仕事帰りの一杯

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仕事帰りの一杯

 午後六時。  空はすっかり暗くなったけど、商店街の照明は昼の明るさだ。  西口の『前掛け像』を通り抜けると、飲食店から漏れ出す湯気や香ばしい煙が、風に乗って毛皮をくすぐる。  入ってすぐの『EAT UP』は、外にテーブルを出すほどの盛況ぶりで、ビールジョッキを打ち合わせている和服の団体が見えた。城下町から遊びに来た連中だろう。 「おや少年。仕事あがりかい?」  店のシャッターを下ろしたイタチのお姉さんに、俺は笑顔で頷いた。 「十階を二セット回って、森で一狩り行ってきたとこっすよ」 「ごくろうさま。今日はどこで一杯やる気かな?」 「親方と山本さんに誘われて『大しけや』で。いい魚が入ったとか」 「わたしも相席したいけど、明日ギルドに顔を出さないとなんだよねぇ、残念」  ゲーセンの店主は苦笑しつつ、歩き去っていく。片手には『ふかふか屋』の紙袋があったので、すでに晩飯は確保済みだったらしい。  そのまま少し歩くと、縄のれんの掛かった古めかしい建屋にたどり着く。  和風海鮮のお店『大しけや』。  ガラスの引き戸を開けて入ると、騒音の波と調理の煙、そして人々の体臭が混じった空気が、こちらに向かって押し寄せてくる。 「おう孝人! こっちだこっち!」  窓際の座敷に上がっていたイノシシの模造人(モックレイス)、甲山の親方が片手を挙げていた。その向かいに座るタカの模造人、山本さんも顔を向けて会釈してくれた。 「お疲れ様です! お待たせしてすみません!」 「先に始めてしまいましたが、好きなように頼んでくださいね」 「おい、こっち注文頼むわ!」  親方の呼び声に、上背のあるクマの店員がやってくる。俺はその青年に笑い、渡されたメニューのページを指さした。  「おつかれ仲代君。生中一つに縞瓜(しまうり)漬け、とんぶり豆腐よろしく」 「……はい。生一、縞瓜、とんぶり、ありがとうございます」 「俺も生お代わりな」 「こちらは焼酎、『ごまさば』をロックでお願いします」  こっちの仕事に大分慣れたのか、クマの青年は落ち付いて注文を取り、厨房に声かけしている。ムーランにいた時は、何をするでも、おどおどしていたのが嘘みたいだ。  ほんと、変われば変わるもんだなあ。 「仲代ってあの若いの。ノムちゃんも、だいぶ気に入ってるみてえだぞ」 「野村さん口調荒いから、ちょっと心配だったんですけど。大丈夫そうっすね」  間を置かずに、注文の品がやって来て、俺たちはそれぞれのグラスを上げて、乾杯の音頭を取った。 「今日も無事で返って来れました。乾杯っ」 「おう、乾杯」 「明日もご安全に。乾杯」  ジョッキをぐっと煽り、冷えたビールに喉を鳴らすと、ほっと息を吐く。  張りつめていた気分がようやく、腹の底に落ち着いた感じだ。  そのまま、茶褐色の小さな粒が山盛りになった豆腐を、切り分けつつ口に運んだ。 「そういや、このとんぶりも、ホントのとんぶりじゃないんすよね?」 「緑獄(りょくごく)に入った連中が、勝手にそう呼んでるだけだからなあ。一応、クリスたちのお墨付きだから、害はねえと思うがよ」 「街の開拓初期、南条さんたちが熱心に森や緑獄を探索したおかげで、現地の食材を食べる習慣が根付いたんですよ。それ以前は、食料回りはPの館頼みだったそうです」 「そういや、街で使ってる小麦、九割が館仕入れですもんね」  この前の『食事会』の時に知ったんだけど、この街で流通する小麦や一部の穀類は、Pの館からの供給に頼っている。  この町で、畑として使える場所は限られているし、土壌の問題でまともな植物は生やせない。しかも、魔界で取れる『保食麦』は、特殊な栽培法が必要だと聞いていた。 