3、役立たずと穀潰し

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3、役立たずと穀潰し

「えんぴつぅ……」  バーカウンターの上に身を投げ出し、俺はうめき声を上げた。 「なんなんだよぉ、鉛筆ってよぉ……」 「いい加減、機嫌直しなさいよ。文城(ふみき)君、びくびくしてたわよ?」 「それにしたってぇ、鉛筆はないでしょお鉛筆はぁ」  すでに閉店を迎えた店の中で、俺は愚痴っていた。  あの後、俺は修練場で自分の能力をひたすら試し、その結果、絶望していた。 「例えばですよ、こういう筆記系の能力って、書いたことが現実になるとか、人間の心に書き込み出来るとか、爆速で漫画が書けるようになるとかでしょ?」 「それがねえ、この『ギフテッド』って、そういう拡張性、無いみたいなのよ」 「マジ使えねえっ! 『贈り物(ギフテッド)』じゃなくて『壊れ物(バステッド)』にでも改名しろっ!」  心配してくれた文城には悪いけど、さすがにこれはへこむ。  こんなネズミの姿に転生したのは百歩譲るとしても、手に入った能力が、変わり映えのしない鉛筆を出すだけのものだ。  正直、こんな力より、コンビニ弁当出すほうがはるかにいいだろう。 「でも、これいい書き味ね。うちの帳簿も木炭でつけてたから、後で読み返しにくくて困ってたの」 「へー、そりゃどーも」 「良かったらこれ、うちに卸さない?」  意外な提案に、俺の片耳がはねる。 「Pの館で使ってるボールペンや万年筆って、非売品なのよ。だからみんな、基本は木炭を使ってるのよね~」  そう言えば、この世界には黒鉛の鉱床は無いらしい。だとすれば、鉛筆量産体制ができるまでは、俺が筆記用具市場を独占できる、のか?  俺は相手を試すように、悪い笑みを浮かべた。  「……乙女姐さん、言っときますけどこの力、安売りはしませんぜ?」 「下宿は文城君と相部屋なら無料。営業終了後のお風呂無料と、手数料引いた売り上げ、このぐらいで手を打たない?」 「飯は文城と交渉するとして……実際の値段付け、俺が口出ししても?」  色っぽいギルドマスターは、スッと目を細めて俺に尋ねてきた。 「消しゴム付きの奴って、出せそう?」 「え……? あ、出た」 「オッケー。どこか大口の取引が出来たら、その時は同行して。店での値段は、私の意見を優先させてもらうけど」  俺は手の中に出現した消しゴム付きの鉛筆を、しげしげと眺めた。鉛筆があっても消しゴムが無いんじゃ、修正しづらいからな。 「拡張性は無くても、同じようなものは出せる……?」 「かもね。シャーペンとかは?」  少し気合入れて念じてみるが、何も変化はない。どうやら本当に、鉛筆を出すだけの能力らしい。  それでも、全くのゴミ能力だと思ったものが、利用の方法が見つかったのは幸いだ。 「飯と違って、文房具は回転率が期待できないからなぁ、儲かるかどうか」 「それもこれも、市場に出回ってからよ。少なくとも、お小遣い稼ぎにはなるでしょ」 「そっすね……って、あれ? マジか! こんなのも行けるのか!」  もしやと思って念じてみると、赤色の鉛筆が現れる。それから、各色の色鉛筆が望む通りに出てきた。 「おおー、やるじゃない!」 「は、はい。結局、宴会芸程度っすけど、悪くはない、かもな」  自分の能力を一通り把握し終えると、成果物を乙女さんにサンプルとして提出する。  その顔はとてもうれしそうで、単に儲け話ができた、という以上の気持ちが漂う。 「もしかして、絵とか描くんすか?」 「そういうんじゃないけどね。ほら、みんなの『ギフテッド』、いろんなのがあって面白いから、好きなのよ」 「本人としちゃ死活問題っすけどね。これがポケットティッシュを出す能力、とかだったら、リセマラ(・・・・)直行だったかも」  それまで、快活そのものだった彼女の顔に、影が差した。  重い沈黙が、二人きりの部屋にわだかまる。  まさか本当に、そんな運が無い奴がいたとは。 「……マジすか」 「うん。さすがの私も、掛ける言葉もなかったわ。結局、その子は『壁の外』へ。その時からね、このギルドを作ろうと思ったのは」  ゆったりまったりのんびり、でもしっかり。  