7.愛しい人

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◇ ◇ ◇ シルヴィアに連れられて城の5階部分にある謁見の間に着いた。隣は大広間の吹き抜けの天井になっていて、細長いその部屋は赤い絨毯が敷かれ、1番奥に5段ほどの階段の上に豪華な玉座が置かれている。 そこには既に彼女の父であるレスピナード公爵が腰を下ろし、正面にはジルベールの姿があった。 3日前にここで彼を見た時は、絵本の通り『王子様役』で、本当は従者なのだと疑いもしなかった。 「お待たせしました。お父様、ジルベール様」 シルヴィアが公爵に膝を折ったのを見て、自分は侍女として後ろに下がろうとスカートを持つ。そこで初めて、リサは自分がいまだにドレス姿でこの場までやって来てしまったことに気が付いた。 しまったと思った時にはもう遅い。公爵とジルベールの視線が、声を掛けたシルヴィアとその後ろにいたリサに注がれた。 「シルヴィア。これは一体どういうことかな?」 シルヴィアを溺愛している公爵も、さすがに眉間に皺を寄せる。娘がこの花婿候補を観察するために侍女と入れ替わりたいと言ってきたときも驚いたが、そのリサと揃ってジルベールの前に現れるとは。 当然無礼なことをしているのだから謝罪の用意はあった。しかし何事にも準備や順序というものがある。 一体自分の娘は何を考えているのか。ジルベールの手前感情を露わにしないよう落ち着いた声音で問いかけた。 しかし、意外にも次に声を発したのはシルヴィアではなくジルベールだった。 「レスピナード公爵。今日はお願いがあってこうして人払いをしてまでお時間を頂きました」 今謁見の間にいるのは公爵とシルヴィアとリサ。それにジルベールとローランのみ。いつもなら侍従やメイド達が何人かその場に控えているが、今日は皆下げられていた。 「何だね。ジルベール殿が私に人払いしてまでするお願いとは」 片膝をついたジルベールに、公爵は意識して穏やかに問いかける。 これから目の前の青年が、何かとんでもないことを言い出しそうな予感に身が竦む思いだった。そして、その予感は残念ながら当たってしまう。 「私の花嫁を、ラヴァンディエへ連れ帰るお許しを頂きたいのです」 「なんだって?!」 声を上げて目を見開く公爵以上に驚いていたのは、ドレスを来たまま後ろに控えていたリサだった。 シルヴィアは公爵の1人娘。他にこの国を継ぐ爵位を継承する者はいない。 だからこそ公爵は、シルヴィアの夫にはこの国と娘という2つの宝を預けられる人柄を持った人物を探してこの10年悩み抜いてきたのだ。 それを当然ジルベールもわかっていて花婿候補として来ただろうに、突然の申し出に開いた口が塞がらない。 「彼女を愛しています。もう手放せない。国に帰り、彼女を妻にして、私はいずれラヴァンディエ国王を継ごうと考えています」 真っ直ぐに前を見据えて話すジルベールの言葉が、鋭い刃となってリサの胸に突き刺さる。 『彼女を愛しています』 ジルベールはそう言った。 リサが1度として聞いたことのないその言葉を、彼はシルヴィアに向けて告げたのだ。そのことがリサを悲しみのどん底へ突き落とす。 あのバラ園での『俺が、君の居場所になる』という言葉も、お忍びで出掛けた時に見せてくれた優しさも、贈られた指輪も、抱きしめられた時の体温も、微かに香る柑橘系の香りも。 全てリサの中に深く刻まれてしまっているというのに、ジルベールは今シルヴィアを愛しているという。 彼女ほど魅力的な女性なら、あっという間に心惹かれても仕方ない。むしろそうなる運命なのだ。これで絵本の通りハッピーエンドだと納得させようと心に言い聞かせてみるが、なぜか上手くいかない。 シルヴィアが他国へ嫁いでしまえば、公爵の跡継ぎがいなくなり、きっとこの小さな国は後継者問題で荒れるだろう。そんなことは政治に詳しくない女子供でもわかる。 それでもジルベールはシルヴィアを連れてこの国を出ようというのだろうか。 さらに彼は国を継ぐと言った。 以前聞いた話では、彼には兄がいたはずだ。その兄が王位を継ぎ、自分は彼を剣で支えるつもりだったと話していたはずだ。 そこではたと気付く。確かにジルベールは『王位に興味はなく、兄を影から支えていくつもり"だった"』と過去形で話していた。 もうあの話をしていた時には既に、兄に代わり国を継ぐ気でいたということだろうか。一体なぜ。 シルヴィアはどう思っているんだろう。リサは痛む胸を抑えながらジルベールの背中ではなく、前を見据えたままのシルヴィアを見つめた。 彼女はジルベールに寄り添うでもなく、ただじっと成り行きを見つめているように見える。
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