5.消えてしまった炎

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乱れた髪を耳にかけながら答えたリサを見て、ジルベールはハッとして彼女の右手を取る。 その手に自分が贈った指輪がない。朝は確かに目にしたはずの指輪を、彼女は宝物だと言ってくれたはずだ。 からっぽの薬指を見て愕然とするジルベールに、リサはポケットの中にしまってある指輪を思う。 それは高価ではないただのおもちゃの指輪。リサにとって、初めて好きな人から貰った大切な宝物。 未練を断ち切るためには返すなり捨てるなりするべきなのだろう。しかしリサには出来なかった。 この世界でリサ=レスピリアとして生きていこう決意できたのは、ジルベールの存在があればこそだった。 絵本の世界に転生しただなんて夢だと思っていた。それを現実だと知っても取り乱さずに受け入れられたのは、リサとしての記憶があったこと以上に、彼が与えてくれた言葉に支えられたから。 一緒に来いと言ってくれたこと。自分が居場所になると言ってくれたこと。絵本のストーリーに導かれるまま、みんなが幸せになれると信じて疑わなかった。 しかしそうではなかった。 彼は従者ではなく王子様で、侍女であるリサの恋の相手ではなかった。 ジルベールから離れなくてはならない。そのために何かひとつでも、心の支えに彼と繋がるものを持っていたかった。 切れ長の瞳でまっすぐに見る眼差しに胸を焦がされ、決意を溶かされそうな感覚に陥り、さらに一歩下がり距離を置く。 きっとこんなに近くで顔を合わせられるのは最後になる。 リサがジルベールの顔の細部まで目に焼き付けようとするのを、誰が未練がましいと詰ることが出来るだろう。 何か言おうとして口を開いたジルベールを遮り、リサは早口で捲し立てた。 「ジルベール様。どうか、シルヴィア様とお幸せに」 「リサ!」 リサが開けた距離を詰めようとジルベールが動くのと同時に、暴風とも言える夜の春風が轟々と音を立てて吹き抜ける。 その風はパチパチと音を立て炎を小さくしていた篝火をついに消してしまった。 一瞬で辺りがふっと暗闇に包まれる。月も出ていない今夜、篝火が消えてしまえば辺りは真っ暗で、少し先の景色さえ闇の中に埋もれてしまう。 リサはこの機に乗じてジルベールに掴まれていた手を振り払い、身を翻して足早に駆けた。10年以上ここで育ったリサは暗闇でも身体が覚えていて、迷うことなく別棟へ向かって階段を駆け上がっていく。 そんな彼女の気配を察したジルベールだが、慣れない場所での暗がりに咄嗟に走って追うことが出来なかった。 暗さに多少目が慣れてきても、視界の中にリサの姿はない。呆然としてしまった頭を働かせ、リサの言動の真意を辿る。 彼女は以前から決めていた通り城を出ると言い切った。そして、シルヴィアと幸せにとも。 それはジルベールの気持ちを受け入れられないという思いの表れなのだろうか。 リサは初め自分を王子だと思っていなかった。王子だと知るや否や急によそよそしくなった。 それでも『側にいてほしい』と言葉にして、初めて会った日の夜に衝動的に伝えてしまった通り、ここを出るのなら自分が国へ連れ帰ろうと思っていた。明日の夜全てを打ち明け、そう公爵に願い出るつもりだった。 出会ってからの日数など関係ない。 リサが好きだ。愛しくてたまらない。そばに置き、片時も手放したくない。そう思って昨夜この場所で彼女を抱きしめ、涙する彼女に口付けをした。 自分の気持ちを主張するのが苦手なリサの気持ちを汲んでやるには、ジルベールは圧倒的に女性を知らない。 それでもリサがこうして強く城を出ていくと言い切ったその背景には、きっと彼女自身のためではない何かがあるのではないかとジルベールの男の勘が訴えている。 無理矢理結婚させられそうな主人に頼まれ衣装を入れ替えたように。転んで泣いてしまった少女に自分はお腹いっぱいだからと優しい嘘でジュースを譲ったように。 彼女は自分のためじゃなく、誰かのために城を出ていく気なのではないか。そう考え出せば、そうだとしか思えなくなる。 慎ましく優しい天使のような娘。そんな彼女をジルベールは短い期間で知っていた。 もっと甘えていい。自分の意見を言っていい。そう告げたのは彼女が自分よりも周りを優先してしまうからであって、決して自分から離れる決意をさせるためではない。 ジルベールは自分の元から飛び立ってしまおうとしている天使をなんとか引き留めようと、ある人物の元へ向かった。
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