持って生まれた『才能(ギフテッド)』に左右されず、どうにか生きていける場所を。  それが、彼女のギルドの存在意義。 「そんなわけだから、君もあんまり自分の能力で、悩んだりしないでね。そのために、この場所があるんだから」 「うっす」  俺は改めて、鉛筆を一本取り出す。  こんな能力でも、活用法は無限にある。むしろ俺は、あの残酷で身勝手な超越者から、優遇されたとさえ言えるかもしれない。 「その人のお墓とかは?」 「こういう街だから、特には無いわ。あとで仏間でも作ろうかしら」 「神も仏もいなさそうな場所ですけどねー」  重くなった話を軽口で切り上げると、それに合わせるように、乙女さんはカウンターの背後にある棚から、一本の瓶を取り出した。 「こっちはいける口? 無理なら、わたし一人で()っちゃうけど」 「安酒ばっかでしたけど、たしなむ程度には。この体で飲めるかわからんけど」  おそらく、こっちで醸造されただろう、暗緑色の酒が、ショットグラスに注がれる。  鼻を突くのは、アルコールとハッカに似た香りだ。 「世の憂いを払う緑の妖精、芸術家の魂を磨く霊薬、善男善女を滅ぼす悪魔の誘惑」 「その心は?」 「魔界産アブサンド。お店の『元ネタ』にあやかってね。看板のお酒よ」  そういや、この店の元ネタも、芸術家のたまり場だったっけ。  そして、芸術家のインスピレーションを導く『英知の霊薬』として、この緑の酒が愛飲されたはずだ。 「どうせなら『洗濯船』とでも、名乗ればよかったのに」 「うちのメンバーは、そこまで芸術家(アーティスティック)じゃないから……そっちこそ、かなり詳しいじゃない」 「……雑学好きなだけっすよ」  かすかに疼いた、ガラクタの過去を吐き捨て、俺はグラスを取り上げた。 「迷える者たちの居場所に」 「新しい住人の門出に」 『乾杯』  グラスが鳴る。  一息で煽る。  若草の苦味と、舌にこびりつく甘みと、口内に漂う、爽やかな香り。  喉を焼きながら通る、熱い流れ。 「っ……かぁ~、染みるぅ」 「ちゃんとチェイサーも使ってね。うちは悪酔い厳禁だから」 「もしかして、あっちでもこういう仕事だった?」  ショットグラスの脇に水の入ったグラスを置きながら、美人の『ママ』は妖しく笑う。  礼儀正しく、追及するのを止め、緑の液体が残ったグラスを手の中でまろばせた。  そういえば、この酒には面白い遊び方があったんだっけ。  水の入ったグラスから、数滴ずつ、加水していく。  緑色が次第に薄まり、白濁したもやのような筋が、アルコールと水の混合物の中で渦を巻いていく。  アブサンドに含まれる、植物性の油脂分が水分と反応することで起きる、乳化現象だ。 「へぇ、そんなことが出来るんだ」 「むかーし、聞いた話で、試したのはぁ、これが、はじめて、っすけどぉ、ふふ」 「そっか。もう一杯いかが?」 「うぃー」  全身に広がる暖かい酩酊に、酒臭い息を吐きだす。  どんな世界でも、酒は憂いを払う友なんだと実感する。  さわやかな残り香を吸いながら、俺は久しぶりに、いい気分で酔いに浸った。 「ねえ、起きて、孝人。もうお昼だよ?」  ゆさぶられるたび、脳が盛大に大地震を起こし、めくれて世界がでんぐり返る感覚。こみ上げる吐き気、目の玉の裏に、渦巻く不快感。 「ごめ、ごめ、ちょ、ゆらさ、ないで」 「……乙女さん、すごく飲む人なんだ。僕は断ってるからいいけど、飲める人、みんなそんな感じになっちゃって」  頼むから、そういうのは早く言ってくれ。もしくはパンフレットに『尾上乙女はとんでもない酒豪(うわばみ)です』って、注意書きを頼む。  例のアブサンドは案外飲みやすく、勧められるだけ飲んでしまった。あとで聞いた話だが、アルコール度数は六十二パーセントらしい。 「ここ、水置いとくね。あと、乙女さんが、ごめんって」 「うん……お前は?」 「仕事終わったら、打ち合わせに行ってくる。ダンジョン攻略の話で」  寝床にだらしなく横たわり、薄目を開けて同居人に手を振った。 「うまくいくといいな。明日は早いんだろ?」 「寝てる間に出ると思うから、気にしないで寝てて」 「お前も、寝坊すんなよ」  そのまま、うとうととまどろみつつ、酔いがさめるのを待っていたら、かなり時間が経ってしまっていた。  