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13、あなたの選んだこの時を
ムーランの下宿所、俺たちの部屋。
その隅に座卓を持ち込んで、俺は目の前に広げた原稿を、再度読み返していた。付箋を付けた『校正辞典』をめくって、赤を付けたところを確かめる。
自分たちの紹介記事とか、テレが入ってるせいか、チェックしにくいんだよな。社内報とかなら、バンバン修正できるんだけど。
「これで、たぶん問題ない、と思うけど」
「孝人! もう十時だよ!」
上がってきた文城が、少し焦り気味に声を掛けてくる。入稿は今日中だけど、可能な限り早めに、というのが『てなもんや』からの指示だ。
「しょうがねえ。これ以上悩んでも無理か。しょせんは素人だし……」
「あと、紡君が材料持ってきたから、これから上に持っていくね」
「俺もこれ出したら、鈴来と一緒に戻ってくるわ。あと『EAT UP』で弁当買ってくるけど、何がいい?」
途端に、文城は目を輝かせて、ちょっと恥ずかしそうに注文を口にした。
「ベーコンエッグダブルバーガーセット……いいかな」
「次はもう少し、ヘルシーな奴頼めよ」
そのまま店に出ると、すでにお客さんたちが入っていて、柑奈も本来の仕事に忙しそうにしていた。
「グリルフィッシュサンドイッチ、ピクルス抜き」
「はいはい。ドリンクはビーソーダ、っと」
「あー、たまには『カタスビア』にしよっか、よろしく」
注文をメモすると、そのまま表に出る。店の前には車に乗せた荷を解く紡がいて、こっちに片手を上げた。
「一応、山本さんから説明聞いたけど、材料だけ用意しとくから、現場指揮は頼むわ」
「お前なぁ……戦闘だけ良くてもダメだからな? 出先のキャンプとかどうすんだよ」
「い、いご、がんばる。あと俺は」
「ロコモコ大盛り角煮トッピングだろ」
「へへー。あのこってり感、どうしても食っちゃうんだよなー」
荷車の上に積まれた荷物を肩に担ぎ、やってきた文城とビルの中へ運搬していく。
俺は小走りに、ぱちもん通りを目指した。
「はい、確かに頂戴しました。しかし、えらくがんばられましたなあ」
必死に赤入れした原稿を片手に、『てなもんや』の主である、トカゲの模造人(モックレイス)は、皮肉気に口元を緩めた。
「肩ひじ張り過ぎ。ここまで書き込まんでも、あたしたちも悪いようにしませんて」
「とか言って、この前の宴会、新聞に載せてたでしょ」
「そりゃ、あなたがよくないんですよ。名だたるギルドの頭目を集めての大宴会、ネタにするなってのが無茶ですって」
あの宴会の次の日、俺たちは朝刊に載っていた。
内容自体は極めてシンプル。鈴来の新作紹介だったが、俺と親方たちの会話する姿が、意味ありげに切り取られていたのは、苦笑するしかなかった。
「俺たちの記事、差し止めてもらっても?」
「そいつはご勘弁を。その代わり、それなりに便宜を図らせていただきますんで、どうかヘソを曲げねえでおくんなさい」
「次はちゃんと、許可取ってくださいよ」
「そっちこそ、次に事件起す時は、うちにご一報を」
本当に、油断も隙もありゃしないな。喰えない亭主に挨拶して、そのまま食堂を目指して歩き出す。
「おにいさん!」
転がるように駆けてくる鈴来と、少し遅れてしおりちゃんがやってくる。しおりちゃんの方は、両手に布の束を抱えていた。
「使えそうな布を貰ってきました。ほんとはクッションとかも欲しかったんですが」
「そっちは店にも在庫があるらしいから、しばらくはそれでいいよ」
「次! スケッチ! ワコちゃんとこ!」
「断片で喋るな! 普段から絵に知能を全振りすんなっての!」
技術交換会の名目で、鈴来と絵を描くようになって、こいつもだいぶ変わった。
今まではやたらと付けていたリボンも、腕やら足やらの要所だけになり、跳ね散り放題だった顔料の痕跡も、少なくなった。
「さすがに、仕事しないわけにもいかないから、来週の」
「チケット! おにいさんの時間、買うからぁ! 明日!」
「だーめーでーす! そういう悪いお金の使いかたは許しませんよ!」
ただ、プラチケに物を言わせて、こっちの時間を拘束しようとするのが、目下のところの悩みなんだけどな。
それから、みんなの注文通りに『EAT UP』で弁当を買い、店に戻る。