「プラチケはともかく、ログボって、ダブつかないのかなって思ってたんすけど、生活必需品の大量購入に使うんすね」 「麦もそうですし、高純度の結晶や布製品、建築資材の一部も、量を用意するなら、館からの購入に頼らざるを得ません」 「そういう、首根っこを掴まれてるみたいなのが嫌で、南条の親分はいろいろ手広くやってたんだよなぁ」 「大川さんが遠征してるの、その辺りへの牽制って意味もあるんすね」  そのPの館には『外』からの輸入先があるらしい。らしい、と言うのは誰もそれを確認したことがないから。  Pの館に詮索しないこと、この街のルールの中で、最も重いものの一つだ。 「Pの野郎、『君臨すれども統治せず』みたいな顔してるくせに、めちゃ独裁っすよね」 「この街の根幹は『必ず住民を塔に関わらせる』ことですから。大川さんでさえ、更新のある月には、欠かさず帰還していますし」 「その癖、司法や警察権にはノータッチなんすよねー。おかげでこっちは、決闘裁判みたいな真似する羽目になったしぃ」  愚痴と一緒にぬるくなったビールを飲み干し、縞模様の瓜を噛みしめた。  食感は冬瓜(とうがん)ぽくて、ほのかに苦味がする。というか、魔界の植物は大抵が苦いので、あく抜きの手間がすごいって、クリスさんがぼやいてたっけ。 「決闘といやぁ、あれから文城はどうだ?」 「……だいぶ、変わりましたよ」  俺はメニューを眺めつつ、感情を控えめにして答える。そろそろ、肉串の盛り合わせでも頼もうかな。 「大分だぁ? すっかり生まれ変わった、ぐらい言ってもいいだろ」 「そうですね。私も目を疑いましたよ。コウヤさんが関わったとは聞いていましたが、まさか、あそこまでとは」 「まったくだ。菜摘の奴は、試合のあいだ、文城君が文城君がって、ずっと悲鳴上げっぱなしで、うるせえったらなかったがな」 『――なんて言うだろうけど、ホントにうるさかったの、航大さんだからね? 試合の間中、ずーっと、おい文城は大丈夫か、止めたほうがいいんじゃないかって、真っ青な顔してたんだから』  夫婦そろって真逆の感想だけど、たぶん実際のところは、二人とも文城の無事を祈ってハラハラしてたに違いない。俺と目が合った山本さんは、意味ありげに笑って店員さんを呼び止めた。 「『ごまさば』お代わりください。あと、燻製卵と揚げ山芋」 「俺、五点串盛り――」 「めんどくせえから三十本の奴にしろよ。塩とタレ半分づつな」 「あ、俺も揚げ芋と『ごまさば』ロックお願いします!」  乗っていた空のグラスや皿が片付けられ、新しい酒と料理が来る頃には、俺たちはだいぶくつろいで、酔っぱらいモードのギアを一段上げていた。 「ほんとなあ、文城はよくやったよ! こっちに来てのころは、べそかいて震えてやがったってのによぉ」 「ほんとっすよ。いやあ、文城はマジですげえっ!」 「うちの面子にも、いい刺激になったようですよ。次に事務所に顔を出したら、色々話を聞かせて欲しいと」  注文で話を切れさせたくなかったのか、親方はピッチャーでビール、山本さんも焼酎のボトルを一本、俺も果実酒のボトルをそれぞれ抱えつつ、のんびりと杯を重ねていく。 「そういや、お前んところの紡、もうケガはいいのか?」 「あいつホント頑丈ですねぇ。模造人(モックレイス)だからって、限度があるっしょ。磨平まひらに額ぶち割られてたのに、そのまんま殴り返すしぃ」 「あぶねえなぁ。見どころはあんだが、そういうとこがおっかねえんだ。お前がちゃんと手綱引いとけよ?」  現場の安全第一の化身のような親方は、一瞬、完全に酔いの醒めた顔でため息を吐く。 「動きも返事もいいんだがなぁ、勘がよすぎるんだ、あいつぁ」 「直感で、二手三手先を掴んでしまうんです。穂高君も、その噛み合わなさが命取りだと評してましたよ」 「あの冷血わんこはよぉ、瞳ちゃんがOKならぁ、紡だって、十分『ホライゾン』で行けただろうがよぉ」 「バカおめえ、瞳だって相当のハネッ返りだぞ? あの二人まとめてなんて、俺だって手に負えねえよ」  あー、なんかわかるわぁ。  フィジカルとセンスに恵まれた天才肌を、コントロールしようってのが土台無理ってことか。 「でも、紡は下でうだうだやってるタマじゃないんすよ。あいつのギフテッドだって、獄層の方が生かせるっしょ?」 「実のところ、肉獄層であれば、彼の火力は必須レベルです。