枕元には、水の入った瓶と、ガーリックチキン弁当が一つ。 「別に、これが好きってわけでもないんだけどな」  二日酔いの胃には少し重いそれを平らげると、足音を忍ばせつつ、階下に降りる。  下宿と店を仕切るドアの向こうでは、結構な人数の客と、スタッフの女の子たちの声が聞こえた。  メイド喫茶と謳ってはいるが、『ムーラン』の営業は基本、食事や飲み物、酒の提供が中心だ。  その手のサービスは行わない、というのが乙女さんの理念らしい。  しばらく俺の出番はないだろう、そう思いながら部屋に戻ろうとすると、階段の目立つ場所に、俺宛ての紙切れが貼りつけてあった。 『孝人(こうと)君へ。起きて体が大丈夫そうなら、やって欲しいことがあるの』  指示書の中には、交換チケット三枚が同封されていた。内容を確かめ、服のポケットの奥にしまい込む。  きな臭い指示内容に、それでも俺は、扉の向こうにいるであろう乙女さんに手を振り、 裏口から店を出た。  モック・ニュータウンの昼間は、太陽は無くても照度の変化で大体の時刻が分かる。  俺が二日酔いでうだうだしている間に、だいたい午後三時ぐらいになったらしい。  誰とも視線を合わせないよう、それでも注意深く、大通りの端を歩いていく。 『危険のない範囲でいいから、文城君の『引率屋』の身元を洗ってくれない?』  異世界に来て、四日目の仕事が探偵業と来たか。  とはいえ、乙女さんの不安も分かる気がした。  根が純朴で、気の弱い文城のことだ。他人との交渉なんて、できるかも怪しい。  過保護かもしれないけど、縁の薄い他人の理不尽に心を痛め、ギルドを作るほどのヒトだからな。 「ともあれ、文城(ふみき)に気づかれないようにするなら……やり方は一つか」  俺は、何気ない風を装って、Pの館の近くに建てられた掲示板を目指した。  ここには、様々な仕事の発注や受注が貼りだされる。Pの館から出される公式の依頼もあるが、地域獣民が個人的な依頼を貼ることも多いと聞いた。  そんな連中の一人に目をつけ、俺は声をかける。 「あ、ちょっといいかな」 「……もしかして、『引率屋』さん?」 「悪い。俺も探してるところなんだ。そろそろ期限がヤバくてさ、アンタも?」  引率屋募集の紙を貼り付けた犬の模造人(モックレイス)は、全身の毛をしょげさせ、ため息を吐いた。 「どこのギルドも、いっぱいいっぱいでさ。こうなったら『シャーク』でもって思ったんだけど、それも無理らしいんだよ」 「『シャーク』……ねぇ。やっぱりボられるのか? まさか、ダンジョンに置き去り、ってんじゃないよな?」  シャークという単語が何を意味するかは分からないが、想像は付いた。こっちの振りにイヌは笑って首を振る。 「アンタ、まだシャークに会ってないなら幸運だよ。ダンジョンに置き去りにされこそしないけど、チケット二十枚払って、肉楯扱いってのもザラだから」  なるほど、法外な値段を吹っかけて、ダンジョン内の引率をする奴か。となれば、文城もそいつらに頼んでる可能性がある。 「実は、俺の友達も期限ギリギリでさ。二日前ぐらいにようやく決まったって」 「そのころには、まともな引率屋はいなかったから、シャークじゃないか?」 「もしかして、見かけてないか? 横幅の大きい、ハチワレのネコなんだけど」  イヌは少しだけ考えて、それから嫌そうに顔をしかめた。 「ヒト違いだったらいいけど……俺が見たのがそいつなら、マヒラの手下に声を掛けられてたと思う」 「マヒラ……有名なのか?」 「『ローンレンジャー』の磨平周(まひらまこと)、いかついライオンの模造人(モックレイス)。アイツに頼むくらいなら、ギリギリまで粘る方がいいって、みんな言ってる」  俺は深々とため息をつき、芳しくない情報を胸に収めた。  それから、調査費用から二枚ほど引き抜いて、相手の手に握らせる。 「え……いいのか? アンタもヤバいんだろ?」 「困った時はお互い様ってね。うまく行ったら『ムーラン』で飯でも食ってくれよ。あそこで働いてんだ、俺」 「……お、恩に着る。これで……何とかなりそうだ」  心底、安心したイヌを残して、俺は掲示板を後にする。  