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2、ヒトあるところに日常あり
俺が転生した、ネズミの模造人、その特徴。
その一、体が小さい。
その二、耳がいい。
その三、すばしっこい。
見たまんま、分かりやすい特徴だ。
「……んぅあ……っぐ、おい、ふみきぃ、あさだぞぉ。あと、重いから……っ」
敷布団代わりのように、俺の体に乗せられた太い脚。それを無造作にどかしつつ、起き上がって、隣の小山みたいな腹をゆする。
へそ天してだらしない寝姿をさらす、デブネコの模造人。文城の下宿に相部屋させてもらってから、三日が過ぎた。
いびきはうるさいし、寝相は悪いしで、ネズミの俺の特徴その一とその二に、微妙なダメージを与えてくる以外は、文句なしの同居相手だ。
「んゆ……、おは、よぅ。ぐぅ」
「寝るな。乙女さんから風呂掃除って言われてたろ。開店まで時間無いぞ」
「うぃ、へぃ、あぃ」
よたよたと体を起こし、必死に目をこすって、板の間をきしませながら廊下を目指す。
そのまま、部屋の壁にぶち当たって、しりもちをついた。
「……お前、俺が来るまで、どうしてたんだよ」
「うん……怒られてた。ありがと、こうと」
壁にぐりぐり頭をこすりつけてるのは、痛みで目を覚まそうってことなんだろう。頭では分かってても、体は付いて行かない感じだ。
「模造人って、元になった生物の性質も残ってんのかな」
「そう、かもぅ。ぐのーしすのひと、が、そんなこと、いって……にゅう」
訳のわからん寝言を聞き流し、手を取って部屋から引っ張り出す。
下宿の床や廊下は木で整えられていて、壁や天井はコンクリート製だ。しかも、壁のあちこちに、かすれてはいるが標識表示のようなものがあった。
多分、ここに落ちてきた、別の世界の残骸だろう、そんな話を聞いていた。
「ほら、階段降りるぞ、そろそろ目、開けてくれ」
「んー……うん、ありがと、ありがとぉおおあああああああっ!?」
さすがに、手を伸ばして助ける気にはなれなかった。
初日みたいな事態は、二度と経験したくない。階段から落ちてく巨体を支えるのに、全身の骨が砕けそうだったからな。
肉厚な体のせいか、ネコの体幹のおかげか、踊り場にずり落ちた文城は、痛そうに顔をしかめつつもようやく目を覚ました。
「お、おはよう、孝人。もう平気、起きた」
「ほら、さっさと行くぞ。飯食って仕事だ」
スーパー銭湯メイドカフェ、ムーラン・ド・ラ・ギャレット。
その実態は、この街にいくつもあるギルドの一つだ。
ギルドマスターは、このビルのオーナーであり、カフェの店長であり、銭湯の経営者でもある尾上乙女。
「あらおはよう。今日もちゃんと起きられたのね。偉い偉い」
「おはようっす。で、店長……通りにくいんで『これ』、どかしてもらえます?」
「うん、もうちょっと待ってね」
居住スペースから店へはいるドアの前に、土管ぐらいありそうな円筒状のものが投げ出されている。
その表面には複雑な紋様の鱗があり、床へ設置した側に布切れが当ててある。
太いパイプが床を磨き上げ、しゅるしゅるっとカウンターの方へ収納されていく。
「その掃除法、便利なんすか?」
「どうかなー。人手が足りないんで、思いついてみたんだけど、微妙?」
バーカウンターの向こう側で笑うのは、ウェーブの掛かった金髪を揺らす、豊満な胸部を持った女性だ。
もちろん、見た目がそうなだけで、この人も立派な魔物だけど。
下半身は蛇の体、上半身は女性の姿の魔物、ラミア。
それが、この店の店長にしてギルドマスター、乙女さんの正体だ。
「でも、椅子とかテーブルとか、どかすのは重宝するわね」
「……乙女さん、片付けられない人とか言われてませんでした、あっちでも」
「分かるぅ? ドレッサーの前以外はもう、ひどいもんよ」
部屋の隅に押しやられた椅子や机を、引き起こしたり並べたりして場所を作る。
物を部屋の端によけただけで『片づけた』と言い張るのは、さすがに無理があるよな。
「そうだ、文城君。お弁当三十人前、お願いしてもいい?」
「は、はい。何でもいいですか?」
「牛丼大目にしといて。やっぱりああいう肉系、売れ行きいいから」
そんなことを話しつつ、俺も文城の弁当を受け取って食べ始める。