機会があったら『ホライゾン』のクエストに、個人で参加を勧めてみたらいかがですか?」 「あざっす。それとなく聞いときます」  山本さんは平然とした顔で、キツい焼酎のボトルをすいすい空けていく。このペースに釣られたら、絶対酔いつぶれるぞ、気を付けなきゃ。 「しかし、文城があんだけ強くなって、紡もいるとなりゃ、お前んとこも安泰だな」 「ムーランに常駐パーティができたのは、喜ばしいことです。尾上さんや神崎(かんざき)さんの負担も、だいぶ軽くなるかと」 「そうよなあ。柑奈(かんな)のやつ、俺たちのとこに出ずっぱりだったしなあ」 「なんでそこで柑奈?」  そこで二人は少しうろたえて、苦笑いしつつ小声でささやいた。 「俺らが言ったってのは内緒な。知らねえ振りしといてくれ」 「ムーランメンバーの更新チケット、足りない分を彼女が補填していたんですよ。甲山組や、うちに臨時の攻略要員としてね」  あんにゃろ、まだ隠し事してやがったのか。  格好だけじゃなくて、身も心も主を支えるメイド魂持ちだったんだなあ。 「ギルドの皆には言わないように、口止めされていたんですけどね」 「あんだけ甲斐甲斐しいのも、今時珍しいやな。大事にしてやれよ」 「……うっす。でも、それならなんで、あの時、俺の攻略話に乗ったんすかね? 親方や山本さんに頼めば済むのに」 「福山君のためですよ」  空になったボトルを差し上げ、山本さんが店員さんを呼ぶ。気が付けば、客の姿も大分まばらになり、閉店間際の冷えた空気が漂い始めてきた。 「彼は彼なりに、この街で何かを始めようとしていた。それを、後押ししたかったと言っていました」 「はぁ~、セク腹メイドの癖になまいきなぁ~。あとでめちゃくちゃ褒めてやる」 「だから、黙ってろつったろが」  そんな俺たちの所に仲代君がやって来て、済まなさそうに伝票を差し出してきた。 「店長が『閉店だからとっとと帰れ』、だそうです」 「今日はお開きか。長っ尻だって、菜摘にひっぱたかれちまうしな」 「ダメですよ、親方。菜摘さん寂しがらせちゃ」 「……言われなくても、分かってるっつの」  会計を済ませて店を出ると、商店街の灯りはだいぶ控えめになっていた。そのまま親方は片手を挙げて、西口の方へ歩み去っていく。 「小倉君は、どうするんですか?」 「『ナイトホークス』で、もうちょっと」 「じゃあ、私もお付き合いしますよ」  そういや、山本さんとサシで飲むのはこれが初めてか。いつも親方とワンセットみたいに思ってたから、すごく新鮮だ。  そのまま裏通りに入って、ぼんやりと灯りの点る店に行くと、先客がカウンターに座っていた。 「あー、山本さんだー! こんばんわー、今日のお相手は孝人君かぁ」 「おにいさんだ! おにいさんこんばんわー!」  キツネとヤギの模造人(モックレイス)が、ご機嫌で手を振ってくる。クリスさんと鈴来とか、珍しい取り合わせだな。  俺が鈴来の左、そのさらに左に山本さんが座って、ちょうど背の小さい二人が、大きい二人に挟まれる形になった。 「今日はどうしたんすか? 店は早じまい?」 「『EAT UP』は、明日から二日お休みで、今日は食材売り切りして締めちゃった」 「もしかして長期の遠征っすか? 緑獄とか」 「クリス、別のお店やる! うち、およばれされた!」  鈴来の言葉を受けて、クリスさんは青紫色のカクテルを、すっと飲み干す。たぶん、ブルームーンかな。 「『ミシュリーヌ』って言ってね、私の趣味のお店だよー」 「趣味の……?」 「彼女は元々、高級料理店をやりたかったそうなんですよ。でも、この街ですと、やはり大衆食堂や定食屋の方に需要がありますから」  あー、なんか聞いたことある。儲けるためのお店とは別に、完全に自分の趣味で、商売っ気抜きの店をやるってやつだ。 「店舗もぱちもん通りではなく、東前通りの裏にある雑居ビルです。看板も出していないし、宣伝もしていませんから、知らなくて当然かと」 「もしかして、あっちではフレンチのシェフだったとか?」 「逆逆。地域密着の定食屋さんだったの。