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1、ようこそ、模造の街へ
「ご足労いただき感謝します、新たな異邦人よ」
目の前に立つ禿げ頭のバケモノが、流暢な日本語であいさつする。
暗い緑の肌、尖った耳に、無毛の頭、笑う口元から見える歯並びは、凶悪だ。
白ワイシャツに紺色のスーツ、きっちり締めた赤のネクタイ。背丈は俺よりも少し高いぐらいで、両目を隠すようなサングラスをかけていた。
「どうぞおかけ下さい。貴方の状況について、説明させていただきますので」
勧められたのは、艶を消した革張りのソファー。目の前には低いテーブルと、ガラスのコップに透明な液体が注がれている。
腰を下ろし、改めて部屋の中を見回した。
四方はクリーム色の壁紙と木の板で整えられ、ごつい執務卓とレースのカーテンが掛った大窓がある。
まるで会社の重役室か、庁舎の一室のような光景だ。
「その前に、あんたは?」
「私は『P』。この街を総括する立場にある者、とお考え下さい」
「……P、ねえ」
統括者のP、興行主のP、あるいは教授のP?
どっちにしろ胡散臭い。そもそも、この容姿ってことは。
「あんたはその、いわゆる、ゴブリン、みたいな種族の人?」
「ええ。その認識で問題ないかと。汎世界語でも……おっと、その話は本題には関わりないので、こちらをどうぞ」
手渡されたのは、これまた人を舐めているとしか、言いようのない代物だった。
「生活の手引き――異世界転生された方へ――監修、Pの館……?」
「貴方のような方のために作られた、広報資料です。まずは二ページ目の、見開きをご覧ください」
「いや、その……ありが、とう、ございます」
明らかに、どっかの地方地自体が出してそうな、カラー刷のパンフレットだ。
最初の見開きページには、デフォルメされた地域住民、いや地域獣民の姿が描かれ、今いる街の全景らしい地図が描画されている。
ページの左上方には、目立つフォントで『ようこそモック・ニュータウンへ』とある。
「まがい物の新興住宅地? なんとも、味のあるお名前で」
「お褒めいただき感謝します。命名には一苦労しました」
ゴブリンPの受け答えはそつがない。こっちの当てこすりをさらっと受け流し、丁寧な物腰で状況を説明してくれた。
「貴方がおられるのは、魔界と呼ばれる世界の底。その一隅に作られた都市です」
「魔界って、魔物とか魔族とか、魔王とかがいる?」
「地球からの観測であれば、その認識で問題はありません。細かい定義づけは学者の仕事ですので、差し控えますが」
「……来るとき、妙な奴に魔界のド底辺で這いずってろ、って言われたけど、あれあんたの上司?」
「そんなところです」
世間話のように尋ねながら、俺は地図に描かれた建物や地名を指でたどる。
特に目を惹くのは、街の中央にそびえるバカでかい『塔』の存在だ。
真っ直ぐに上へ伸びたそいつは、その先端で四枚の花弁を花開かせていた。
肉と、ビルと、樹木と、結晶の花弁を。
「……こちらからの説明よりも、貴方の質問に応対したほうが早そうですね。何か気になることが?」
「この『塔』ってのは?」
「この街の中心です。あらゆる意味でのね」
話が見えない、というこっちの顔に、Pは頷いて説明を続けた。
「あの『塔』を攻略する。それがこの街に生きるモノの、生存に関わるからです。塔の内部は複雑な迷宮であり、そこに発生するエネミー、あるいは採掘可能な資材が、街の生活を維持する物資となる」
「なるほど、ローグライクダンジョン、ってやつか」
「その通りです。ちなみに、一定条件で迷宮は再構築されますので」
Pの言葉に、俺は軽く息をついた。
面白いぐらい、俺の見せられている世界はゲーム的だった。
「ミスターP、あんたもしかして、ゲームマスターみたいな立場か?」
「……だとしたら、どうします?」
こっちの質問は、明らかに虎の尾を踏んだらしい。怒っているわけじゃないが、こっちの動きひとつで、『対応を変える』つもりでいるのは、明らかだった。