どうやって乙女さんに、この話をしたたものか、悩みながら。 「……まあ、死ぬことはないでしょ」  苦々し気に、乙女さんは吐き出した。  俺たち二人だけ、閉店後のバーカウンターを挟んで、ため息をつきあう。  明日のためにということで、すでに文城(ふみき)は寝ている。あいつの前で内心を悟られないようにするのは、苦労した。 「ちょっと聞き込みしてみたけど、磨平ってヤツ、そうとう恨み買ってますよ?」 「それでも、リピーターがいるわけ。つまり、最低限の仕事は確実にしてくれる。置き去りにもしないし、依頼人の安全も確保する」  彼女の言葉は、事実の羅列というよりも、そうあって欲しいという祈りだった。  これまでもそうだったから、文城の時もそうだと、信じたいように。 「明日は、週に一回の『滞留許可専用クエスト』の日よ。他の競争者も少ないはずだし、うまく行けば、半日もかからずに帰ってこれる」 「……今からでも、止めさせた方が」 「そうなれば、契約金はおそらくは戻ってこないわ。文城君は損をした上に、滞留資格を得るチャンスを失う」  ここを楽園だなんて思ったことはないけど、これほどシビアだと思ってもみなかった。  どう考えても荒事向きじゃない文城に、ダンジョンに行くなんてムリゲーだ。 「なんとか、建て替えみたいなこと、できないんすか?」 「前回までは、やってたのよ。でも、彼が耐えられなかった」 「……耐えられなかった?」 「嫉妬されちゃったの。他のメンバー、特に、ここで下宿してる子たちに」  ここのギルドの運営費は、もっぱら『戦えない連中の互助』に充てられている。  ギルドマスターにはPの館と交渉して、通常のチケットをプラチナチケットに交換できる権利を与えられているそうだ。  店の商品充実に貢献している文城には、優先して更新用のチケットを出していた。 「ポケットティッシュほどひどくはないけど、売り物になるほどでもない、ギフテッド持ちの子。それに比べて、文城君のアレは一種のズル、に見えちゃうんでしょうね」 「飯は自前で用意できるし、それを売りさばいて儲けられる……無理もないか」 「朝が弱いのも災いして、仕事に遅刻するたび怒鳴り散らされたり、とかね」  まったく、本当に世知辛いな。  チート能力が崇められるなんて、お話の中だけ。蓋を開ければ、ひがみと恨みが付いて回る現実だけってことか。 「それで、今回は自分で引率屋を探すって言ったんだけど……」 「ギルドのプラチケ、在庫は?」 「ごめんね。今月は更新が多いのもあって、全部切ってしまったの……交換限度もあるから、あとは他のギルドにでも、頼むしかないわ」  台所事情と本人の優しい性格で、乙女さんの立場もだいぶキツそうだ。そういう姿を見てるから、文城もプラチケを遠慮したのかもな。 「こういう時、ラノベかなんかみたいに、俺がプラチケ創れるぜ、ってなったらいいんすけどね」 「そうなったら、モック・ニュータウン、プラチケ本位制の崩壊ね」  虚しい笑いをかわして、その日はお開きになった。  会ってまだ日は浅いけど、文城がいいやつなのは分かってる。そして、いい奴ほど報われないのも、身をもって知っている。  それでもだ。 「頼むよ、神様」  魔界があるなら、天界もあるだろう。  どんな奴か知らないが、もしも俺たちの現状を見てるなら、 「文城に幸運を授けてやってくれ」  店の外、月も星もない闇夜に、そっと呟いた。  翌日。  俺は盛況する喫茶店の方に、ウェイターとして駆り出されていた。多めに盛り上げられた文城の弁当を横目に、それでも何気ないふりをして仕事に励む。  午後を、少し回ったころだった。  店のドアが、青銅の鈴の音と共に開いた。 「いらっしゃ……」  戸口で立ち尽くす、小山のような姿。  毛皮はボロボロになり、布でこしらえた防具も、完全に壊れている。  そして、歯を食いしばり、大粒の涙を流す、ネコの顔があった。 「文城君!」  驚くほどの素早さで近づき、乙女さんが文城を抱き留める。大声を上げて泣くのを優しくあやしながら、彼女は告げた。 「今日は、もう閉店よ」
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