一番人気は生姜焼き定食ー」  厨房に入ってる姿が、やけに堂に入ってると思ったら、根っからの料理人だったのか。いかにも肝っ玉なおかみさんという感じだし。 「もちろん、向こうにいた時から高級料理には興味あったんだけど、成り行きで両親の店を継いじゃってねー。その内、結婚して、子供ができて、みんな巣立ってって、これからは私の時間、って思ってた矢先に――ね」  ヒトに歴史あり、ってのは分かってるつもりだけど、改めて聞くとずっしりくるなあ。それでも、キツネの模造人は何でもないって顔で、肩をすくめた。 「私なんてかなり恵まれてると思うよー? 心残りはあるけど、うちの子たちも旦那も、仲良くやってるだろうし、私は私でこうして好きにやってるわけだし」 「こっちに来たら、今更なにが出来るわけでもないっすからね……」 「よかったら、孝人君も食べに来る? あと一席分なら用意できるよー?」 「おにいさん! うちと一緒! ご飯食べよ!」  結局、しつこいヤギにゴリ押しされ、鈴来と一緒にクリスさんのお店に予約を入れることになった。 「ところで、お代はいかほど――」 「――うちが出す!」 「ダメだって! 俺もちゃんと出すっての!」 「席料込みで、プラチケ二枚ね」 「まぁあああああああ!?」  高級の名に恥じない厳ついお値段に、思わず変な鳴き声が漏れてしまう。勝ち誇ったような顔で、ヤギはマスターから四枚のチケットを受け取り、クリスさんに手渡した。 「借りるだけだから! ちゃんと払うからな!」 「別にいいのに。うち、持ってても、ちゃんと使えない」 「お金の問題はお金で解決したいの!」  それから、二人は席を立って店を出ていく。 「ところで、なんで二人で飲んでたんですか?」 「鈴来ちゃんにお店の新しい絵、描いてもらったお礼だよ」 「レストランなら、果物とかが描いてある静物画かな。セザンヌとか?」 「そういうの、前描いた。今度は公園、みんなでゴロゴロする奴」  スケッチブックに描かれた試しを見て、相変わらずの才能に嫉妬しつつ、俺は笑った。 「ジョルジュ・スーラ『グランドジャット島の日曜日の午後』か。作中人物みんな模造人(モックレイス)だから、全然別の絵に見えるなぁ」 「そういうの、良くすらすら出てくるねー。私も鈴来ちゃんも、ふわっとした打ち合わせしかできなくてさー」 「絵の来歴情報なんて、キュレーターか画商でもなきゃ、余分なノイズっすよ」  二人は意味ありげに視線を交わしたが、結局、何も言わずに去って行った。どっちも商店街住みだから、帰りも楽で羨ましいなあ。 「ところで、何かおつくりしますか?」 「すみません。ジントニお願いします」 「マティーニを、ベルモット抜きで」  おおう、チャーチルスタイルかよ。  甲山の親方は意外とお酒は控えめで、山本さんの方がガッツリ飲むタイプだ。鈴来の絵の完成祝いの時に知って、かなりビックリしたんだよな。  互いのドリンクを受け取ると、改めて乾杯する。 「ダンジョン攻略が安定すると、見える景色が変わるというのは、冒険者の間でよく言われることです」  カクテルグラスにくちばしを当てて、さざ波を立てて酒を味わっていくタカの模造人モックレイス。  ここに来るまで、焼酎を浴びるほど飲んだってのに、顔色も口調も全然乱れてない。 「十階制覇で生活に余裕が出て、二十階を超えた者は先を自由に選びだす、なんてね」 「クリスさんもそうみたいだし……山本さんもですか?」 「元々、私と甲山さんは、『ぱちもん通り商店街』の攻略班所属でした。ギルドマスターの南条さんが亡くなられた後、それぞれの道を行くことにしたんです」 「そうなると、俺たちもまずは二十階をクリアして、って感じにするべきかぁ」  もともとそういう予定ではあったけど、先輩の言うことは本当に参考になる。もしかして、そのことを言うために一緒に来てくれたのかな。 「そう言えば、美雪さんとはうまくやれていますか?」 「はい。俺よりよっぽどしっかりしてて、いろいろ助かってます。