「き、聞いただけだよ……あんまり変な気配、出さないでくれ」
「失礼。そういう質問をした後、こちらに襲い掛かってくる方もいるので」
「マジで?」
「『黒幕』を、話の初めに殺したらどうなるのか、だそうですよ。よくありますからね、最初に出会った解説者が、全ての元凶、という話が」
世の中に創作物やゲームが溢れかえった弊害。なんでもメタ読みメタ展開をやってしまう、現代人の悪い癖だな。
俺はテーブルの上のカップを手に、中身を飲み干す。
冷たくて、うまい水だった。
「その水一杯が、アタッシュケース一杯の金塊と同じ価値があるとしたら、どう思いますか?」
「無料で出せるのはここまで。チュートリアルが終わったら、あとは必死にリソースをかき集めて、生き残れってか」
「察しのいい方で良かった。そのパンフレットをお役立てください。後は実地で慣らしたほうがいいでしょう」
ゴブリンPは立ち上がると、窓際に立ってレースのカーテンを開けた。
外は、相変わらずぼんやりとした明るさで、ガラス越しの景色の向こう、長く伸びる大通りの先に、上へ伸びる塔が見えた。
きっちり計ったような太い直線、世界を分断する切れ込みのようだった。
「どうぞ、よりよい転生生活を、お楽しみください」
笑顔で語る異形に見送られて、俺は部屋を後にした。
Pの館の門を抜けると、壁際に立っていた大きな姿が走り寄ってきた。
「お、終わったんだね、説明。どうだった?」
「ずいぶんゲームっぽいんだな、この世界」
俺の言葉にデカネコの文城は、妙にうれしそうに笑った。
「あ、うん。僕も思った。もちろん、それっぽく見せてる、って感じだけど」
「例えば?」
「し、死んだら、それで終わり。セーブも蘇生アイテムも、生き返る魔法もないんだ」
いきなりシビアな話が来て、ちょっと緊張する。
デスゲーム物ってほどじゃないけど、リアル志向の、というかゲームのガワをかぶせた現実、ってとこだろう。
「そのパンフ、一番最後にログボチケットあるから、捨てる前に取ったほうがいいよ」
「ログボチケットって……これか」
まるで商店街のクーポンのような、厚手のザラッとした細長い札が三枚ある。
「Pの館の売店か、ベッドタウンのお店でも使えるから、無くさないようにね」
「ここでの金代わりか。ログボと言えば、確か――」
パンフをめくり『お役立ち情報』と書かれた項目を開く。
「『毎朝七時から、Pの館前でログインボーナスチケットが配られます、受け取りは午後五時までなので、忘れずに受け取りましょう』か。福利厚生もあるんだな」
「で、でも、一枚だとご飯を食べるので終わりだし、ちゃんと仕事も探さないと……ほらここの『クエスト受注』のとこ」
そんなことを話しながら、なんとなく通りを歩いていく。
文城の方は目的地があるらしく、その方向を邪魔しないように、景色を見回した。
大通りは、茶色と灰色がベーストーンだった。
そこらへんの地面から掘ってきた土を、こねて固めて積み上げたような土壁。
どこかのビルから切り出した壁を、そのまま積み上げたような危なっかしい建築。
表に低木樹を植えているところもあったが、全体的に単調で地味な感じだ。
住民は、ひたすらにケモノ、ケモノ、ケモノだった。服を着てる奴、半裸の奴、ありのままの姿の奴、種族もいろいろ。
隣のデカネコは赤いチョッキと紺のハーフパンツで、自前の毛皮が下着替わりらしい。
「しかし、ホントに獣人しかいないんだな。Pみたいな魔物はいるのか?」
「僕たちも一応、魔物らしいよ。模造人、って言うんだって」
「まがい物の街に、まがい物のニンゲンか。よくやるわ」
「魔物の人も、いるにはいるよ。ほら……あそこ」
太い指が示した先に、五階建てくらいの雑居ビルがある。
その壁に、派手な色合いで書かれた文字を見て、俺は絶句した。
「どうしたの?」
スーパー銭湯メイドカフェ、ムーラン・ド・ラ・ギャレット。
ポップな書体で書かれた店名に、俺は顔を両手で覆った。