『卵三十個以上、できればアラシシの成体一頭以上、よろしくー!』
最近は、顔を見せるたびに、採取クエストが入るようになった。森に出向いて採取をするパーティがあまりいないそうだから、重宝されてるんだと思うけど。
「久野さんの発注はありがたいですね。共有財産も、少しづつ潤ってきましたし」
「とはいえ、塔の攻略も行きたいからさ。いい加減、柑奈も森に突っ込ませるか?」
俺たちが戻る頃には、ムーランの店内は人でごった返していた。
この辺りの住民の馴染みの食堂として、あるいは文城のコンビニ弁当目当ての客で、相変わらず繁盛している。
「あと二時間で休みだから、上の作業は任せたよ」
「そっちもがんばってな」
そのままビルの階段を上がり、屋上を目指す。
吹き渡る風を浴びて外に出ると、詰まれた材木や木の板の前で、二人が一服していた。
「説明書はこれなー。やっぱ、本職に見てもらった方がいいからさー」
「みんなが来るとこだから、ちゃんとしたいし」
まあ、気持ちは分かるけどな。
俺は渡された『説明書』を片手に、作業を開始した。
最初に、床面を造るために、柱材を組んでボルトで留めていく。
「これ、土台がちょっとガタついてんだけど?」
「全体的に北側にずらすぞ。そこならたぶん問題ないはず」
次に、四隅に柱を立てて固定していく。俺は山本さんのところで借りてきた機材で、柱の角度を確かめ、修正しながら固定していった。
「その四角い、へんなのってなにやってるの?」
「水平器だよ。柱が斜めってるのが分かるんだ。歪んでたら倒れちゃうからな」
その後、壁や強度補強用のパーツを掛けて、窓やドアを取り付けていく。
「あれ、ガラス窓じゃんか。間違えたパーツ持って来たんじゃないだろうな」
「山本さんが、これでいいって言ってたぞ?」
「……分かった。後で礼言っとくわ」
やがて、後の作業は屋根を残す頃になって、柑奈が上がってきた。
「おおー! ホントにできてる! まあ、見た目ショボいのは仕方ないけど」
「ショボいとか言うな。これだって結構高いんだぞ?」
「んじゃ、そろそろ屋根やろうぜ! ほら孝人、先あがれ!」
俺と紡が上で材料の受け取りと取り付け、下から文城と柑奈で材料出しをする。
すべての作業が終わり、俺たちはそろって、全体を見回した。
「俺たちの事務所、完成だ」
山本工務店で出しているプレハブ小屋。見た目はそっけないが、それでもみんなで立ち上げたという実績が、特別さを感じさせた。
「それじゃ、みなさん少々お待ちくださいね」
「なんかあたし、このごろ掃除ばっかしてない?」
「おにいさん! ここの壁! うちが描いていい?」
しおりちゃんたちが内装、外側を鈴来が彩色していく。と言っても、あまりごてごてされるのもなんだから、チームロゴのようなものをお願いしておいた。
「うお、文字がデザインって感じだ……もっとグラフィティっぽい丸い文字かと」
「なるほど。パッチワークのイメージに、近代の抽象画を持ってきたのか、こういうセンスは、俺には無理だなぁ」
「よ……よくわかんないけど、いいと思う、よ?」
そのまま、ドアのところに、デフォルメを効かせた俺たちの顔と、鈴来の顔が描き加えられていく。
「これで鈴来も、うちのメンバーだな!」
「戦闘は無理でもそれ以外はお願いできそうだし。本人の気が向いたらってことで」
「お待たせしました! 中へどうぞ!」
まだ、なんの家具も置いていない、敷物と壁の飾りつけだけの広々とした空間。
いずれはここに、みんなの装備置き場や、作業スペースを造ることになるだろう。
「てか腹減ったぁ! 弁当食おうぜ弁当!」
紡の一言に、俺も含めた全員で、輪を描くようにして座る。
それぞれのドリンクを手にしたところで、俺は乾杯の音頭を取った。
「それじゃ、パッチワーク・シーカーズの事務所開設に――」
『かんぱーい!』
たぶん、こんなことを思うのは、間違っているんだろう。
俺たちの活動は、一歩間違えれば死と隣り合わせ。ここにいる誰かが、永遠に取り返しがつかないことになる、かもしれない。
それでも、みんながいて、この先に手付かずの未来があるこの時を。
「幸せだな」
四季もない、日々の彩りもない魔界の街で。
小さな幸せが続くことを、俺はただ、祈っていた。
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