ノーコスト、ノーリスクで、常温もしくは温めたコンビニ弁当を出せる能力。死ぬほどしょうもないけど、確実にチートだ。
「これ、もう少しうまい使い方、あるんじゃないか?」
「……でも、コンビニ弁当しか出せないんだ。はじめは珍しがられたり、日本の味が食べたいって、いっぱい来たんだけど……」
「言ってもコンビニのお弁当でしょ? 人気も下火になっちゃってね。それに、この子のギフテッドをめぐって、ちょっとした抗争もあったし」
食事をする俺たちのテーブルに、水を出してくれる乙女さん。この一杯だって、無料じゃなくて、本来は食事のサービスで付くやつだ。
「ダンジョン攻略の荷物が少なくなる、ってね。本人の性格が戦い向きじゃないのと、人と会うのが得意じゃないから、結局うちの預かりにして、いいお値段で卸していくことにしたのよ」
「もしかして、乙女さんって結構顔役?」
「どことも利害がバッティングしないだけよ。うちのギルドのモットーは『ゆったりのんびりまったり、でもしっかり』だもの」
そう言えば、上の雑居ビルには他のメンバーもいたけど、みんな荒事を好まなそうな連中ばかりだった。
部屋の中で内職をしていたり、外に出て戦闘の絡まないクエストをやりながら、生計を立てているらしい。
「で、文城の取り分は?」
「うちの独身寮の家賃免除、営業時間外のお風呂、無料使用権。手数料を引いた分の売上も渡してるわ」
「弁当一つでチケット一枚?」
「はじめはそのレートだったんだけど、Pの館で出してる量の多いご飯より、割高感が出ちゃうのよ。今はだいたいチケットの一割程度って計算にしてるわね」
となれば、三十個弁当を卸して、全部売れてチケット三枚分か。元手ゼロ、労力ゼロの小遣い稼ぎとしては、それなりだろう。
「ギルドの運営費としてとして、月に五枚貰ってるけど、つつましく暮らしてれば、そんなに問題は起きないわ」
「なんだよ、結構うまくやってるじゃん」
「う……うん、そう、だね」
それまで夢中で弁当食べていた手を止めて、文城はほっと溜息をついた。その様子を見て、乙女さんは少し眉をしかめ、丸い背中をポンと叩いた。
「ところで、滞留権更新のほうは? 引率屋さんは見つかった?」
「は、はい。ちょっと前に、お願いしました。明後日出発だって」
「そっか。久しぶりのダンジョン、大変かもだけど、安全に気を付けてね」
二人の会話を聞き、俺は昨日まで通読していた『生活の手引き』に書かれた、最重要項目を思い出していた。
■モック・ニュータウンの掟
1、すべての転生者は、三か月に一度、必ず『塔』に昇り、十階まで到達すること(ただし、Pの館の職員となっている者は除く)
2、街を囲む防壁を許可なく超えないこと
3、衛兵やPの館職員に暴行を企てないこと
4、Pの館に対するいかなる破壊・諜報行動も禁じる
5、街中での強盗・窃盗・傷害・殺人・器物損壊行為の禁止
モック・ニュータウン~生活の手引き~より抜粋
ここに住んでいる異世界転生系住民は、居住し続けるためのノルマが課されていた。
それが『塔』の十階層までの到達。
『でも、十階到達なんて、どうやって証明するんだ?』
『十階のフロアボスを倒して『プラチケ』を手に入れるんだよ』
十連プラチナチケット。それはこの街で、最重要の生活必需品だ。
Pの館からは一切支給されず、塔の十階で十連にまとめられた状態で、フロアボスと呼ばれる敵から入手できるもの。
その中の一枚をPの館に提出すれば、三か月の滞留資格を得ることができる。
もしできなければ、
『壁外追放、だよ。一分でも遅れたらダメ』
『壁の外って、そんなにヤバいのか?』
『出ただけで、魔界の理不尽に殺されるんだって』
そう語った文城の声は、心底おびえていた。
出て五分、生き残れば上等、十分で奇跡、それ以上は何かの間違い、と言われるほどの苛烈な環境らしい。
「孝人君」
「え、あ、はい?」
気が付くと、俺の顔をじっと乙女さんが見つめていた。その隣で、膨れた顔に心配そうな表情を浮かべるネコ。
「ああ、そうっすね。俺も真面目に考えとかないと。なんかいい稼ぎとかないっすか?」
「まずは君の『ギフテッド』を確かめてみたら? もしかしたら、ものすごいレアな能力かもよ?」
そういや忘れてた。
