は彼からもらった指輪をはめた手を繋いでいる。 一体、自分はどうすべきなのか。本当は分かっているのに、今のこの幸せな時間を手放すのが惜しい。 こうして彼と触れ合えば触れ合うだけ、リサの胸には幸せと同じだけの罪悪感が降り積もっていく。 それはきっと後から雪崩のようにリサを苦しみの渦に飲み込み苛むだろうと、リサは自分でもはっきりと分かっていた。 それでももう少しだけこの幸せに浸っていたい。後悔する日が来ようとも、今は彼のそばにいたかった。 その日の午後、リサはシルヴィアに呼ばれ彼女の部屋を訪れていた。 「ねぇリサ。ジルベール様をどう思う?」 侍女姿のシルヴィアに無邪気に問われ、ドキッと鼓動が大きく跳ねた。 いまだにこの入れ替わりがジルベールに知られていることも、昨日こっそりふたりで城を抜け出したことも、彼を好きになってしまったことも話せていない。 城で開かれる昼食会や晩餐会で自分がシルヴィアのフリをしている間、彼女はずっとジルベールを観察しているはずだ。 シルヴィアの目にジルベールがどう映っているのかも気になるが、リサは向けられた質問に自分の感情を入れないよう気を付けながら当たり障りなく答えた。 「はい、素敵な方だと、思います」 「そう! やっぱり?」 シルヴィアは嬉しそうに両手を合わせて声を上げた。その声音が思っていた以上に弾んでいることに、リサは気付いてしまった。 「私もね、ローラン……あの、ジルベール様についてきた従者に聞いたのだけど、ジルベール様は騎士団にいらっしゃるからとても硬派で、口数は多くないけど優しい方だとおっしゃっていたわ」 シルヴィアの鈴を転がすような声で紡がれるジルベールの話に、リサの胸が軋むように痛んだ。 あんなに結婚に否定的だったシルヴィアのジルベールへの評価は上々のようだ。リサが彼女のふりをしている間も、従者にジルベールの人となりを聞いたりと、しっかりこの入れ替わりを活用して花婿に相応しいかを見極めていたらしい。 先程バラ園でシルヴィアとローランを見かけたのを思い出した。あの時に彼からジルベールのことを聞いたのだろうか。 ジルベールはシルヴィアの花婿候補としてこの城を訪れている。シルヴィアがそうすることは当然で、その為に今リサはこうして重いドレスを身に纏っているというのはわかっていたことなのに、気持ちがどんどん沈んでいってしまう。 「そう、なんですか……」 「ええ。どんな相手にも分け隔てなく接する大きなお心もお持ちのようだし。ちょっと女性が苦手なようだけど、彼ならきっと幸せにしてくださるわ」 シルヴィアは頬をピンク色に染めて興奮気味に話す。リサの目には、シルヴィアの心はもう彼との結婚に向けて一直線に走り出しているように見えた。 この宴が終われば、きっと入れ替わっていたことをジルベールに打ち明け、許しを請い、その後に父親同士を通じて結婚を受け入れ、婚姻を結ばんとするのだろう。 そうなれば、ジルベールは一体どうするのだろうか。 昨夜、彼は甘えていいと言ってくれた。自分の意見を言ってもいいのだと。しかしそんな事をすれば悲しむ人がいる。 じわりと涙が滲みそうになるのを、なんとか下唇を噛みしめることで耐える。こんな所で泣くわけにはいかなかった。 頭の中であれこれと考えていたリサの前に、シルヴィアは1枚の紙をずいっと押し出してきた。 「だからね、これは返すわ。私は見なかったことにする。もし本当にリサがここを出ていくことがあるとしたら、それはリサが結婚するときよ。こんな手紙ひとつでサヨナラなんて許さないわ!」 ぷんぷんと頬を膨らましながらも、シルヴィアのリサを見る目は優しい。公爵家の姫が侍女に対して持つ感情以上に、優しく慎ましいリサを同い年ながら妹のように思ってきた。 仕事はしっかりとしてくれるのに、自分の事はあと回し。全てこの城のため、シルヴィアのために生きてきたリサには、本当に幸せになってもらいたいと心優しい姫は考えていた。
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