「お前、あのトンチキなビルに用が?」
「う、うん。君にも必要かなって」
「異世界転生記念、冥途の土産にってか? そういう冗談を聞けるテンションじゃないんだが」
「ち、違うよ……」
袖なしのチョッキの胸元に付けられた、小さな金属製のバッヂを指さすネコ。
MDLGの頭文字と、尾を噛む蛇のデザインがされていた。
「僕が、所属してるギルドの、本部なんだ。ギルドマスター、いい人だから、どうかなって……」
俺は考えるのを止めた。
こんな異常事態に、いちいちツッコんでたら身が持たない。
「分かった。ところで、入る前に、聞きたいことがあるんだが」
「な、なに?」
少なくとも、あそこに入る理由が、今の俺にはある。
「入浴料、チケット何枚だ?」
案内された雑居ビルの地下には、豪勢な風呂があった。
切り出された石材で隙間なく造られた湯船、洗い場にはきちんと香りも泡も立つ石鹸、ケモノたちのために、櫛や専用のブラシもあった。
毛皮にこびりついた、想像するのも嫌になる、汚れや何やらを徹底的に洗い流し、それからゆっくりと、湯船につかる。
「うぇ~い、これで柚子でも浮かんでたら、どっかのカピバラみてぇだな、俺」
ここに来た時に感じた体の異物感は、すっかりなくなっている。
手も足も、尖った鼻も、聞こえ方の違う耳も、元々こうだったような気さえした。
「……こ、孝人、くん。大丈夫? ちゃんと洗えた?」
ご丁寧に前を隠しながら、大きなネコの体が入ってくる。
ちゃんと掛湯をして入ったのは偉いけど、そもそも毛皮まみれの俺らに、掛湯は意味があるんだろうか。
「目立つ汚れは落としたけど、さすがに完璧じゃないな。汚すのは悪いけど、こうやってお湯で溶かさねえと」
「き、着替え、脱衣所に置いたから。あと、前の服、捨てちゃったよ」
「大したもんも入ってなかったし、いいって」
大質量が入ってきたせいで、お湯がたっぷりと波打って外に流れていく。
ある意味見慣れた光景に、俺はつぶやいた。
「Pの野郎、ウソつきやがったな」
「な、なに?」
「水が貴重とか、大ウソじゃねえか」
文城(ふみき)は顔を洗い、ふるふると首を振った。
「これ、乙女さんの自前なんだって。お湯を出す『ギフテッド』」
「ギフテッド……もしかして、いわゆるスキルとか、そういうあれか?」
「ここに来る転生者は、何かを『貰って』落ちてくるんだ。僕のは、これ」
掌の上に、ぽんと出てくるコンビニ弁当。今度はハンバーグ入りの幕の内だ。
「それじゃあ、俺にも……」
「ま、まって! ダメ! ゼッタイ! 今試しちゃダメ!」
大慌てでこっちの体を止めに掛かる。その狼狽振りに、俺も追及を止めた。
「もしかして、ギフテッドってヤツ、かなりヤバいのもある?」
「……うん。だから、専用の施設で『試し撃ち』する方がいいよ」
「参ったな……」
顔半分を湯船に沈め、ぶくぶくと感慨をつぶやく。
ゲーム的なのはあくまでフレーバーで、ステータスウィンドウもスキルもない。
あるのはケモノの体と、自分でも把握しきれない、勝手に授けられた妙な能力。
「そ、そういえば、ご飯まだでしょ。これ、食べる?」
「風呂の中だぞ。しまっとけよ」
「これ、一度出すと消せないんだ。捨てるしかないし、もったいないし……」
もったいない、という発言に、ちょっと笑う。
食べ物を粗末にしないのはいいことだ。そのせいで、そういう体型になってるんだろうけどさ。
「その辺に置いといてくれよ、上がったら食べるから。さっき出してもらったガーリックチキン弁当、食いそこなったし」
「お、同じの出せるよ! あれ、好きなの?」
そんなことを話しながら、あくびを一つ。
異世界転生最初の滑り出しとしては、悪くない。
これからどうなるか分からないが、ともあれ。
「いい湯だなぁ……」
転生しても落ちなかった日本人の性根を、そっと吐き出した。
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