初日は色々ありすぎたし、二日目は乙女さんの本性を見て半日気絶して、後は店の仕事やらに追われてたからな。
「風呂掃除と食材の仕入れ終わったら、行ってきても?」
「お店の方は、わたしとバイトちゃんで回せるから大丈夫。文城君、お願いできる?」
「は、はい」
俺たちは頼まれたことを一通り片付け、文城の案内で『ギフテッド』を確かめられる場所に向かうことになった。
「修練所、って言われてるけど、実際はただの広い空き地だよ。Pの館の人が『ここでなら制限なくギフテッドを使ってもいい』って認めてるんだ」
「そういや、ギフテッドの報告義務もパンフに載ってたっけ」
都市の中央にそびえる『塔』、その上に張り出した四枚の『花弁』。それを利用して、この街は方角を決めている。
これから行く場所は『東』、肉々しい花弁のある側の真下に当たる。
「しっかし、なんかグロいなあ。ここからでも、びくびく動いてるのが見えるぞ」
「と、時々、落ちてくるんだよ、あれ」
「マジで!? どうするんだ、そうなったら」
「その前に『崩落警報』が出て、緊急クエストが発令されるんだ。『崩落クエスト』って言うんだけどね」
そんなもんパンフに載ってなかったぞ。まあ、あくまで生活の手引きだし、そういうでかい話は、暮らしてけば自然と耳にするから、ってことなんだろうが。
「ってことは、俺たちの下宿に、でかい森が落ちてくる……?」
「直接被害の範囲からは外れてる、って、乙女さんは言ってた。それにPの館も近いから……」
「なるほど。あの辺りに家が多いの、そういう意味か」
俺は改めて、四枚の花弁を見上げる。
肉、森、結晶、ビル群。どれが落ちてきても、ろくなことにはならないだろう。
「でも、いいこともあるんだ。それぞれ、いろんな素材も抱えたまま落ちてくるから。南の『緑獄崩落』は、木材とか薬草とか、果物とかが手に入るし、北の『晶獄崩落』なら魔法の道具になる結晶、西の『機獄崩落』は、コンクリートとか機械とか、金属素材が手に入るよ」
「ってことは、まさか……東のアレは」
「……『肉獄崩落』は、純粋にハズレ。とても食べられたモノじゃないし、食べても寄生されたり、バケモノに変わるって」
魔界の住人だからワンチャンと思ったけど、俺たち中身は日本人だしな。それに、たとえ食えたとしても、紫とか黄色とか緑に染まった肉は、絶対に嫌だ。
そういう理由からだろうか、東エリアにはほとんど建物が無い。せいぜい、小さなテントが固まって張られているだけ。
そんな殺風景な荒れ地の真ん中に、掘っ立て小屋を柵で囲んだ場所があった。
「『ギフテッド』の、実証をしたいんですけど、大丈夫ですか?」
「新規の方? じゃ、ここに名前と現住所を」
受付のゴブリンは、慣れた調子で書類を手渡してくる。添えられているのは、持ち手の所を布でくるんだ木炭だ。
「シャーペンやボールペンとは言わんけど、せめて鉛筆とかないの?」
「今のところ、この辺りで黒鉛が掘れたって話は、聞かないですね」
しょうがない。
俺はバインダーを受け取り、挟まっている用紙に名前を書き入れた。
「あ……あっ! こ、こ、こうと! それ……!」
「へ?」
名前書いたぐらいで、何を驚いてるんだか。
俺の名前なんて、ごくありふれた平凡な代物で――。
「な……っ」
俺の右手は、確かに筆記用具を握っている。
だが、ゴブリンの係員が差し出した木炭は、使っていない。
「ま、さ、か」
今の日本では日常使いしない、2Bの鉛筆が、俺の右手に収まっていた。
震える手で、鉛筆を文城に手渡し、あいつがしたように掌を上に向けて、思う。
そして、
「あ……あ、あっ」
出てしまった。
綺麗に削られて、黒い芯のピカピカに尖った、2Bの鉛筆が。
「こ……孝人、その、えっと……危ない、力じゃなくて、よかった、ね?」
腫れ物に触るみたいに、顔を気遣いの塊にしたネコ。
「お、お疲れ様です。では、判明したギフテッドを、き、きにゅ……ぶふっ」
こらえきれなくなって、失笑するゴブリンの係員。
俺は手の中のそれを、指でへし折って叫んだ。
「どこまで舐め腐ってんだっ、あのクソ肉塊はあああああああああああああっ!」
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