5.消えてしまった炎

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◇ ◇ ◇ 「具合でも悪いのか?昼も夜もあまり食べていなかっただろう」 ジルベールは心配げにリサの顔を覗き込む。 今までこんな風に誰かを想うことはなかった。リサの一挙手一投足を見逃すまいと常に彼女に気を配っている。そんな今の自分に苦笑しつつ、昔の自分に教えてやりたいとも思う。 ずっと自分は生涯独身を通すと思ってきた。王位も不要で、剣の道に身を捧げると思ってきた。 しかし、リサに出会ったことで全ては変わった。 彼女が愛しくて仕方ない。早く自分のものにしたくて堪らない。騎士団での職務のことばかり考えていた自分が、今や頭の中はリサのことでいっぱいだった。 ジルベールはこの3日の間で、ある重大な覚悟を決めていた。 しかしそれを出会ったばかりの彼女に伝えるには時期尚早だと考え、もう少しリサと距離を縮めたいと考えていた。 一方リサは迷いに迷った末、今日で最後にしようとバラ園を訪れていた。何も言わずに出ていくのは、彼に対してあまりにも不誠実だと自分に言い訳をして。 本音では…もう1度だけ、ジルベールと2人きりで会いたかった。 これで最後だと、リサは部屋で何度も自分に言い聞かせてきた。 「大丈夫です。お気遣いありがとうございます」 「リサ。君のその俺への遠慮は、いつになったらなくしてもらえるのかな」 リサは自分との身分差に思うところがあるのかもしれない。 出会った頃は王子だと知らなかったがために、あんな風に素直に涙を零し悩みを打ち明け、強引に一緒に来いと言った自分の言葉に頷いてくれたのだろう。 だがジルベールにとって自分が王子でありリサが侍女であるということは、なんら問題ではなかった。 確かにジルベールは王位継承権を持ち、このままいけば兄に代わりラヴァンディエの王座に就くこともあり得る事態になりそうだ。そうなれば、自ずと妻は王妃になる。リサほどその座に相応しい女性をジルベールは知らない。 リサにはまだ何も話せていない。今回のレスピナード訪国で、どんな茶番を演じているのか。決して自分はシルヴィアの花婿になるために来たのではない。それだけでも今リサに伝えてしまいたい。 ふわりと頬を包む大きな温かい手。懐かしささえ感じてしまう柑橘系の香りにリサは胸がいっぱいになる。 そんな自分の未練を断つように、リサは一歩引いて真っ直ぐにジルベールを見た。 その仄暗い瞳にあまり良くない予感を抱き、痛みにも似た緊張がジルベールの胸に走る。 「明日の夜、城を発ちます」 声が震えないように身体中に力を入れ、瞳が涙で潤まないように何度も瞬きをした。 自分を奮い立たせ、ジルベールから目を逸らさずに告げた言葉は、シンと静まり返るバラ園に冷たく響いた。 びゅっと強い風が2人の間を吹き抜ける。 長居する気のないリサの肩にショールは掛けられていない。風の冷たさに首筋が粟立ち、サラサラの黒髪が頬にかかった。 風の強さは勢いを増していき、バラは支柱で補強されているとはいえかなり煽られている。リサは傷んでしまわないかとちらりと視線を花へ向けた。意図したことではないにしろ、合わせていた視線を逸らせたことでジルベールに不信感を与えた。 発せられた言葉を理解したジルベールは、わずかに身じろぎ眉間に皺を寄せる。 「どういうことだ?」 「そのままの意味です。私は以前から決めていた通り、この城を出ていきます」 明日の夜、シルヴィアとジルベールに結婚の意思の確認がある。それをもって最終日の宴は婚約の前祝いの様相を呈する盛大なパーティーになると、先程ドレスを脱ぐのを手伝ってくれたエマが話していた。 出来ることなら、そのパーティーの前に出ていきたい。今は笑顔でシルヴィアとジルベールの婚約を祝える自信がなかった。 2人には幸せになってほしい。それは嘘偽りのないリサの本心だ。 しかしそれをすぐに祝福出来るかといえば別問題だった。心を落ち着かせる時間が必要で、それは2人の側にいては叶わないことである。
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