最初の攻略も、彼女が居なかったら、厳しかったかと」 「『グノーシス』の方々から、上層攻略に協力の依頼を受けることがあるんですが、美雪さんには、お世話になりました」  お世話に、という言葉の端々にある苦味に、俺は少し笑った。 「金払いはいいんですか?」 「その時によりけりです。難しいクライアントですが、彼女か一宮さんがいる時は、割と平穏な道行きですよ」 「しおりちゃん、連中と手切れして、うちの専属になる予定なんですよ。もし、そっちの仕事で面倒があったら、相談してください」 「ありがとう。こんな姿になりましたが、オカルティズムとは没交渉でしてね」  透明なカクテルを干してしまうと、山本さんはマスターに注文を告げた。 「ギムレットを」 「かしこまりました」 「締めの一杯っすか。ハードボイルドっすねぇ」 「ミーハーなだけですよ」  せっかくなので俺もギムレットを注文し、しばらく黙って、店内の空気に身を任せる。 「小倉君」 「はい」 「無理はしないでくださいね」  それぞれのコースターに、薄緑色のショートカクテルが置かれる。本来ならライムジュースとジンをシェイクして作るカクテルだ。 「そう見えますか?」 「こっちに来たニンゲンは、現地に慣れようと必死で、がんばりすぎるんです。うまく回っているうちはいいですが」 「親方にも、言われましたよ。同じようなことを」  俺はぎゅっと目をつぶり、息を吐いた。 「昔からこうなんです。怖くなるほど、先行きが見えない場所に行くほど、じたばたもがいて、手当たり次第にやりだす。そのせいで、いろんな人に迷惑を掛けました」 「不思議だったんです。最近のシステムエンジニアは、イベント設営の手配りまでするのかとね。それも、そういうことですか?」 「そこは、突っ込まないでください。俺の、過去の恥みたいなもんなんで」  山本さんの追及は止まったけど、彼の匂わせている気配は、俺の失態をカクテルと一緒に味わっているように思えた。  考えてみれば、最初のダンジョン攻略から始まって文城の決闘まで、覚えているだけでも相当の無茶や暴走をしていた、気がする。 「悩んだ時には、相談しに来てください。聞き役には、慣れていますので」 「でも……」 「私も甲山さんも、君には感謝しているんですよ」  カクテルを飲み干すと、彼は立ち上がった。 「福山君を外に連れ出し、尾上さんの夢に手を貸した。私も甲山さんも、互いを知るからこそ、どこまで手を出すべきか、ためらっていたんです」 「事情を知らない新参が引っ掻き回して、偶然いい方向に行っただけ、ですよ?」 「本人の意思より、結果が全てです。それに、今後の動き次第では、さらに評価が変わるかもしれませんからね」  手厳しい一言。  うまく行ってる現状に胡坐をかかず、リーダーとしての役割を果たせってか。 「未熟者ですので、ご指導ご鞭撻(べんたつ)、よろしくお願いします」 「こちらこそ。今後は仕事を、ご一緒することも増えるでしょうし」  儀礼的に握手を交わすと、払いを済ませて店を出る。  すっかり灯りが落ちた商店街を抜けて、西口の『前掛け像』で立ち止まった。 「南条さんって、どういうヒトでした?」 「それは、次の飲みの席にしましょう。話せば長くなりますから」 「だったら、親方の所にお邪魔したほうがいいかもですね」 「そうですね。甲山さんと菜摘さんのなれそめも、聞けますから」  俺たちは笑い合い、手を振って別れる。  星も月もない、真っ暗な夜空に伸びた塔を右手に見ながら、夜を歩く。   「そういや、崩落があるんだっけな。そろそろ」  天を覆うように広がった花弁の内、南と東が心なしか大きく見えた。  ここに来て初めての獄層崩落、しかも緑獄と肉獄の二重崩落だ。 「……まずは、有識者に話を聞くところから、始めるか」  そびえ立つ『問題』から視線を外し、家路をたどる。  不安に押しつぶされないように、そして、不安で闇雲に走り出さないように。  ムーランの扉の前に立つと、俺は声を掛けた。 「ただいま!」
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